第一話。交渉成立
弧川不游です。初投稿です。
よろしくお願いいたします
『こんな俺に、一つだけ望ませてください』
声はただ祈る。
『俺はきっと……消えゆく存在です。俺はずっと、この世界を楽しいと思って、誰かを操ってきた。誰かをここに繋ぎとめてきた。誰かを――追い詰めてきた』
声は、自分を責める。
何者にもなれない概念だけの存在、そして――いずれ存在すらも消える。
『あの少年の意思で、ようやく目が覚めました。俺の想いより、彼の意思の方が、強かったんです。でも……でも、彼女は悪い人ではないんです!』
『いずれ彼女は救われるでしょう。俺のことも忘れ、俺という呪縛から解放され。――それが最適解なのかは、俺にもわかりませんが』
声の苦笑いは、誰にも届かない。
『……この世界は、あの二人が思うより苦しくないんです。優しくて、暖かい。まるで家族のように――』
声は何かを言いかけ、そしてやめた。
『――身勝手なのは重々承知です! でも、どうか――どうか、俺たちの愚行をお許しください。家族が欲しいと欲張った彼女を、幸せと思うがまま誰かを苦しめてきた俺を、どうかお許しください――』
少しの未来に響く、声の願い。
△ ▼ △ ▼
硬い土のような感覚の上で目を覚ます。
目の前に広がるのは、見知らぬ景色。
「――……あれ、僕どうしたんだっけ……」
少し乱れた黒髪に、桃色の瞳が輝く。
薄汚れた白いジャージを着ていて、肌のところどころに青と紫と細い赤が見受けられる。
伊月悠真は十一歳、この状況が理解できなくても当然だった。
見知らぬところにいたという戸惑いより、違和感に対する声が先に出た。
なんとかしてここに来るまでの記憶を思い出そうとしたが、もやがかかって思いだせない。
記憶の九割が消えていて、自分が誰なのかもあやふやになる。
自分が伊月悠真であること、自分の年齢は覚えているようだった。
周りを見渡してみると、空は黒と白が入り交じり、自然と言えるような緑もなくて、荒れ果てた建物が目に映る。
いつも見る街並みなど跡形もない、ここは別の世界なんじゃないかと思うほどの光景に、悠真はゾッとする。
「どこだろう、ここ……」
少し歩いてみて、見つけたもの。
それは、ここが別の世界であることを物語っているものだった。
「……」
「な、なにこれ……人?」
もとはきっちりしていたのだろうか、今は薄汚れたスーツを着ている。
白い手袋も薄汚れているが、あまり目立たないところに汚れはついていた。
背は悠真よりずっと高く、そしてとても細い。
その者の近くには、小さな肩掛けバッグがあった。
体だけ見れば普通の人間だった、……体だけ見れば。
頭と思われる部分にあるのは、悠真が知っているような頭ではなかった。
頭だと思われる部位には翡翠色の箱となっており、正面には大きな鍵穴がある。
上部にはアンテナのような触角のようなものがあるが、ふにゃりとたれている。
あまりにも非現実的なソレに、悠真は恐怖と興味を抱いていた。
「――……あ、え……?」
「!?」
喋った、間違いなく喋った。
その声は苦しそうで。
どうしようどうしようと悠真が戸惑っていると、ソレは助けを求めた。
「――……あの……水かなにか、もってませんかね……?」
「えっ!? あ、えっと――」
辺りを見渡してみた悠真は、ふと自分の背中に重量があることに気づく。
いつの間にか背負っていたリュックには、ペットボトルのお茶六本とたくさんの食料……具体的にはサンドウィッチがあった。
なんだこれはと思いつつも、目の前にいるその人へ食料の一つとペットボトルのお茶一本をあげた。
「こ、これ!」
「ありがとうございます……」
すると、ソレはとても静かに、それこそ消えそうなほど静かに食べ始めた。
――どうやって食べているのかは知らないが、わかることは……鍵穴の中に食べ物や水を放り込んでいた。
どうやらソレはとても弱っていたようで、食べ終わったあとも生きていることを確認するように呼吸をして言葉を発することはなかった。
△ ▼ △ ▼
「――ありがとうございます。見ず知らずの私を助けていただいて……」
「い、いや! 無事でよかったです!」
悠真はそう言い、純粋な笑みを浮かべた。
「あの、名前は――」
「名前、ですか――うーん、なんでもいいですよ」
悠真はソレに名前を聞いてみたが、答えは得られなかった。
「なんでもいいのか……うーん、じゃあ! 鍵穴さんってのは?」
「鍵穴? ――……あぁ、私の頭のことですか」
その人は――鍵穴は悲しそうな声で、四角の頭を軽くたたいた。
「昔はこんな頭じゃなかったのですが……」
悲しそうな声で、苦笑する。
でも、鍵穴はその名前を気に入ったようだった。
「そんなことより、こんな所に人が来るなんてめずらしいですね」
「じ、実は――」
悠真は鍵穴に事情を説明する。
