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三か月後、クルーズ辺境伯のお屋敷に一人の訪問者があった。
この三か月は平穏も平穏、超平穏だった。
アミーリアの結界のおかげで国王の使者はこの屋敷を訪れていない。中央教会の使者も然り。国王から何の命令も無いのだからルーファス達が動くことも無い。国王の使者だけでなくこの一か月はクルーズ辺境伯領に盗賊やならず者などが出ることも無く、魔の森から時折彷徨い出て人を襲う魔獣さえ現れないのでバートランドは少々不服そうだった。
アミーリアは家族とも再会を果たし、家族はただご領主様のお屋敷に滞在するのも気が引けると言って庭師として働き出した。
本当は国王やダニエルの手の者が何度もやって来たのだが誰一人クルーズ辺境伯の領地を踏むことはできなかったのである。
「よくここにたどり着けたな」
お屋敷に迎え入れられ応接間で辺境伯、バートランド、ルーファス、そしてアミーリアと向き合った訪問者は第一声からそんな言葉を掛けられた。
「突然の訪問お許しください。それにもかかわらず招き入れていただきありがとうございます。私はアーノルドと申します」
宰相の息子にしてダニエルの側近だったアーノルド・セイヤーズ侯爵令息は優雅な礼をした。
「どうやってここに来ることが出来たんだ?アーノルド・セイヤーズ侯爵令息」
そろって椅子に腰かけ侍従が飲み物を出すのも待ちきれず辺境伯が問いかけるとアーノルドは不思議そうに首を傾けた後言った。
「どうやってって普通に馬車に乗ってですよ?そんなに豪華な馬車ではないですけど。ああ、僕は家を出ましたから今は只のアーノルドです。もちろん側近も辞めました」
その言葉でルーファス達は理解した。アーノルドは王宮の職を辞したのでこの領に入ることが出来たのだろう。
「その一介のアーノルドがどうして辺境の地へ?」
ルーファスの問いかけにアーノルドは恨みがましそうにルーファスを見た。
「ルーファスに文句の一つも言ってやろうと思って」
「う……」
アーノルドの視線にルーファスはたじろいだ。
「僕はダニエル殿下とボイデル司教の悪事を裁きたいというからルーファスに協力した。聖女様を婚約者にしたダニエル殿下は王太子の第一候補だったから父から側近になるよう言われた。でも側近になってダニエル殿下はとても王になる器じゃないと感じていたんだ。そんな時に君に協力して欲しいと言われて僕はダニエル殿下の素行を調べた。その時は調べた結果を君に教えるつもりは無かったが想像以上にダニエル殿下の素行は悪かったよ。聖女様に歩み寄ることもせずフレデリーカ侯爵令嬢と遊興に耽り予算の無断着服はする、賄賂を受け取って悪事を見逃す、逆に賄賂を渡してメイドや近衛騎士を買収して公にされては都合の悪い行動は徹底的に秘匿していた。そんな殿下に愛想が尽きて僕はせっせと不正の証拠集めをした。あの夜会で、君と一緒にダニエル殿下たちの悪行を暴露する筈だったのに……君は……」
「すまなかった!!!」
ルーファスは勢いよく頭を下げた。アーノルドは理知的で冷酷に見える。実際に頭は非常によく切れるがもっと利己的な人間だとルーファスは思っていたのだ。
ルーファスに協力してくれるのは自分か自分の家に利益があるためで早々にダニエルを見限って第二王子の陣営に取り入るためだろうと思っていた。こんなに純粋に悪いことを正そうとしているとは思わなかったのである。
暫くアーノルドはルーファスを恨みがましい目で見ていたがやがてふうっとため息をつくと諦めたように言った。
「……でもルーファスの判断は正しかったと思うよ」
そうしてアーノルドはその後の王宮の話を語ってくれた。
夜会の次の日、もちろんダニエルやフレデリーカは街の清掃なんかしやしない。豪華な食事を楽しみながら部下に「適当にやっとけ」と指示を出しただけだ。二人はもう婚約を認められたとばかりに同衾し所かまわずいちゃつき始めた。アーノルドは一応苦言は呈した。フレデリーカに聖女のお勤めに行くように促した。アミーリアは毎日教会の最奥の礼拝堂で国の安寧を祈っていたことを知っていたからだ。
