梅雨空 2
2
「なんなんだ・・・」
翌日、金曜日の講義後の教室でスマホを片手に文句を言う俺がめずらしいのか、隣に座っていた友人の佐々木がのぞき込んできた。
「何なに?涼が携帯に文句言ってるのとか珍しいじゃん。最近知り合った女の子とやりとりでもしてるの?返事こないとか?」
「半分正解」
「え、女の子!?俺にも紹介して!」
そう飛びついてくるのを予想はしてたけど、正解なのはそっちじゃない。
「残念なことに返事が来ないって方が正解。最近知り合った男だよ」
「えー男なら別にどうでもいいじゃん。なんか約束でもしてたの?」
「そうなんだけどなあ・・・」
今日は4限で授業が終わるから、夕方に服を取りに行っても大丈夫かと尋ねるメールを出したのが今朝のこと。
そこからお昼にもう一度、4限が始まる前にもう一度メールを出しているのだが・・・反応がない。
仕方ないから電話してみるか・・・。
「佐々木、俺一本電話かけてから帰るから先帰って」
「了解!じゃあ、また来週な」
「うん、じゃあな」
同級生を送りだして、昨日きいたばかりの電話番号にかけてみる。
コール音は鳴る。そのまま相手の応答をまってみたけれど、いつまでのコール音がなるだけで留守電にもならなかった。
どうするか。とりあえず行ってみるか?どうせ駅前だしそんなに手間じゃない。
そうと決めたら、席を立って、駅のほうへ歩き始めた。
例の交差点から100円ショップを通り過ぎて角を曲がったところが昨日いったマンションだったはずだ。まだ外が明るいから、昨日の夜にみた景色とはずいぶん違って見える。
郵便受けで部屋番号を確認してから、エレベーターで部屋の前についた。
ピンポンを鳴らしてみる。
反応なし。
もう一度鳴らしてみるけどもやっぱり反応なし。
「諦めるかなあ・・・」
上着はともかく、週末にジーパンがないのはけっこう痛手なんだよなあ。
あんまり服を持ってないせいで、今日の服装は真夏に着るような7分丈ズボンだ。晴れた日にはちょうどいいけど、どんよりした梅雨空にはちょっと寒い。
天気予報では週末も梅雨空が続く見込みだと言っていたから、これで乗り切るのはきついなあ。
どうするか、と少し考えて、もう一度電話を鳴らしてみることにした。
つながるけれど、相変わらず反応はない。反応はないけど・・・家の中から電子音が鳴っている気がする。
「・・・鳴ってるのか・・・?」
自分の携帯を耳から離して、ドアに耳を近づけてみる。
着信音に違いない音がした。
家にいるのか・・・?
もしかして、倒れてたりしないよな?
昨日の事故は未然に防いだとおもったけど、もしかしてどこか当たってたのか?それとも助けたときの当り所がわるかったのか?
事故のダメージは、時間が経ってから出てくることもある、って話を思い出した。
まさか・・・。
「横井くん、青木だけど!入るよー!」
ドアに顔を近づけて大きな声で言い、ドアノブに手をかけた。
鍵はかかっておらず、あっさりとドアは開いた。
玄関には昨日彼が履いていた靴が1足だけ置かれている。
家にいるのは間違いなさそうだ。
「横井くーん?大丈夫ー?」
玄関でもう一度そういって、洗面所を覗いてみる。風呂中ではないようだ。
トイレがどこにあるかは教えてもらわなかったけど、たぶんあそこだろうという見当はつく。トイレのドアの上のほうが少しだけ磨りガラスになっているけれど明かりが点いている様子はない。
昨日コーヒーを飲ませてもらったダイニングテーブルの上には彼のスマホが置かれていた。
・・・奥の部屋か。
奥の部屋につながる扉を開けたら、死んでいるとかは、勘弁してくれよ。
倒れているだけならまだしも、殺人事件現場だったりして、血しぶきが飛んでたりしたら、逃げるかも。
どうか無事であってくれ、と願いなら扉を明けた。
血しぶきや死体はなかったけど、真っ青な顔でベッドに倒れ込んでいる人間はいた。
「横井くん!?」
顔色が真っ青ってか真っ白だ。
「大丈夫か!?」
意識があるか調べるために頬にさわってみると驚くほど冷たい。
「え、ちょっと待てよ、どうしたんだよ!?」
頬も手も驚くほど冷たくて、たまにまぶたが動くのでなければそれこそ死んでいると思ったかもしれない。
うっすら目を開けてくれたから、とりあえず落ちつく心を取り戻した。
「横井くん、わかる?どうしたのか話せる?」
目が合ったから焦点は合ってるんだろう。そう尋ねると、唇が動いた。こちらの言うことも聞こえているらしい。
消え入りそうな声で「お腹減った」と言うのが聞こえた。
こんな状態でさえなければ、ふざけんな、と小突いてやりたいところだったけど、そうもいっていられなさそうだ。
栄養不足で倒れたってことでいいのか?栄養不足?でもそれって一時的なものじゃないよな。こういうふうに倒れるってなんていうんだっけ、低血糖?
