第五章:記憶の欠片
空はまだ薄暗く、朝靄が遺跡の入口を包んでいた。
昨夜の焚き火の余熱が残る石の傍で、ジュリは目を覚ました。胸の奥に、妙な感覚が残っていた。
重く、どこか懐かしい夢を見ていた気がした。
「朝か......」
ジュリはゆっくりと体を起こし、まだ寝ているリシェルとカイルの顔を見た。昨日の疲れが残っているのか、二人とも静かな寝息を立てていた。ジュリは自分の荷物から兄の写真を取り出し、じっと見つめる。
(兄さん……私は、ここに来てよかったのかな?)
ふと、遺跡の奥から風が吹いた。風には何かの気配が混じっていて、ジュリの胸をざわつかせた。
「……やっぱり、この先に進まないと」
彼女は仲間を起こし、再び《ルザリアの遺跡》の深部へと向かう準備を始めた。
遺跡の奥へと踏み込むと、そこは異様な空間だった。壁一面に彫られた模様と、かすかに光る結晶。時間が止まったような、異様な静寂。足音さえ、どこか遠くから響いてくる。
「ここ……妙だな」カイルが呟く。
「うん空気の流れも、魔力の流れも歪んでる」リシェルが魔導器を取り出して調べている。
ジュリは足元の石床に目を落とした。微かに何かが焼き付いたような痕跡がある。文字……だろうか。指でなぞると、それは確かに“言葉”だった。
《この地に立つ者よ。記憶は風と共に、残響となって響く。》
「記憶……?」ジュリは呟く。
リシェルが何かに気づいたように顔を上げた。
「ちょっと待って、光の結晶を使ってみる。たぶん、“残響”って記録魔法だと思う」
魔導具が光り出し、周囲の空気が震えるように揺らいだ。次の瞬間、白い光の粒が舞い上がり、空中に映像のようなものが現れた。
そこには一人の青年が立っていた。
「……兄さん?」
ジュリは息を呑んだ。その顔は、確かに兄によく似ていた。だけど、どこか別人のような気配もあった。目が、冷たいのだ。
青年ジュリの兄と思われる存在は、誰かに向かって語っていた。
「裂け目は自然には生まれない。“あれ”に触れたとき、世界の理が狂った」 「妹だけは、巻き込まないようにしなければ」
映像はそこで途切れた。残されたのは、しんとした静寂。
「やっぱり、兄さんはここにいたんだ」
ジュリは、胸に何か鋭いものを差し込まれたような気がした。嬉しさと、苦しさと、わからない感情が交錯する。
「でもどうしてこんな風に話してたの? 何かを隠してるみたいだった」
「記録が不完全なのか、意図的に切れてるのか……」リシェルが肩をすくめた。
「とにかく先に進もうぜ。この奥に、まだ何かある気がする」カイルが剣を握る。
ジュリたちはさらに奥へと進んだ。
数時間後、彼らは広い円形の部屋にたどり着いた。天井は高く、中央には浮遊する青白い結晶があり、その下に古びた書物が置かれていた。
「これは日記?……」ジュリが恐る恐る手に取る。
表紙には何の装飾もなく、ただの革張りの手帳だった。開いてみると、そこには見覚えのある筆跡が並んでいた。
兄の字。
《この世界は、現実よりも“感情”が強く影響する。だからこそ、裂け目は心の歪みを映す鏡だ》 《あれに触れたとき、見えたんだ。可能性。終焉。再生。……けれど、その代償は“道を歪める”ことだった》 《ジュリが来るなら、彼女だけは守らなければならない。真実を知るには、まだ早すぎる》
ページをめくる手が止まった。最後に、たった一行だけ書かれていた。
《ジュリ、ごめん。でも、君が来たときこの世界は、きっと君を選ぶ》
ジュリは黙って本を閉じた。
目の奥が熱い。胸の中が、張り裂けそうだった。
(兄さん.....、あなたは何を背負っていたの?)
その後も遺跡の奥を探索しながら、ジュリたちはさらに多くの“記憶の残響”に触れることになる。だが、どの記録も断片的で、すべてが真実を語っているわけではなかった。
だが確かなことがひとつだけある。
ジュリの兄は、ここにいた。そして彼は、自分の意志で何かを“選んだ”。
それが、この世界を裂け目ごと変えてしまうほどの選択だったとしても。