僕は……あなたが、好きです。
「イルゼ……ちょっと海でも見に行こうか」
「海……ですか?」
地下牢への出入口を警備している衛兵の意識を刈り取ったイルゼが、不思議そうな表情を浮かべる。
まあ、こんな夜中にいきなりそんなことを言われたら、戸惑うのも無理はないよね。
「うん。僕は、イルゼと話がしたかったんだ」
「……かしこまりました」
このガベロットの王宮は入江に建っているため、ちょっと庭に出ればすぐに中央海が一望できる。
僕達は庭へやってくると、並んで真夜中の海を眺めた。
「風が気持ちいいね」
「…………………………」
そう話しかけるも、イルゼは無言のままだ。
「……ねえ、イルゼ」
「はい」
「どうして君は、僕と距離を置こうとするの?」
「っ!?」
直球での質問に、イルゼは息を呑む。
もう、まどろっこしいのはやめだ。
僕は、また元どおりの関係に戻りたい……いや、もっと前に進みたいから。
「…………………………」
「…………………………」
しばらく沈黙が続き、波の音だけが暗闇の中で響き渡る。
そして。
「……私は、大変な過ちを犯してしまいました」
ようやく、イルゼが重い口を開く。
悲痛な表情を浮かべながら。
「私の役目は、ルイ様をこの命をかけてお守りし、慰めること」
「…………………………」
「なのに私は、あなた様をお守りするどころか、命の危険に晒してしまいました……いえ、誰よりも大切な命を、失うところだったのです」
やっぱり、そんなところだろうとは思った。
責任感の強いイルゼのことだ。今回の毒殺未遂を受けて、絶対に自分を責めていることは分かっていたから。
「これは全て、私が甘えていたからです。私が、夢を見て、自惚れて、それで……っ」
「ねえ、イルゼ。君の言う『甘え』や『夢』、それに『自惚れ』ってどういうこと?」
「っ! …………………………」
少し強めの口調で問い質すと、イルゼは目を伏せ、唇を噛んでしまった。
でも、僕はこのままうやむやになんてさせないから。
「君が答えてくれるまで、僕は何度でも問い続けるよ」
「…………………………」
僕が本気だと分かったからだろう。
イルゼはゆっくりと顔を上げ、潤んだ藍色の瞳で僕を見つめると。
「私は……私は、あなた様の特別なのだと、『甘えて』いたのです。『夢を見て』いたのです。『自惚れて』いたのです」
「…………………………」
「でも、私は従者なのです。慰み者なのです。本当は、ルイ様の隣でこのように言葉を交わすことすら、あってはならなかったのです」
ああ、そうか。
君もまた、僕と同じで自分の心に蓋をしたんだね。
「なのに私は、あなた様の優しさに触れ、温かさに触れ、輝きに触れ、それをずっと味わっていたい……私だけが感じていたいと、強欲まで見せるようになってしまいました」
イルゼは今にも泣き出しそうな表情で、胸襟をキュ、と握りしめる。
「ふふ……ですから、今回のことは女神ミネルヴァから私への戒めなのです。勘違いをしてはいけない、求めてはいけないということへの」
そう言うと、イルゼは顔を上げ――ふ、と寂しげに微笑んだ。
雲間から漏れた月明かりで輝く瞳から、一滴の涙を零して。
本当に、馬鹿だなあ。
馬鹿で、不器用で……一途で、優しくて、強くて、少し嫉妬深いところがあって、色々とやり過ぎちゃうことがあって、でも、僕だけに見せてくれるその笑顔は、誰よりも温かくて、心地良くて。
僕は……。
「……どうして?」
「え……?」
「どうして、『甘え』たり、『夢』を見たり、『自惚れ』たりしてはいけないの?」
「あ、で、ですから……」
「ごめん、全然分からないよ。それに、君は出逢ってからずっと僕の特別なのに、どうしてそれを手放そうとするの? 手放したいの?」
「っ!? け、決してそのようなことは!」
僕の悲痛な叫びに、イルゼは胸に手を当てて全力で否定する。
困惑と喜び、それらをないまぜにしたような表情で。
「なら! ……なら、こんなことはしないでよ……今回のことで、イルゼが責任を感じていることは分かる。僕を守るために、本当に必死になってくれていることも」
「ル、ルイ様……」
「でも……僕は、君が僕から離れることが、どうしようもなく苦しいんだ。それこそ、あんな毒の苦しみなんかよりも何百倍も苦しくて、死ぬことよりも数千倍も怖いんだ」
イルゼの細い手を取り、僕は彼女の顔を覗き込む。
「で、でも……」
「イルゼ」
「でも! 私も嫌なのです! あなた様を……ルイ様を失うことが……っ! 分かりますか? あなた様が毒で今にも死にそうになった時、私がどれほど絶望したか……どれほど、自分を許せなかったか……っ」
イルゼが僕の胸にしがみつき、必死に訴える。
ああ……僕が毒なんか飲んでしまったせいで……死にかけてしまったせいで、大切なイルゼをこんなにも悲しませたんだ。
「グス……だから、私はただの従者になろうとしたんです。あなた様を守り抜くために……あなた様を、求めてしまわないため……っ!?」
胸を押し、離れようとしたイルゼの腕をつかみ、僕は逆に引き寄せてその細い身体を抱きしめた。
「君が離れようとしたって、僕は絶対に離れない……いや、離さないよ。僕は……君だけなんだから」
「だけど! ……だけどお……っ」
「ね……イルゼ、聞いてくれる?」
彼女の耳元で、そっとささやく。
「僕は……今回、イルゼが離れようとしたことで、やっと気づいたんだ。今までは、イルゼが僕の傍にいることが当たり前だと思ってた」
「…………………………」
「僕って、喪男……なんて言っても、分からないよね。とにかく、僕は自分に自信がなくて、君が一緒にいてくれるのも、実家のことがあるから仕方なくだと思っていたんだ」
「っ! そんなことはありません! きっかけこそそうですが、あなた様にお仕えするのは自分の意志です!」
顔を上げ、イルゼは必死に訴える。
そんな些細なことでも、僕の心が満たされていくのが分かるよ……。
「まあ、聞いてよ。でも……君のおかげでこうして痩せて、帝立学院に入ってからもずっと支えてくれて、励ましてくれて、尽くしてくれて……僕にはもう、君が隣にいないことが想像できない……ううん、耐えられなくなっていたんだ」
「あ……」
そうだよ。
僕はもう……いつまでも喪男のままでいられない。
自信がなくて、引っ込み思案で、常に待ちの姿勢だった僕。
イルゼにおんぶに抱っこで、ずっと甘え続けていた僕。
そんな僕は、もう嫌なんだ。
これからも、誰よりも大切な女性の傍にいるために。
だから。
「イルゼ……そ、その、僕は二人分の人生で、初めてこの言葉を言うよ」
緊張で喉が渇き、心臓はバクバク鳴ってうるさくてしょうがない。
イルゼは藍色の瞳で見つめながら、僕のその言葉を待っている。
さあ……言おう。
僕の、この想いを。
「僕は……あなたが、好きです。愛しています」
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