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雨上がり待つ 君と珈琲を  作者: あかり
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紫陽花 1

 1


 周清、と呼ぶその声で自分が今どこにいるのか、今がいつなのかという感覚を見失った。

 その声が、があまりにも似ていたから。

 いや、実際に似ていたのかどうかはわからない。

 ただ、久しぶりにそう呼ばれたことで、思いだしてしまっただけなのかもしれない。


 柴山康平

 唯一無二だと思ってた。僕の相棒。


『もう周清は、いらない』


 そう言われたのも、今みたいな強い雨の日だった。

 失望とか絶望とか、いろんな感情がぐるぐると頭の中を回ってた。

 悔しくて。でも、どうしようもなくて。

 涙が出ないように、唇を噛みしめて。

 傘もささずに、雨に濡れながら帰った日のことは、今でもまだありありと思いだすことができた。



 康平と出会ったのは、大学の時だった。

 理工学部の1年生の時に、話し掛けられたのが始まりだった。

「アプリ作ってるって噂に聞いたんだけど、本当なの?」

 どこからその情報を仕入れてきたのかわからないけれど、本当だったから頷いた。

「マジ!?すげーじゃん」

 最初はみんなそう言うんだ。高校の時もそう言われた。

「どんなのあんの?」

 そう聞かれるのも、なれたもんで。

「大したのはないよ」

 見せると、大体は「本当に大したことなかったな」って思うみたいで、すぐに離れて行く。

 でも、別にそれでもよかった。

 プログラミングが好きで、自分の興味の範囲で作ってただけだから。

 きっかけは高校生のころに母親から「何時に帰ってくるのかくらい連絡しなさいよ」という言葉だった。

 僕はそのときいわゆる反抗期ってやつで、母親にメール送るなんて絶対ヤダって思ってた。

 でも、母親は高校を出る時に、連絡がほしいという。

 何時に帰ってくるかわかりさえすればいいんだよな?とひねくれたことを考えて、下校したら母親に通知の行くシステムをなんとか編み出せないかと必死になった。

 ・・・いまから考えれば、バカみたいって思う。

 そんなプログラムの勉強するくらいなら、毎日母親にメール送るくらいどうってことないでしょ、って言ってやりたい。


 中学生のころから、パソコン関係には結構興味があって、HPのソースを見たりとか、自分でも書いてみたりするのが趣味だった。

 アプリも似たようなものだろうと思って、まずはネットで調べ、初心者向け講座の無料動画を穴があくほど見つめ、小遣いで本を買ってくるくらいには、のめり込んだ。

 自分の打ったプログラムが動くってとっても気持ちいいものだったから。

 寝食を忘れるほどにのめり込む癖は、このころについたんだと思う。

 寝食を忘れたいほど夢中ではあったけど、実家にいるから食事時間だけは強制的に取らされた。


 高校生の時に最初につくったアプリは簡単なものだった。

 アプリを立ち上げて、「帰宅開始」ボタンを押すと、登録したメールアドレスに帰宅予定時間がメールされるというもの。

 今から思えば、シンプルすぎるし、無駄なものも多いし、デザインもなってない。

 それでも、はじめて作り上げたアプリは、嬉しかったし、これ以上のものはないとおもった。当時はまだアプリ市場が閑散としていて欲しいアプリが手に入らないっていうのもあったけど。

 実際に自分のスマホに入れる段階になるまででも試行錯誤の連続だった。プログラミング言語の意味の分からなさになれるのも大変だし、思ったよりもずっと根気のいる作業だった。

