第四章:黄昏の街オルダ 後編
翌日、ジュリとカイルは遺跡へ向かう準備のため、街の南部にある「ギルド管理区」へと向かった。
「《ルザリアの遺跡》は封鎖されてるって話だったけど…」
「ああ。ただし、許可証があれば立ち入りは可能だ。ただし、瘴気の中で生き残るにはそれなりの知識と準備がいる」
そこで紹介されたのが、一人の女性だった。
深い藍色のローブを纏い、銀縁の眼鏡をかけた若い魔道士。名はリシェル。
「瘴気の研究をしてる変人ですって? まぁ、よく言われます」
リシェルは控えめな笑みを浮かべながらも、どこか自信に満ちていた。
「《ルザリア》に興味があるのは、そちらの“探し物”が関係してるからですか?」
「兄を探してるんです。もしかしたら、あの遺跡にいたかもしれないって」
リシェルは真剣な表情になった。
「あそこには……“裂け目”があるの、ご存じですか?」
ジュリは息をのんだ。
「裂け目…」
「世界の構造が歪み、現実と虚構が曖昧になる現象。数年前から各地に断続的に現れていて、その原因は不明。ただ、私の調査では、何者かが意図的に“開いている”可能性が高い」
「誰がそんなことを」
「それを確かめに行くんでしょ?」
リシェルは微笑んだ。「私も同行させてください。あなたたちだけでは、遺跡の“意思”には対処できません」
「意思?」
「行けばわかります」
彼女の言葉に、不思議な確信があった
三人は翌朝、静かにオルダの南門を抜けた。
空は薄曇りで、風は湿っていた。
「瘴気の発生源に近づくほど、天候が不安定になります。念のため、結界の準備を」
リシェルがそう言うと、杖の先に淡い光が灯った。空気がぴりっと張り詰める。
「魔力の結界……本格的だな」
カイルが感心する横で、ジュリは街の外に広がる風景を見つめていた。
廃れた街道、枯れかけた木々、そして遠くに立ち昇る紫の霧。
「あれが瘴気」
「そう、あの霧の中心に、遺跡があるの。かつて、古代文明が繁栄した場所」
リシェルの言葉を聞きながら、ジュリの心はざわついていた。
あの仮面の男が言っていた“交差点”という言葉が、何度も頭をよぎる。
道中、辺りは静かだったが、違和感はすぐに現れた。
「あれ……遺体?」
道端に倒れていたのは、冒険者風の男だった。胸には黒い痣のような瘴気の痕。
息はなく、その手には壊れた魔石の欠片が握られていた。
「瘴気に触れすぎたのか、それとも……」
カイルが周囲を警戒する。
「待って。誰か、近くにいる」
リシェルが低くささやく。次の瞬間、草むらの奥から、紫の影が飛び出した。
「下がって!」
咄嗟にジュリが叫び、カイルが前へ出る。
飛びかかってきたのは、目が虚ろで皮膚が黒ずんだ人影。だが明らかに、もう人間ではない。
「瘴気に“喰われた者”……」
リシェルの杖が輝き、結界が爆ぜた。
燃えるような魔法陣が地面に走り、影の存在を押し返す。
「瘴気は、ただの毒じゃない。意志を持ち、記憶を喰らい、形を変える」
一体を倒すと、辺りはまた静けさを取り戻した。
ジュリの胸の奥には、恐怖と疑念が渦巻いていた。
「こんな場所に、お兄ちゃんがいた……の?」
その問いに答える者はいなかった。
だが、その先に待つ《ルザリアの遺跡》そこに何かがある。そう思わせるには、十分すぎるほどの気配だった。
山肌に沿って伸びる旧道を登りきったとき、視界がひらけた。
崩れかけた石造りの門、その奥に広がる広大な遺跡
「……ここが、《ルザリア》」
ジュリが呟くと、風が遺跡の間を吹き抜けた。
空気が違う。重く、冷たい。まるで時間の流れ自体が、ここでは異なるかのようだった。
「瘴気、強いわね。魔法結界、強化するわ」
リシェルが呪文を唱え、再び光の膜が三人を包む。
崩れた柱、蔦の絡まる回廊、砕けた像
だが、そのどれもが、どこか奇妙な気配を放っていた。
「なぁ……見ろよ、これ」
カイルが指差した先。壁に刻まれた模様は、明らかに現代のものではなかった。
「古代文字ね。でも一部、現代語に近い表現が混じってる。誰かが、後から書き足した?」
ジュリはその中の一文に、目を奪われた。
【封印は開かれた。時は巡り、道は再び交わる】
「……交わる、ってあの仮面の人が言ってたことに、似てる」
その時だった。
地面がわずかに震え、風が止まった。
「空を見て」
見上げた空には、裂けるように浮かぶ“黒い線”があった。
空間そのものが裂け、奥から別の世界が覗いているような、不気味な違和感。
「あれが裂け目……!」
リシェルが呆然と呟く。「こんなに明確な形で現れたのは初めてよ……」
ジュリの心臓が、ひときわ強く鼓動した。
(この中にお兄ちゃんが?)
次の瞬間、裂け目の奥から“声”が聞こえた。
来るな。
それは確かに“兄の声”に似ていた。
だが、感情がなかった。拒絶でも警告でもなく、ただ“隔たり”を感じさせる音だった。
「お兄……ちゃん?」
リシェルが青ざめた表情で言う。
「この遺跡……裂け目の“起点”になってる。誰かが、ここから開いたのよ……それも、かなり前に」
カイルが剣を抜いた。「誰かが開いた、ってことはつまり、意図があるってことだな」
ジュリはその場に立ち尽くしていた。
声は、どこか懐かしくて、けれど冷たい。
それでもたしかに、兄の面影を感じたのだ。
その夜、三人は遺跡の入り口近くに野営を張った。
炎の揺らめきの中で、ジュリは一人、遠い空を見つめ続けていた。