第九章:封じられた地図
境界の塔を後にした一行は、草原を南へと抜け、小さな村へと向かっていた。
塔の試練と記録の間で過ごした時間は、心と体に重くのしかかっていた。
「ジュリ、無理してない?」
リシェルが焚き火の前で声をかける。
「うん、だいじょうぶ。少し疲れたけど、ちゃんと考えてる。お兄ちゃんのこと、裂け目のことそれに、自分がこの世界にいる意味も」
夜風がそよぎ、焚き火の炎が静かに揺れた。
空には月が浮かび、雲の切れ間から星が瞬く。
カイルは火を見つめながら、ぽつりとつぶやく。
「記録にあった“外の者の行動”ってやつ、全部が善意ってわけじゃなさそうだったな。兄さんは違うとしても、他にも異界から来たやつがいるってことか?」
「うん。兄の記録には、他の“外の人間”に関する記述が欠けてた。それが逆に、気になる」
ジュリはゆっくりと答えた。
セラはその会話を聞きながら、何かを思い出したように呟いた。
「実はね、一度だけ、あの塔で“別の名前”を見たことがあるの」
「別の名前?」
リシェルが顔を上げた。
「“D.L”というイニシャル。彼も、兄君より前にこの世界に来た“来訪者”だったらしい。塔に残ってたのは、その名と、“禁域の地”という記述だけだった」
「禁域の地?」
セラは頷く。「その場所は、地図から抹消されてる。でもね、たった一つだけ」
彼女は鞄から、古びた革巻きの地図の断片を取り出した。
「塔の裏の保管室で見つけた、古地図の欠片。そこにかすかに”ルザリア”という名前があったの」
「ルザリア……」
ジュリがその名を口にした瞬間、胸の奥がざわついた。まるで、聞いたことがあるような、不思議な感覚。
「何か、思い出しそうな……」
次の日、村の宿で目を覚ましたジュリは、夢の余韻にしばらく身を沈めていた。
兄が、暗い空の下に立っていた。
そして、その後ろには、光と闇が混じり合うような場所。石の塔、巨木の門、沈黙の湖、そこに、兄は何かを封印しようとしていた。
夢の中で兄は、振り向かずに言った。
「ここが最後の場所になる。ジュリ、お前が来るなら、ここで会おう」
「……ルザリア……きっと、そこがその場所」
ジュリは起き上がり、拳を握りしめた。食堂で全員が集まった頃には、朝の光がまぶしく差し込んでいた。
「私は、行こうと思う。“ルザリアの遺跡”へ」
「兄が最後に向かった場所。そして、裂け目の謎の中心が、そこにある気がする」
「夢に出てきたのね?」
セラが優しく尋ねると、ジュリはうなずいた。
「うん、不思議だけど、確かに感じたの。あれは記憶じゃなくて、呼びかけ兄の想い、だったような気がする」
カイルが立ち上がった。「だったら、決まりだな。そこに行けば、次に進めるってことだ」
「でも、ルザリアってどうやって行くの?地図の断片だけじゃ」
リシェルが言うと、セラが首を横に振った。
「一人だけ、知ってる人を知ってるわ。古代の遺跡の案内人、“風読みの民”の生き残りが、東の渓谷にいるらしいの」
「風読みの民?」
「彼らは、風の流れで古の土地を読む民。禁域の地を越えるには、彼らの力が必要よ」
ジュリは静かに頷いた。「じゃあ、その人に会いに行こう。ルザリアへの道が、そこから始まる」