 それでもなんかとか少し形になってくると、その後は意味の分からないエラーに悩まされる。その原因を考えて、解決して、パターンを覚えていくしかない。

 ずっとその繰り返しをして、精度をあげて。

 できることはすべてやりきってから、自分のスマホに入れてみた。

 自分の作ったアイコンがスマホの画面にあるだけでもなんだか嬉しくなる。

 それをタップして、起ちあがるのにまず一安心。

 それから母親のメールアドレスと自分の帰宅所要時間を登録する初期設定の画面も問題なく作動した。

 ここからが本番だ。表示された「帰宅開始」ボタンを押した。

 どきどきしながら、リビングにおいてある母親の携帯の様子を見る。

 少しして、母親の携帯からメールの着信音が鳴るのが聞こえた。

 台所で夕飯の支度をしていた母は、携帯の音に気が付くと、すぐに見にきて「なにこれ?」と呟いた。

「僕が送ったんだよ、見せて」

 母から、お好きにどうぞ、と手渡される。

 ちゃんと帰宅予定時刻が表示されていて、初開発アプリが成功したことがわかった。

 よし、と小さくガッツポーズをして。

 僕がそんなことをするなんて珍しいからか、母親は変な顔をしていた。


 本当は、家を飛び出して叫びだしたいくらい嬉しかった。


 現実的な話をすると、これを制作するのにまるまる2か月かかった。

 開発中には結局、毎日母親に帰宅メールを送っていたから、母親へのメールにも慣れてもはや何とも思わなくなっていた。

 アプリを開発した意味がほとんどなくなってしまった状態だったけど、初めての自分のアプリが作れたことが嬉しくて、そこからは毎日アプリから連絡した。

「帰宅予定時間 何時何分」とだけ表示するシンプルすぎるメールで、うちの母はよくこんなメール毎日受け取り続けたよなあ、と今なら思う。


 母親も母親で、こんなことができるなら、あれ作って、これ作って、と色々注文が来た。

 僕が次に作らされたアプリは両親と僕が予定を共有できるカレンダーだった。

「お父さんにいちいち予定きくのめんどうくさい」

 と母が言い

「夕飯の要否も日ごとに登録できるようにしてくれ」

 と父が言った。

 今ならそんなアプリは溢れかえっているし、当時も探してみればあったのかもしれないけど、次に作るものができたことが楽しみで、カレンダーアプリのプログラムの研究からまた始めた。


 他にもテレビ見ながら簡単にできるゲームがしたい、とか。

 昔懐かしのパズルがやりたい、とか。

 好き放題に両親がいうから、色々作ってみた。

 ゲームを作るうえで、フリー素材を使うってことをおぼえてからはデザインにもずいぶん幅ができたと思う。


 高校の授業中もだいたいプログラムの組み方を考えていたし、授業がおわればすぐに家に帰ってパソコンを点ける。

 たまには学校の勉強もしていたけど、大体そんな生活だった。

 今思えば、このころに作ってたアプリなんて本当に個人の趣味で、とても公開して売りにだしたりできるものじゃないよなあ、なんて思うんだけど。

 それでも、初期に作った作品は、思い出深いものが多い。


 いつだったか。

 高校か、大学生になってからかもわからないけど、プログラムを打ち込む作業をしているときに思ったことがある。

 ヘッドライトを付けて暗闇の中で大きな絵をかく作業みたいだなって。

 絵なんて学校の美術で書いたことのある程度だけど、唐突にそんなことを思った。

 壁いっぱいの山の絵を描くとすると、何十も何百もの木を描かなきゃいけない。しかも同じものをかくわけにはいかないから、少しずつ色合いや形を変えて。

 そうやって完成させなきゃいけないけど、見ることができるのは、今自分が描いている1本の木だけ。そこだけヘッドライトで照らされているけれど、他は暗闇のまま。

 自分の今描いている木は正しいのだろうけれど、他の木と同じくらいの大きさなのか、周りとの色合いはどうか、そういうことはほとんど予測がつかない。

 ある程度描き終わってから、部屋の電気をつけてみて、やっと全体的によくかけているのか、ちょっと手を加えて治せばいい程度なのか、それとも大改革が必要なのかってことがわかる。


