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アミーリアはただ黙ってアーノルドの話を聞いていた。
黙って聞いていただけだがだんだん眉根が寄っていく。
クルーズ辺境伯領の外はそんなことになっていたんだ……私は何にも知らなかった、と唇を噛んだ。辺境伯たちはおおよそのことを知っていたらしい。でもアミーリアには一切告げなかった。アミーリアは只々ここでの生活を楽しんでいた。
ちなみに結婚はしていない。シェリル夫人は今すぐ結婚しなさいと言っていたが辺境伯の子息がそんなに簡単に結婚できるのかと不思議だった。
ルーファスに聞くと「俺は次男だから平民になってしまえば領主の許可だけで結婚できるよ。領主は父上だし」と笑っていた。
ルーファスは気軽に笑っていたがアミーリアはそうはいかない。ご領主様のご子息を自分の為に平民にする訳にはいかないと思った。アミーリアの結界のおかげで早急に結婚しなくても良くなってルーファスとの仲は宙ぶらりんのままだ。それでもルーファスは聖騎士のルークだったころのように親切でアミーリアの傍に居てくれ、ルークだった頃より甘い言葉を囁き、距離も近くなっていた。
アミーリアは辺境伯の計らいでいろいろな事を学ばせてもらったり父の庭師の仕事を手伝ったりルーファスと街に出かけたり、今まで出来なかった生活を楽しんでいた。
俯いたアミーリアの手をルーファスがそっと握った。
「アミーリアが気に病むことは何もないよ」
ルーファスが優しく囁くとアミーリアは言った。
「気に病むっていうより腹が立っているの。王都の聖女様は本当の聖女様って言っていたのに苦しんでいる人たちを放って王都に帰っちゃうなんて。ねえルーク、私魔獣の被害に遭ったところに行きたい」
「アミーリア、魔獣は騎士団が倒してくれただろう。君はもう聖女じゃないんだから行かなくてもいいんだよ」
「……うん」
自分が聖女じゃないのはわかっている。それでも聖女様と言われていた時は自分の出来ることを精一杯頑張った。お掃除もお祈りも辛いことも沢山あったけど頑張った。聖女様はこうでなくちゃいけないと言われたことを頑張ってきたのだ。本当の聖女様ならアミーリアよりもっと凄いことが出来るかもしれない。でも聖女様は王都に逃げ帰ってしまったという。現地の人たちは今も苦しんでいるかもしれない。それなら大したことは出来なくても現地の人のために少しでも祈りたかった。
「……やっぱり行きたい。行って襲われた人たちがもう心配ないようならそのまま戻ってくる。この目で確かめたいの」
下からウルウルと見上げられてルーファスはため息をついた。
「……わかった。こっそり行こう」
アミーリア達はこっそりプライサー伯爵領に向かうことにした。
一番気を付けなくてはいけないことはアミーリアがクルーズ辺境伯領の外に出たことを知られることだ。知られて国王たちにアミーリアを奪われてしまうことだった。
護衛はバートランドが自ら引き受けてくれた。
「アミーリアちゃんの身は絶対に守るぞ。任せとけ!」
ドンと胸を叩いたバートランドは頼もしい。ルーファスは聖騎士をやっていただけあって腕に覚えがある。王都の騎士たちに負けない自信もある。でもこの兄には勝てたことが一度も無かった。
今はアミーリアの結界のおかげで領地に魔獣が入ってこないが以前はプライサー伯爵領より何倍もクルーズ辺境伯領の方が魔獣の出現率は高かったのだ。それでもバートランド率いる領地の精鋭騎士団が魔獣を一掃してきたのだった。
目立たないように行商の商人の格好に身をやつしたアミーリア達がプライサー伯爵領に着いたのはわずか一日後、アミーリア、ルーファス、バートランドと辺境伯領の騎士二名。