断言はできないけど、とりあえず血糖値をあげるもの。
さっき床に放り投げた自分のカバンをさぐる。なにかお菓子の一つでも入ってなかったか。
この間焼肉屋で飲み会をしたときにレジでもらった飴がもしかしたらまだ入っているかもしれない。
カバンの奥のほうから発見されて、袋ぐしゃぐしゃで綺麗な状態ではなかったけど、もうそんなことはいってられない。
喉に詰まらせないように体を横向きにしてから飴を口の中に放り込んだ。
ええっと、あとは低血糖ってなにすればいいんだ?グーグル先生、教えて!
検索結果は、ブドウ糖か砂糖を摂取させればいいと書いてあった。ブドウ糖ってお菓子のラムネ?ラムネなんて普通家の中にないわな。あるとしたら砂糖か。
風邪ひいた時みたいに牛乳に砂糖とかして飲ませてやればいいのか?
「とりあえず、ちょっとキッチン見せてもらうからな」
キッチンに来て、すべての棚をあけてみたけれど、食べ物が何一つない。
コーヒーしかない。
どういうこった・・・。冷蔵庫の中も見たけれど、お茶のペットボトルと調味料が少し入っているだけだった。
「マジか・・・」
砂糖も塩も胡椒も何にもない。霞食って生きてんのか、ってくらい何もない。
とりあえずラムネだ!隣の100円ショップで買ってくるか。
「ラムネ買いに行くから、とりあえずそのままの姿勢でいるように!」
家を飛び出して、エレベーターを待つけれど、なかなか来なさそうだから、脇にあった階段を一段とばしで降りた。
100円ショップに飛び込んで、とりあえずラムネを手に持つ。あとはスポーツドリンクか?塩分がとれるものもあったほうがいいよな。種なしの干し梅でいいか。とりあえずこれだけ買って、部屋にもどった。
さっきよりは少しだけマシな顔色になっているのを見てほっとする。
「ラムネも食えるか?」
わずかに頷いたのをみて、買ってきたばかりのラムネを2粒口の中に入れた。
「・・・おいしい」
砂糖を家に置いてないような奴がラムネおいしいと感じるって体が求めてたってことだよな?
「もうちょっと食べれそう?」
さっきのラムネが口の中で溶けるころを見計らって、また2粒口の中にいれてやった。
そこから2回同じことを繰り返すと、ゆっくりと体を起こせるようになったようだ。
「大丈夫か?」
「うん、もう大丈夫そう。水飲みたい」
立ち上がったけど、危なっかしい。
胴体に手を回して、俺の肩に捕まらせて、足の負傷者を運ぶみたいに少しもちあげたら思ったよりずっと持ち上がってしまってびっくりした。
うっかり運動系の男を持つのと同じくらいの力具合でやってしまったのもあるけど、それにしたって軽すぎだろ。
半分浮かせたような状態のまま運んで、ダイニングの椅子に座らせた。
目の前にラムネを置いて、できるだけ食べろと勧める。
「水より、スポーツドリンク飲めそうか?」
こくりと頷いたから、ペットボトルの蓋を開けてやる。
「ゆっくり飲めよ」
ちゃんとそう忠告したのに、ぐびっと飲んだようで、次の瞬間にはむせた。
だから言わんこっちゃない。
それが落ちついたころには、顔色はずいぶんマシになっていた。
「えっと、涼くん、だよね?重ね重ね本当にごめん」
「いや、いいけど。大丈夫なの?原因はわかってるのか?」
そう尋ねると気まずそうに俯いた。
この時になって気が付いたけど、結構、イケメンなんじゃないか?もともと色が白くって髪も目も色素が薄い。
やさしそうな甘い顔立ちに目はけっこう大きくて若手俳優にいそうな感じ。普通にしてればモテそう。でも、あんまり目合わせないし、アイドルみたいなニッコリ笑顔も全くしないから、素材がよくても厳しいかも。
「食事するのが、面倒で。こういう風に具合が悪くなることはたまにあるんだけど、しばらく寝れば治るから今回も治るかなって思ったら、だめだったみたい」
話によると、昨日俺がかえったあとにシャワーを浴びたら突然気持ちが悪くったとのこと。
食事不足によるエネルギー切れだろうな、とは思ったけどたまにあることだし、いつもは一晩寝れば回復するから、回復したら何か食べ物を買いに行こうとおもった、と。
けれど、一晩経っても立ち上がる気持ちにはなれず、ずっとうつらうつらしていて、今に至るということだった。
「本当に、涼くんは命の恩人だね。しかも2日連続で」
あはは、と笑っているけれど、その笑いは雰囲気をごまかそうとするための空の笑いだって思った。命の恩人って言葉が皮肉に聞こえるくらいだ。
こいつ本当に命が助かってよかったって思ってるのか?