 自分のパソコンの仮想スマホでプログラムを走らせてみるって言う作業が、作品の全体を確認する作業だ。

 上手くいっていてくれと願いながら、エンターボタンを押す気持ちは、きっと絵描きの人が自分の作品の全体像をみるみたいな気持ちに似てるんじゃないかと思う。

 上手くできていてくれ、と願いながら、作品を試す。

 その段階で完璧にできることなんて多分ないから、ちょっとずつ修正を加えながら、理想に近づけていんだけど。

 この作業が絵だったら絵具のはみ出しの処理とか、色合いの調整なんかをする作業になるんだろうな、なんて思うとちょっと可笑しくて。

 もしかして、これも一種の芸術かもしれないな、なんて思ってみたりする。偉大な画家の先生たちは一緒にするなって怒るかもしれないけど。

 プログラムを打つとき、自分が筆を持っているみたいな感覚は、今でもたまに思い出す。



 康平に話し掛けられて大学1年の時に見せたアプリも、今思えばろくなものじゃなかった。よくあんなものを人に恥ずかしげもなく見せられたものだ。

 それでも、康平は「すげーじゃん!それ!」とテンション高く褒めてくれた。声も体も大きい奴だった。

「儲かるアプリ作ろう!」と彼が言う。

「作るのはいいけど、儲けようと思ったことはないなあ」と僕が言う。

「じゃあ一緒に考えようぜ!」

 そう押し切られて、康平とはよく一緒に行動するようになった。


 夏の太陽みたいなやつだった。

 自分の意見ははっきりしていて、それを推し進めるパワーがあった。

 僕は彼が照らす道を一緒に歩かせてもらうのが心地よかった。


 授業もだいたい一緒にとり、サークルにも入らず、2人でいつも何を作ろうか考えていた。

 授業の合間や授業のあと、康平の家にパソコンを持ち込んで二人で徹夜なんてこともあった。

 最初に作ったのは、大学の授業管理アプリだった。

 自分で授業を組み立てて、スケジュールを管理するっていうことが1年生のぼくらにとっては新鮮であり、怖くもあった。

 作った時間割をスマホで一瞬で見れて、各授業ごとの課題や試験予定日なんかも登録できるような機能もつけられるようにして。

 アプリストアに公開したら、思ったよりはダウンロードされた。


 それからゲームを何本か一緒に作った。

 僕はプログラムは書けるけど、デザインセンスもないし、どうやったら多くの人にダウンロードしてもらえるかみたいなことを考えるのは苦手だった。

 康平はそういうところを考えるのは好きみたいで、デザインのセンスも高かったし、どういうゲームが楽しめるかとかいうことをよく知っていた。

 後から知ったことではあるけれど、このころの康平は人気のあるスマホゲームを片っ端からダウンロードしてやりこんでいたらしい。

「課金しなきゃクリアできないゲームはその時点でやる気なくす」とか「スマホでやるなら一時停止ボタンはマスト」とか細かいところまでよく言っていた。


 転機が訪れたのは、3年になってすぐだった。

 僕たちはやっぱり一緒にいて、同じ研究室に入っていた。

 情報工学の研究室で、アプリ開発が僕たちの研究内容だった。

 卒業論文とかの成果は特に求められなかったけど、月1での研究発表でどんなことをするのか発表することになっていて、今作っているゲームの内容を発表していた。

 その当時にしてはちょっと新しい感じのゲームを作っていたんだ。

 パズルを解いて敵を倒していくRPGっていうやつ。

 今でこそ、ものすごく有名なゲームがTVのCMなんかも流していて、とってもメジャーなゲームになったけど、RPGでパズルっていうの斬新だったし、スマホの操作性にマッチしていてとてもよかった。

 その時は、そんなアプリはなかった。見つけられる範囲内では、だけど。

 それゆえ、作成にはものすごく時間がかかることになるのだけれど、研究室で発表した反応は上々だった。

 これは結構いろんな人が楽しめるんじゃないのかな、って康平と目を合わせて笑いあったことを覚えている。


 そしてその発表のあと、教授に呼ばれたんだ。

「特許をとってみたらどうか」と。

 特許なんて話にはきいたことがあったけど、自分にかかわってくるなんて考えたこともなかった。

「アプリの開発は、この先の作業はほとんど横井くんがやることになるだろうから、柴山くんは時間ができるだろう?君はプログラムシステムにおける特許について研究をしなさい」