プライサー伯爵領の西端、カジャの町は酷い有様だった。町の半数の建物は壊れ、残りもどこかが壊れているような状態。畑は荒らされたままだ。町の人に聞くと騎士団は魔獣の討伐はしてくれたがそれが済むとそそくさと王都に帰ってしまい、現在ご領主様が国王陛下に復興の支援を依頼してくれているもののなかなかいい返事が得られないようである。虚ろな目で話を聞いた者はそう語った。怪我人は残った建物の中で一番大きな町長の自宅に集められているようなのでまずはそちらに向かった。
町長の家は怪我人で溢れ返っていた。
アミーリア達が家に入ろうとした時に見咎めた者が近寄って来た。
「お前たち!ここに何の用だ!……はっ!聖女様!?」
彼は数年前、この地で祈ったアミーリアの事を覚えていた。
「聖女様が俺たちを助けに来てくれた――!!」
「あっ!待って!私は聖女様では―――」
喜び勇んで彼は町長に報告に走って行った。
「はわわ……どうしようルーク」
アミーリアの困った顔にルーファスは苦笑した。遅かれ早かれアミーリアの正体はばれるだろうとルーファスは思っていた。それでここの人たちがどんな反応を見せるかはわからなかったが。聖女が来たと喜んでくれるか、偽聖女だと糾弾されるか。
「聖女様!ありがとうございます!」
感涙にむせぶ町長にアミーリアは言った。
「私は聖女じゃありません。聖女ではありませんが皆さまの為に少しでも祈りたいのです」
アミーリアは祈った。
祈りを終えた時にはこの家に集められた怪我人たち、看病する者たちの顔に希望の光が戻ってきていた。アミーリアが祈ると何故だか力が湧いてくるのだ。頑張ろう、怪我を治して見せる、この町を復興してみせると意欲が湧いてくるのだった。
「「「聖女様!!ありがとうございます!」」」
皆にキラキラした目で見つめられてアミーリアはたじろいだ。
「ちっ違います!私は聖女様じゃありません。私はちょっとお祈りさせてもらっただけで……ここに居る怪我した人たちを助けるのは皆さんです。そして早く治りたいという心です。皆さんが頑張ればディオーネール様は後押しして下さいます。私も微力ながらお手伝いさせていただきます」
「「「はいっ!!偽聖女様!」」」
人々は献身的に看病し、怪我人たちはめきめきと回復した。アミーリア達が来るまでは手当ての甲斐無く亡くなってしまう者もいたが、アミーリアが祈ってからはもう助からないだろうと諦めていた重症者たちまでが驚異的な速度で回復しだした。
薬などの物資は領主が必死になってかき集め、ルーファスの知らせでクルーズ辺境伯からも薬や食料などの支援物資が届けられた。
怪我が癒え、気力を取り戻した町の人達は積極的に町の復興に取り組み始めた。
一度、騎士団が討ち漏らした魔獣が町に彷徨い出そうになったが知らせを聞いたバートランドが嬉しそうに「任せとけ!」と飛び出していき、町の手前で見事仕留めて帰って来た。
そして壊滅的だと諦めていた畑から蘇った作物がまた葉を伸ばし始めた頃、アミーリア達はカジャの町を後にした。僅か十日の滞在だった。
出立の際はプライサー伯爵自ら見送りに来た。
「プライサー伯爵、我々がここに来たことは……」
「わかっていますよ。私たちは誰にも喋りません。偽聖女様、クルーズ辺境伯のご子息様方。本当にありがとうございました」
プライサー伯爵は深々と頭を下げた。
クルーズ辺境伯のお屋敷に帰ってくるとアーノルドがなぜか家令に納まっていた。
そうしてもう一人。
「え!?」
話を聞いてアミーリアは駆け出した。
パタパタと走ってそのドアの前に来ると息を整えそっとドアを開けた。
「おじいちゃん……」
そっと部屋に入るとベッドで寝ていたその人はうっすらと目を開けた。
「おお……アミーリア」
かすれた声でアミーリアの名前を呼んだその人はヴァージル・マクリーン大司教。
マクリーン大司教はアミーリアを辺境の地から連れて行った時の矍鑠とした元気な様子とは打って変わって落ちくぼんだ目でアミーリアを見上げ骨ばった手を弱々しく差し出した。
その手を両手でぎゅっと握りアミーリアは「おじいちゃん、早く良くなって」と祈った。