名も無き怪談収集家の『べとべとさん』についての記録
「べとべとさんは怖いものだよ」
「べとべとさんは守り神だよ」
「べとべとさんに会ったら逃げないといけないよ」
「べとべとさんに会っても怖がらなくていいよ」
私の住んでいた田舎の町にはそんな言い伝えがあった。
聞く所によるとこの辺りにはべとべとさんという『何か』が現れるらしい。
だけどべとべとさんが何なのか私にはわからなかった。
妖怪なのか、人間なのか、はたまた神様なのかも。
唯一わかっているのは、べとべとさんは夕暮れ時の林道に現れ後ろからこっそりついて来るという事くらいだ。
べと、べと、べと。
だから湿った足音を立てながら私の背後を歩くものが何なのか、その時の私には何もわからなかった。
けれど振り向いてはいけない。
きっと私は子供ながらに得体の知れない『何か』への恐怖を本能で理解していたのかもしれない。
べと、べと、べと、べと。
早歩きにすると『何か』は同じ速さで追いかけてくる。
間違いない。『何か』は私を認識して後を付けている。
怖くなった私は急いで林道を抜ける。
すると粘り気のある足音はやがて聞こえなくなり、私はそのまま自宅への帰路に就いたのだった。
とまあ、怪談というには少し弱い想い出話をすると大体の人は微妙な反応をしてしまう。この話にはオバケも殺人鬼も出ないので当然だろう。
一応大人になって分かった事は、当時私が住んでいた地域で子供を狙う不審者がいた事くらいだろうか。
もしかしたらあの足音の正体はその不審者だったのかもしれないけど、それ以上の事はわからない。
ついでに言えばその不審者は私がちょうど足音を聞いていた時期、林道で遺体となって発見されたらしい。
遺体の損傷はかなり激しかったため警察はクマに襲われたと判断し、被疑者の死亡によって事件は未解決のまま終わってしまったそうだ。
それともう一つ。
べと、べと、べと。
私の後ろからついて来る湿った足音は、今でも暗い夜道を歩いていると時々聞こえてくる。
それが何なのか、私は未だに振り返って確認した事は無い。
取りあえず今は親切な守り神の類だと考える様にしている。
知らないという事はとても幸福な事だ。
べと、べと、べと、べと。
だから私は何も聞こえないふりをしている。
きっと『何か』の正体を知ってしまえば、二度と戻れなくなってしまうから。