 その教授の一言で、康平は特許の勉強をすることになった。

 この時はまだ知らなかったのだけど、僕たちの教授はシステムやプログラムの特許について法学部の教授と共同研究していて、学会でも評価を得ているような第一人者だった。

 教授は共同研究で協力者をえることができるのかもしれないけど、学生にはそんなものはない。

 康平は法の勉強もすることになった。

 もちろん教授は、法学部の教授のことを康平に紹介してくれた。

 法学のほうでなにか困ることがあったら、そこの研究室を頼るように、と。

 ちょうど大学院生で特許と知的財産権について研究をしている女性の学生がいるということで、康平はその人を相談役にするようにと紹介されていた。

「俺、法学部に入った覚えはないんだけど!?」

 そんなことを言いながらも、一生懸命勉強していた。

 知的な女性先輩と知り合いになれたのはちょっと嬉しいよな、なんて言いながら。

 その点についてだけは、みんなからうらやましがられていた。



 そして約1年をかけてその特許は申請までいった。

 僕がアプリをほぼバグのない状態に完成させるのも、そのくらいの時間がかかった。

 その1年は、パソコンに向き合っている時間と康平と話している時間しか記憶がない。

 しかも毎日深夜までずっと作業して。

 原因不明のバグを夢にまで見て。

 どうしてもだめな時は教授の口利きで、ほかの教授に相談しにいったこともある。

 ほかの研究室へ行くって、中高でいうほかの学年の教室に入るときくらい緊張するのに、よく頑張ったと思う。

 授業中とか、道を歩いているときとかに突然はっとして、バグの原因が思い浮かんだりして。

 とりつかれたみたいに、パソコンに向かっていた。


 その甲斐あって、完成したときのアプリストアでのダウンロード数はまずまずだった。

 広告収入がほんのちょっとのお小遣いになるくらい。

 まあ、こんなもんだよな、なんて言いながら、就職活動も何とかしないといけない時期に差し掛かっていた。早い人はもう内定が出ていたころあいだと思う。


 けれど、ある日、そのゲームのダウンロード数がものすごい数を記録した日があった。

 どうやらテレビで芸能人が、はまっているゲームとして紹介したらしい。

 その日を境に、桁違いのダウンロードがされていく。

 ユーザーの増加と共にアプリの管理をする時間が必要になった。

 特許についての問い合わせも来るようになって、康平もまた忙しくなった。

 良くも悪くも、就職活動をしている暇がなくなった。


「もうこのゲームの会社つくって、周清とアプリの供給管理することにすっかなー」

 なんてやけっぱちに言っていたから

「うん、それもいいね」

 なんて言いながら、会社の名前何にする?なんて妄想の話をしていた。

 いや、しているんだと思ってた。

 康平が会社の登記をもってくるまでは。

「本気だったの!?」

 なんて聞いたら、

「本気じゃなかったのかよ!?」

 と逆に聞き返された。

「実際俺たち今は就職活動する時間も気力もないし。会社つくっとけば後々就職活動することになっても、職歴にはかけるんじゃね?」

 そんなもんだよ、と康平がいったから。

 そんなもんなのか、と思って頷いた。実際、就職活動には全く気が乗らなかった。


 就職活動なんかより、僕の作ったアプリが多くの人に楽しんでもらえることのほうがずっと嬉しい。

 数年前までは、家族がよろこんでくれればそれでよかった。

 授業管理アプリは、使ってくれる大学生がいることが嬉しかった。

 今は日本全国どころか全世界でこのゲームを楽しんでくれている人がいるっていうのは不思議な感じだった。


 名前も顔も知らない誰かに認めてもらえて、喜んでもらえるっていうのは、管理に追われる苦労が吹き飛ぶくらい、幸せなことだと思った。


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