3:湖で……
エルネスト様にまだ一緒にいたいと言ったら、天を仰ぎ見て顔面を両手で押さえていた。ボソボソと何かを呟いてるんだけど、よく聞き取れない。とおい?とか、がんしろ?とか、なにか言っている。
そして、すぐに何ごともなかったかのように、いつもの笑顔で「もちろんだよ、どこか行きたい場所はあるかい?」と聞かれた。
行くのなら、人がいない場所がいい。
郊外にある湖に行きたいと言うと、あそこはあまり日陰がないからこの時期は暑いけどいいのかと聞かれた。だからこそあの湖がいいのだ。
花が沢山咲いているし、湖は驚くほどに透き通っていて美しいけれど、直射日光が辛すぎて人気がない。
湖の周りには数本だけ大木が生えているので、そこの木陰で二人きりになりたいと言うと、エルネスト様がまた天を仰いでなにやら呟いていた。なぜに?
「あの……嫌でしたら別の場所……」
「いや、ぜひっ! 湖に行こう! 我が家の馬車でいいかい?」
「っ、はいっ! ありがとうございます」
私がしょんぼりとしてしまったからだろう、エルネスト様が慌てたように前のめりになり、ぜひ行こうと言ってくれた。気を遣わせてしまって申し訳ないけれど、ここは甘えておきたい。だって、どうしてもやりたいことがあるから。
植物園から広場に戻り、我が家の御者と侍女に湖に行くことを伝えた。植物園は広場の直ぐ側にあったため、侍女は広場で待機してくれていたが、流石に郊外にある湖ならば同行すると言われてしまった。ちえっ。
協議の結果、エルネスト様の家の馬車にエルネスト様と私が乗ることに。
我が家の馬車にはエルネスト様の従僕と私の侍女が。
侍女から、節度は守って触れ合ってくださいねと釘を刺されたが、そもそもエルネスト様の節度が城壁並みの強固さなので何の心配もいらないと思う。
馬車の中で二人きりになったものの、私は進行方向を向いて座り、エルネスト様は向かい側に座った。分かってはいた、こうなると。
でも普通さ、こういうときって隣同士に座らない? ねぇ?
エルネスト様に隣に座ってと言っても、困ったような笑顔で諭されるだけだった。私は本当にこの人に好かれているのだろうかと疑問に思う瞬間なのだけど、エルネスト様の瞳をジッと見つめると、普段は見せない柔らかな微笑みをこぼしてくれるから、底なし沼にはまってしまったかのように抜け出せない。
湖に到着し、馬車に積んであるピクニックセットからブランケットを取り出した。
途中で買った飲み物や焼き菓子も持ち、木陰に移動する。各々の従者たちには離れているよう言い含めておいた。こういった開けた場所は、そこまでしっかりと監視はされないだろうと踏んで。
「リリアーナ、今日はずっと元気がなかったが、何かあったのかい?」
エルネスト様と並んで座った瞬間に、首を傾げつつ顔を覗き込まれた。眉をへにょんと下げ、本当に心配そうな顔で。
あと半年で、こんなにも優しくて大好きなエルネスト様とお別れしなければならないのかと思うと、心臓が潰れそうなほど痛い。
大好きも、愛してますもまだちゃんと伝えていない。唇を重ねるキスなんて夢のまた夢で、恋人みたいに指を絡めて手を繋いだのは数回。それも一瞬だけ。
「……キスしてください」
だから、つい言ってしまった。
なのにエルネスト様は困ったように微笑んで、誰から何か吹き込まれたのかと聞いてきた。それだけならまだ良かった。
「こんなところで大切な唇は奪わないよ。初めては、結婚式で誓いのキスにしようと約束しただろう?」
そこで私の感情が爆発してしまった。
確かに約束した。夢見がちだった、とっても幼いころに。
私にはもう時間がないのに、いつ挙げるのか分からない結婚式での誓いのキスなんて待っていられない。
「嫌です! いましたいんです!」
「今日のリリアーナは、わがままな子どもみたいだね。そんなリリアーナも可愛くて好きだよ」
仕方なさそうに笑いながらしてもらったキスは、おでこへ触れるだけのもの。
「リリアーナ、ちゃんと考えてね。一時的な感情で後から後悔するかもしれないよ?」
愛されて大切にされているのは分かるものの、いつまでも幼い子どものように扱われていて、モヤモヤが堪えられなくなった。
もう時間がないのに。お互いに結婚していい年齢なのに。エルネスト様が奥手すぎるせいでこんなことになっているのに!
両肩に置かれていたエルネスト様の手を、乱暴に振り払った。エルネスト様の目が見開かれ、エメラルドグリーンの瞳が困惑していることに気付いたけど、見なかったことにする。
エルネスト様の胸をドンと力いっぱい押して、ブランケットに押し倒す。間髪入れずにシュバッと動いて、仰向けで倒れているエルネスト様の腹部に馬乗りになり、胸ぐらを掴んだ。
本当はロマンチックなキスをしたかった。だけどエルネスト様の城壁がごとき節度は崩せそうもない。
それなら奪ってしまえばいいのだ。
「――――リリ、駄目だよ」
エルネスト様の優しい声と、少しだけ悲しそうな顔で、ちょこっとだけ現実に引き戻されてしまった。