記憶があまりないことも、どうすればいいのかわからないことも。
話していくうちに緊張がほぐれていって、悠真の敬語が外れた。
それを聞いた鍵穴は少し固まって……そして考える。
「――なるほど、そういうことですか……貴方、帰りたいですか?」
「う、うん!」
「そうですか……それじゃあ、私がサポートしましょう。私、帰る方法を知っているので」
「えっ!?」
知らない人についていていってはいけない、ということは悠真も頭の隅にはおいていた。
しかしまぁ、この状況で帰る方法があると言われたのなら。
信じるしかないのだ。それ以外に、策はないから。
「助けてくれたご恩もありますし、私もここにいるのは本当に辛かったので……一緒にこの世界から逃げませんか?」
鍵穴は立ち上がり、悠真に手を差し出した。
――。
悠真は少し考える。
この状況で安易に人を信じるのはよくない。それは十一歳の悠真でもわかっている。
しかし、何も希望がない――希望を自ら消すぐらいだったら、半信半疑でついていってもいいだろう。
「逃げる」という言い回しに少し疑問を感じたが、言葉のあやだろうと割り切る。
大丈夫だ、帰りたいという気持ちに、嘘はつけない。
少しの間を置いて、悠真は答えた。
「うん、逃げよう!」
悠真は、鍵穴の手を取った。
△ ▼ △ ▼
「それでは、一緒に行動するということで……って、なんですかその傷!?」
「えっ?」
白いジャージから垣間見える青と紫、細長い赤。
ジャージで隠されてはいたが、腕には無数の赤い線があって。
顔にあるのは絆創膏にガーゼ。
それでも隠しきれない傷が、悠真にはあった。
「待っていてください! 今治療……はできないですが、包帯ぐらいなら――」
「だ、大丈夫、ありがと」
鍵穴は小さな肩掛けバッグから何かを取り出そうとしたが、悠真はそれを止める。
「大丈夫だよ、痛くないから」
「そう、ですか……痛みが出たらすぐ言ってくださいね!?」
ありがと、とだけ悠真は言い、傷を見て不思議そうに首をかしげた。
こんな傷、ついた覚えがないのに……と。
「……あ、そういえば、貴方のお名前は?」
「えっ、あ、ゆ、悠真、伊月悠真」
「なるほど……、悠真さん、よろしくお願いいたします」
そう言うと鍵穴はお辞儀をした。
かなり深々と頭を下げているので、少し罪悪感に似た感情が湧く。
そんなことを思っていると、鍵穴が頭を上げた。
「それじゃあ、行きましょうか」
「うん……でも、どうやって帰るの?」
まだ何も話されてない。
この非現実な状況下から逃げる策を、悠真は考えられなかった。
「あぁ、申し訳ございません。まずはそこからでしたね……ただ――」
「ただ……?」
「……あそこにあるの、わかります?」
そう言って鍵穴が指さすのは、大きく目立っている塔。
せいぜい高くて二階程度の周りの建物とは比べ物にはならないぐらい高い。
灰色の雲を突き抜け、そこから先は見えないほど。
窓は螺旋状にはめられており、童話に出てくるような……そんな塔。
「な、なにあれ……」
「あれは、この牢獄を管理している「終点」です。あそこの最上階に列車があり、そこに乗れば帰れるのですが――そもそもの話入口にたどり着くまでも、全部が全部長いんです」
終点。
主に列車・電車・バスなどが最後に到着する所。
なぜそんなものがここにあるのか、悠真にはわからなかった。
「それでも、貴方は帰りたいのですか?」
「……」
帰りたい。
でも、何故そこまで自分は帰ることに執着するのか。
思い出せない記憶の中に、理由はあるのだろう。
記憶を思い出そうと、頭を回してみる。
回して、まわして、回して。
もやがかかった記憶の、一部が晴れる。
本当に少しの記憶で、静止画のように頭に流れ込んでくる。
「――……!?」
なにがなんだかわからない、そんな記憶。
理解が追い付かなくて、夢のようにすぐに忘れてしまう。
でも、その記憶は本当に苦しいものだった。
「ど、どうしましたか!?」
「はっ、え、いや……なんで」
「だ、大丈夫ですか……!?」
「――……ご、ごめん。ちょっと怖くなっちゃって……」
取り繕うように笑う悠真だが、体は震えていて、余裕がないことはすぐにわかる。
頭の中がグルグルして、とても気持ち悪い。
悠真が嫌な記憶を思い出してしまったことを察したのか、鍵穴は悠真を抱きしめ背中をさすった。
「……ごめんなさい、思い出したくない記憶を呼び覚ましてしまいましたね…………大丈夫ですよ。信頼はできないかもしれませんが、私はここにいます」
鍵穴に抱きしめられ、呼吸が落ち着いていく。
暖かくて、心地よくて。
久しぶりのぬくもりだった。
悠真はそのまま眠りについた。
△ ▼ △ ▼
「ん……うん?」
「あ、起きました。もう少し寝てていいですよ、闇を取るには質の良い睡眠が一番です」
何をしていたんだっけ?