「こっちは奥の部屋で死んでたらどうしようかと思ったんだからな。死体の第一発見者になるなんて絶対ごめんだから」
「うん、ごめんね」
ゆっくりスポーツドリンクを飲んでいる病人にこれ以上のことは言えなくて黙る。
100円ショップのビニール袋から干し梅も取り出して、目の前においてやった。
「涼くんは、病人の世話に慣れてるね」
「そうか?まあ俺は中学の時野球部だったから、脱水症状とか熱中症で倒れるヤツとか見慣れてるし。でも、練習中に倒れるやつはだいたいそれだけど、家の中で倒れた奴はみたことなかったから正直びびった。頭の中真っ白になった」
「そんなふうには思えないくらい、てきぱき色々してくれたけど」
「うち母親が看護師だから。昔から色々教え込まれてるし、遺伝もあるかも」
「そうなんだ、なんか納得」
干し梅も一つ手にとって口に含んでいるのを見て、もう大丈夫だろうな、と思った。
まあ、まだ顔色は悪いけど。
「あとは飯が食えれば大丈夫だと思うけど、なんか買ってこようか?」
「うーん・・・売ってるもので食べたいものが思いつかないから、いいや。ありがとう」
その返事を聞きながら、そういえばこいつダメなやつなんだった、と思い出した。
昨日の洗濯機といい飯といい、衣食住にまったく頓着しないタイプだ。
うちの4個下の弟とすげー似てる。あいつはTシャツでも2~3日なら平気で同じの着るし、何週間も干してない布団で普通にゴロゴロしているし、何かに夢中になってると飯は食わねえ。食べるものを考えるのも何か買いに行くのも面倒だった、とか普通に言う。
俺からすれば信じられんし、アイツは俺がいまだに実家に住んでなかったらそろそろ死んでると思う。
目の前の男は、間違いなくアイツと同じタイプだ。
食べ物を考えるのと調達が面倒でやらないだけだ。目の前に出せば絶対食う。
とは言っても病み上がりだからな。一応希望くらいはきいてやるか。
「何なら食えそう?」
「本当に、大丈夫だから」
その「大丈夫」はどこをどうみたら信じられるっていうんだ。
「そう思える要素、一ミリもないからな」
「うーん、手厳しいね」
あはは、とまた空気みたいに笑う。
「当然だろ。しばらくまともなもん食べてないんだろ?うどんか粥なら食べれそう?」
「うん、おかゆなら」
「梅とか鮭とか何か入れてほしいものの希望ある?」
「具はいらないけど、塩がきいてるやつがたべたい」
「わかった、じゃあ用意してやるからもう少し横になってろ。ラムネだけは食べれるだけ食べててくれ」
「ありがとう」
ラムネの容器だけを持ってベッドに戻っていった。
その姿を追うことで、初めて奥の部屋を冷静に見た。
味気ないパイプベッドとパソコン用デスクがあるだけのがらんとした部屋だった。
画面の大きいデスクトップパソコンが1台あって、足元と脇に雑誌や本が積み重なっているだけ。
それ以外のものは、何もない。テレビもゲーム機も本棚もオーディオも何もなかった。
積み重なっている本もプログラムなんとか、ITなんとか、みたいに明らかに勉強用の本だ。情報系の学生なのか?
それにしたって、何もない部屋で、ダイニングにしたって小さなテーブルセットと冷蔵庫とレンジが置かれている他はなんにもなくって。
なんだか寒いような気がするのは、俺が真夏用の服を着ているからってだけじゃないような気がした。