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母のホットケーキ

掲載日:2025/12/07

 休日午前十時。

 フライパンに落とした生地が、ふつふつと泡を生む。台所に広がる甘い香りが、古いアパートの一室をゆっくりと満たしていく。


 はるかは、その匂いを深く吸い込んでから、ため息を吐いた。


 ――ホットケーキなんて、何年ぶりだろう。


 母がよく作ってくれた。日曜の朝は、必ずホットケーキ。焼き加減なんて気にしない大雑把な母だったけれど、生地をひっくり返す瞬間だけは妙に真剣だった。

 その手元を見るのが、遥は好きだった。

 そしてその味は、世界一美味しかった。


 ホットケーキはいつのまにか思い出の中の食べ物になった。


 今日、遥が粉を買い、牛乳を量り、卵を割ったのは、三回忌が近いからだった。

 供えるわけでもない。ただ、久しぶりに母の味を思い出してみたくなった。


 目の前のホットケーキは不格好だ。

 焼き色はまばら。形もいびつ。

 味も、どうしてもあの味に、近づきすらしない。


「……ぜんぜん、違う」


 玄関のチャイムが鳴った。


 インターホン越しに聞こえたのは、弟の陽斗はるとの声だった。

「姉ちゃん、来たよ。……って、なんかいい匂いしない?」


 ぎこちなく招き入れると、陽斗は部屋に入るなり目を丸くした。

「姉ちゃんが料理してる! パンケーキだ!」


 口を尖らせ、遥がツッコむ。

「ホットケーキよ」


「どうしたの? 滅多に料理なんか……あ、母さんのこと思い出して?」


 遥は声もなく、ただ力なくうなずいた。


「食べていい?」


「美味しくないと思うよ」


「母さんのやつも、めちゃくちゃ形悪かったじゃん。味は好きだったけど」


 陽斗がフォークで一口すくい、もぐもぐと噛む。

 そして、あっさり言った。


「うまいじゃん!」


「本当?」


「うん。母さんのとは違う。でも姉ちゃんの味って感じ」


 褒められたのか、よくわからなかったが、遥が今日初めての笑顔になる。


「母さんがさ、よく言ってたよな」


「何を?」


「『料理は人の心が出るんだよ』って」


「あぁ……」


「俺、よくわからなかったけど、なんかわかった気がする。これ、たぶん……ちょっと寂しい味だ」


 遥は笑って、目を伏せた。

 寂しい味。

 ただ、それを言い当てられたのが、実の弟だったことが、嬉しかった。


「じゃあ、そっちのは陽斗が焼いてよ。明るい味にして」


「よーし、任せろ!」


 陽斗が焼くと、こんがり焼けすぎて、大雑把だけど確かに明るい味になった。


 遥は、気づく。

 母のホットケーキも、けっして特別美味しかったわけではなかったのだと──


 母と一緒に食べる時間が、好きだったのだと──




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― 新着の感想 ―
ここんとこ仕事の忙しさにまいってました。。 素敵な物語りをありがとうございます。
たった1000文字なのに。1000文字なのに。泣けてくる。年とってきたのかなあ。
しんみり……………。 悲しいとは違う、ただただしんみりするなあ。
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