三ツ世巡り 幕間
三ツ世巡りの後日譚にあたります。できれば三ツ世巡りから先に読んで頂けるとわかりやすいかと思います。この短編自体は読まなくても全く支障はありません。
夜が来て。
行灯の明かりを頼りに万年筆を走らせる。
「八千代という名の女はそうして永久という名の夫君を喰らい、涙が枯れ、血の涙を流すようになってもまだ泣き続けた」
寝物語を聞くようにじっと耳を傾けて。
「死ねない鬼女は殺される日を待ち続けたんだ。自分が裁かれる日を」
細い煙がくゆる煙管を片手に彼は薄く笑う。
「そして次の世へ旅立った。業を濯げば、きっとまた新たに生を得ることも可能だろう」
弾き語りのように、歌うように、穏やかな波音のような余韻を残して物語は幕を閉じる。
「……稀少な例」
感慨も何もない事務的な言葉を感想に代えて、まだこの心地よい薄暗闇と紡がれた言葉に浸っていたい気持ちに蓋をする。軽く目を閉じ、思考を切り換えてまた筆を走らせた。
「鬼が人の骸を抱えてただ其処に居ただけなんて。教部省の蔵書の事例集にもそんな記述はなかった」
鬼は人に仇なす異形の者。
人と鬼とは相容れない。
鬼はこの世にあってはならないモノ――。
「与太話なんじゃないの?」
「どうだろうな。今となっちゃ真偽のほどは誰にも分らんさ。それに、どちらだろうとオトはそれを記録するんだろう? 帝都のお偉方の目が届きにくい地方の鬼の生態観察」
オトは帳面から顔を上げた。そして煙草盆の淵を叩いて煙管の中の灰を落とす、半ば夜闇に溶けた彼の横顔を見据えて口を開いた。
「これが私の足掛かり。誰にも文句は言わせない」
「俺も文句を言うつもりはないさ」
タギはいなすように笑い、少し開いた障子の向こうの更に向こうから聞こえてくる喧騒に耳を傾けた。
「いい夜だ」
「今夜は新月で月もなく、外からは出来上がった酔っ払いの笑い声しか聞こえないんだけど」
オトの素っ気ない物言いにも、タギは構うことなく穏やかに笑う。
「けど楽しそうだろ? 酒は楽しく酔えるのが一番いい」
「あんたは酔わないじゃない。更に言うなら、僧侶は飲酒戒があるってことをいい加減覚えたら?」
「昨今の帝都じゃ坊主の戒めも随分緩くなってるからいいんだよ。時代ってやつだ」
タギには何を言っても万事が万事この調子だ。暖簾に腕押しとは彼のために生まれた諺ではないかとすら思えてくる。
オトとタギの付き合いももう短くはないが、未だかつてこの生臭破戒似非坊主に口で勝てた試しはない。
不快なことこの上ない現実に万年筆を握る手につい力が籠りインクが滲んだ。しまった、と思った時には文字はオトの心情を表わすかのように、刺々しく乱れた文字が連なっているという状態になっていた。
この調子では書き直しても同じことになるだろうと思い、オトは万年筆を置いて帳面を閉じ、いずれ提出するための物は後日書き直そうと決め、文机に手を置いて立ち上がった。
「……じゃあそのせっかくのいい夜とやらのことだし、私も一杯飲んでくる。坊主はとっとと寝るがいいわ」
「何だよ、自分一人で楽しむ気か? 俺も行くに決まってるだろ?」
暑さに胸をはだけた藍染めの着流し姿のまま、タギは勢いよく立ち上がった。その姿にオトは目を剥く。
「ちょっと、襟元!」
「暑いんだよ。梅雨が明けると夜も蒸して嫌になるよな」
オトの苦情など右から左に、タギは団扇を仰いで少しでも涼を得ようとしている。
「見苦しい! 嫁入り前の乙女を前に、もう少し気遣いはできないものなの!?」
「嫁入り前の乙女が男と同じ部屋に寝泊まりしてる時点でもう色々おしまいだろうに」
「仕方ないじゃない! 一部屋しか空きがなかったんだから! 文句あるならタギは野宿しなさいよ」
「俺は文句なんて別にねーよ?」
飄々とした調子でタギは襖を開けて廊下へと出ていく。
「少しはあんたも気にしなさいよ! 仮にも僧侶が女人と相部屋だなんて……女将も不審極まりない目で見ていたじゃない」
一宿を求めた時、この宿の女将は「坊主と若い娘が……?」とあからさまに不審な顔でオトとタギを見比べてきたものだ。
「……絶対駆け落ちか何かだと思われたわ」
不本意な誤解に肩を落とすオトに、彼は呑気な笑い声を上げる。
「好きに思わせとけって」
「あんたのその図太い神経、本当にうらやましいわ」
「お褒めに与り恐悦至極に御座候」
「よく今の言葉を褒め言葉なんて受け取れるわよ……古風な言い回ししちゃって」
「何でも悪いほうに考えるよりは、いいほうに考えたほうが人生楽しいぞ? せっかく生まれてきたんだから、楽しまなきゃ損だろ?」
タギは団扇を担ぐようにしてニッと笑って振り返った。子供のようなその顔を見ていると怒りも萎えてくる。オトは怒らせた肩を納めて小さく独りごちた。
「似非でも腐っても、坊主よね」
「ん? 何か言ったか」
「……偶には酒代奢ってあげなくもないけど? って言ったの」
呆れ顔で言ったオトに、タギが勢いよく体ごと振り返る。
「マジで!?」
タギの目がきらきらと輝き、オトの手を取った。
「よし! 今夜は飲み明かすぞ!」
「一升まで」
ぴしゃりと浴びせられた一言に揚々と歩き出したタギの足が止まり、これ以上ないほどがっかりとした顔を向けてくる。
「だってタギは飲ませると際限なく飲むんだもの。冗談じゃないわよ。一升ってだけで感謝なさいな?」
花も綻ぶような笑顔で言うオトにタギは何か言いたげにしたものの、肩を落として歩き出した。
「あんたは仮にも僧侶なんだから。一升も飲ませるってだけでもどうかと思うのよ」
「オトは厳しすぎだっての……」
がっくりと重々しく息を吐くタギに、オトは笑う。
「あんたがその調子だもの。私がこれくらいのほうがバランスも取れるでしょう?」
そうして二人は宿を出て夜も更けたというのに未だ賑わっている道を抜け、赤い提灯の飾られた酒屋の暖簾をくぐった。
了
以前書いた三ツ世巡りの後日譚でした。本編からお付き合いくださった方もこの短編だけ読んで下さった方もありがとうございます。
本編主人公のタギとその旅の一応の同行者である本編最後にちょこっと顔を出したお嬢さん・オトのお話でした。
部屋がなく相部屋などとなっていますが、今のところこの二人は恋人同士だとかそんな素敵な関係は一切ありません。こう腐れ縁的な二人です。
タギが主人公となっている本編も先日新たに書きましたので、時間がありましたらまたこちらに載せたいなと思っていますので、もし機会がありましたらどうぞよろしくお願い致します。