結果、アーノルドは側近から外された。惜しくもなんともなかった。
国王と宰相が帰って来てからまた風向きが変わった。
帰国直後ダニエルは国王にきつく叱責されたらしい。しかし多くの貴族の前で言ってしまったことは取り消せない。この上フレデリーカの父ティリット侯爵も敵に回すことは得策ではないと考えたのであろう。国王は暫く静観することに決めたようだった。ダニエルにはフレデリーカにちゃんと聖女として実績を示させろと厳命して。
ダニエルはなんとかアミーリアを連れ戻そうと何人も手の者を送ったが一人としてクルーズ辺境伯領にたどり着けなかった。その一方でダニエルはボイデル司教と組んで聖女の功績を演出した。ティリット侯爵の子飼いの貴族に領地にお祈りに来て欲しいと嘆願させフレデリーカに祈らせた。それを神秘的に演出して多くの者に目撃させたのだ。そうして王都やいくつかの領地ではフレデリーカは本当の聖女としてあがめるように操作した。
一方でフレデリーカ聖女説に根強く疑いを持っている者たちもいる。嘗てアミーリアに助けられた領地の者たちだ。彼らは慎重に王家と距離をとっている。
国王は一旦は静観のそぶりを見せたがアミーリアの事を諦めていなかった。何とか呼び寄せ第二王子の婚約者に据えようとしたが第二王子に拒否され今は自分の側室にすべくせっせと使者を送っている。もちろん一人としてたどり着けていないので騎士団一個師団まで向かわせたが無駄だった。それでも国王は諦めていない。武力行使をしてでもアミーリアを奪うつもりでいる。
アーノルドは側近を首になった後第二王子の側近になるよう宰相である父に言われたが断った。そうして屋敷でぶらぶらしている振りをしながら色々な情報を集めていた。だからフレデリーカの自作自演の聖女としての功績も、国王が静観している振りをしながらアミーリアを何度も連れ戻そうとしていることも把握していた。宰相は国王がどうしてそこまでアミーリアに執着するのか理解できず、最初は第二王子に取り入ろうとしたが聖女として名声を得たフレデリーカとダニエルに再び歩み寄ろうとしていた。アーノルドからダニエルやボイデル司教の悪事について聞いていたのにである。
アーノルドがほとほと嫌気が差していた時にまた事態が一変した。
アミーリアがいなくなってから様々なことが少しずつ悪化していた。そして決定的なことが起こった。
ここから二つ隣のプライサー伯爵領で多数の魔獣の襲撃があったのである。プライサー伯爵領はこのクルーズ辺境伯領以外で唯一魔の森と接している領地だ。
前回アミーリアは魔獣の襲撃の報を聞いてすぐ現地に駆け付けた。魔獣は魔の森から出てくるので魔の森と領地の境に結界を張った。結界は一か月程度しか持たないがその間に騎士団が大規模な魔獣狩りを行い事なきを得たのである。
魔獣が発生し、聖女に現地に行って欲しいと要望が入ったが、フレデリーカは拒否をした。「そんな怖いところには行けない」と。国王が厳命し渋々ダニエルと共に現地に向かったフレデリーカは魔獣に襲われ怪我を負った。アミーリアの時と違ってのろのろと豪華な馬車で現地に向かったフレデリーカ達だったので現地に着いたときには騎士団が先に到着しており半数以上の魔獣が倒された後だったのにも関わらずにである。
怪我自体は浅手だったがフレデリーカとダニエルは王都にとんぼ返りをした。前回アミーリアがしたように怪我を負った人々が早く良くなるようにとお祈りをすることも無く。
このことからフレデリーカに対する不信感は貴族、平民問わず一気に膨れ上がった。
二人は国王陛下の命で謹慎させられ宰相はまた掌を返して第二王子にすり寄ろうとしている。アーノルドはついに父と縁を切り出奔してクルーズ辺境伯領までやって来たのだった。
「まあこんなところがここ三か月の出来事だけど当然君たちは把握していたんだろう?」
アーノルドの言葉に辺境伯もバートランドもルーファスも肯定も否定もしない。
ややあってルーファスがぼそりといった。
「知らないこともあったぞ。お前の気持ちとかな」