第八章:記録の間
塔の螺旋階段は、まるで空へと昇っていくように続いていた。
石造りの壁には古い魔法文字が浮かび上がり、ぼんやりとした光を放っている。ジュリたちは息を殺しながら、静かにその道を登っていた。
「ここが“記録の間”」
セラが立ち止まり、厚い扉の前に手をかざす。扉は、銀の細工が施された堅牢なもので、どこか異質な魔力を纏っていた。
カイルが不安げに周囲を見渡す。「誰かが、ここを守ってるそう感じないか?」
「わかる。けど、もう後戻りはできない」
ジュリは深く息を吸って言った。「ここで、兄の足跡が見つかるなら、行くしかない」
セラが静かにうなずき、扉に魔力を流し込む。数秒のち、重厚な音を立てて扉が開かれた。
扉の向こうは、ひんやりとした空気が漂う広大な書庫だった。
壁に沿って無数の本棚が円形に並び、その中央には、大きな透明水晶がゆっくりと浮かんでいた。水晶は淡く光を発し、まるで心臓の鼓動のように、空間全体を照らしていた。
「これが、記録の間……」
ジュリはゆっくりと足を踏み入れた。彼女の中で、心の奥底に眠っていた感情がざわめく。ここに、兄の痕跡がある。確かな確信があった。
リシェルが棚の背表紙を一つひとつ読みながら、小さく叫んだ。
「これ……“来訪者記録”の一冊かも!」
ジュリが駆け寄ると、そこには確かに、《来訪者:K・M》と刻まれた革表紙の本があった。
彼女は震える手でその本を開き、記された文字を追っていく。
《来訪者記録》
「被験体:K・M【外部世界より転移】。転移方法は不明、時空座標の誤差大」
「被験体は到着後、2ヵ月間沈黙を守る。以降、“観測塔”周辺で独自行動」
「知識水準は高く、魔法への適応力も平均以上。倫理的判断に偏りあり」
「被験体の発言:『俺がここにいることで、妹が来る可能性がある。それだけは阻止しなければならない』と主張」
「目的:裂け目の生成および封鎖手段の確立。世界構造への干渉を試行」
ジュリの声は、震えていた。「お兄ちゃんが、ここに……」
カイルが本の内容を覗き込んで言った。「かなり追い詰められてたんだな。自身を止めるために、何かを封じようとしてたのかも」
「きっと、自分だけが犠牲になればいいって……そう思ってたのね」
リシェルが静かに呟いた。「でも、それって、ひとりよがりの優しさかもしれない」
ジュリは、言葉を失っていた。
兄の残した記録が、彼女の中にじわじわと沁みてくる。優しさと狂気、愛情と絶望が混じり合った文字たちが、彼女の胸を締めつけた。
水晶に近づくと、それが淡く反応し、幻影を映し出した。
そこには、少し成長した兄が立っていた。
「ジュリ。もし、君がこの記録を見ているのなら、俺の計画は失敗したってことだ」
「君を守りたかった。現実の痛みも、この世界の混沌も全部、君に触れさせたくなかった」
映像の中の兄は、やせ細った体で水晶に語りかけるように手をかざしていた。
「だけど、きっと君は来る。来てしまう。そうならざるを得ない。だからせめて、ヒントだけでも残しておくよ」
「俺が何をしたのか、何を守ろうとしたのか、君が自分で確かめてくれ」
光がふっと途切れる。
静寂が戻った空間で、ジュリはそっと目を閉じた。
涙が頬を伝って落ちていく。兄が泣いていた記録と、今の自分の涙が、どこかで重なる気がした。
「これが、兄の選んだ道」
ジュリはゆっくりと顔を上げた。「でも、私は私の道を行く。兄が何を選んだとしても」
カイルが軽く肩を叩いた。「ああ、お前はお前の戦いをすればいい。たとえ相手が誰だとしても」
セラは静かに言った。「ここには、すべては書かれていない。“裂け目”の本当の生成理由や、その後の彼の行動はまだ空白が多い」
「それを、埋めていくのが私たちの旅なんだね」