まだ半分夢の世界にいる自分を引き戻し、考える。
そして、今鍵穴に膝枕をされていることに気が付いた。
「あ、膝枕……」
「そうです。さすがに地面に寝かせるわけにはいきませんからね」
「――……あはは、ありがとう」
悠真はふと、自分の頬が赤くなっていることに気づく。
鍵穴はそれに気づいていたようで、ふふっと笑った。
「――やっぱり、恥ずかしいですか?」
「……うん、ちょっとね……」
そう言い悠真は鍵穴から目線を外す。
「あはは、ごめんなさいね。初対面なのに、こんなこと……」
「いや……ありがと。安心できた」
「……! ――そう言ってもらえて嬉しいです」
安心できたのは本当なのだが、それよりも不思議なのは――先程見た記憶が思い出せない。
辛い記憶を見たという事実は覚えているのだが、肝心のそれが何かを思い出せないのだ。
悠真は上半身を起こす。
「あれ、もういいんですか?」
「うん、ありがとう」
そう言い、悠真は自分についてある傷を見る。
この傷が何なのかは、悠真には今の所わからない。
ズキズキとして痛いと感じたが、そこまで気にするような傷じゃない。
無意識にそう感じてしまう理由は、悠真にはわからなかった。
「――……どうします? そろそろ行きますか? いきなり見知らぬ世界に来たことへの混乱がまだ残ってると思うので、自分は貴方の判断に従いますが――」
鍵穴は立ち上がり、両手を腰にあてる。
「ありがとう。ううん、大丈夫。行こう」
悠真も立ち上がり、鍵穴の方を見た。
少し怖いという気持ちもある、が。
この状況にいて途方もない時間を過ごすよりも、怖くはない。
「さ、行きましょうか」
「うん!」
そう言葉を交わし、悠真と鍵穴は終点に向かって歩き出した。
△ ▼ △ ▼
しかし、ここから終点までの道のりは長いもので、歩きで二日か三日ほど。
そんな距離からでも見えるのはそれほどまでに終点が高くて大きいからであった。
腹の減りや睡眠欲は感じなかった……ちゃんと睡眠もとったし食事もしたが。
休憩もたびたびしていたが、何の異常もなく歩き続けられたのは、きっとこの世界だからだろう。
△ ▼ △ ▼
二日半ほどかけて着いたのは大きな塔。
遠くから見ていた時よりもずっと高くて大きい。
悠真は足がすくんでいた。
「――……大丈夫ですか?」
「……」
怖い、怖い、行きたくない。
怯えが頭を支配する。
そんな悠真を見て鍵穴は悠真の手をつかんだ。
乱れる呼吸と怯えは鍵穴の手に吸い込まれていくように、落ち着いていく。
そして悠真は一つの怯えにたどり着いた。
――帰りたい、と。
それは、臆病な悠真を前に進ませる怯えだった。
「――大丈夫」
「――……悠真さん、あなたは……どんなことがあっても、帰りたいですか?」
「……うん、帰りたい」
「……そうですか。では――行きましょう」
鍵穴はそう確認し、覚悟を決めたように悠真にそう言う。
そして、悠真達は終点の中へと足を踏み出した。
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二話からは本格的に終点を探索していきますので、どうぞよしなに