店
今日の夜その店に行くから道案内をしてほしい、そう僕が井田に提案したのは、井田からしたら想定外の展開だったらしい。最初は頑なに拒否したが、その店にさっさと行ってお金さえ置いてくれば、井田とその店の関係は終わる、という僕の提案に同調し、最終的には承諾してくれた。
その後、井田も僕も学校をさぼり帰宅した。
大きめのリュックに懐中電灯等の暗闇を探索するのに必要そうなアイテムを準備すると、動きやすいジャージとスニーカに身を包み、井田と待ち合わせた無奈地区近くの公園へと向かった。
午後9時、待ち合わせの時間丁度に公園に着くと、意外にも井田はすでに到着していた。
金色の刺繍が入った黒を基調としたジャージ、ダメージジーンズ、履き古したスニーカーという僕とそう大差ない服装をしていた。そして彼の横には、凹凸が刻まれた金属バット、そしてバイク。
「先輩から借りてきてやったぞ。感謝しろよ。」
そう言いつつ、僕に向かってヘルメットを一つ投げてくる。井田の運転に命を預けるのは不安極まりなかったが、断れる雰囲気ではなく、渋々ヘルメットを深く被り、彼の代わりにバットを担ぐと、バイクの後ろに乗り込んだ。
井田の運転は手慣れており、心配したような荒々しい運転ではなく、揺れも少なく道路を駆けた。
「もうすぐ入るぜ」
しばらくして見えてきたのは橋。僕たちの地区と無奈地区を分断する中良川、その上にかかる大きな橋。鉄骨製であり、つくりは頑丈そうであるが、使用する人が少な過ぎるためか錆が目立っていた。
初めて入る無奈地区は、ただ廃屋が連なる場所という評判に違わぬ、廃れた場所であった。存在する家々は全て壁や屋根のどこかに穴が開き、風通しの良い姿をしていた。道の所々に煙草の吸殻や酒の空き缶、酒瓶が置いてあるのは、井田のような不良たちの仕業なのだろう。
所々ひび割れた道路を走り、廃墟の間を縫いしばらく。バイクのライトのみが照らす景色の中に不意に明かりが現れた。
「あそこだ。」
風に掻き消えそうな井田の声をなんとか聞き分け、彼の視線を追う。
そこにはある一軒の家屋。古めかしい暖簾を掲げ、その上にこじんまりとした看板が立てかけられていた。
〈童垂堂〉
看板にはそう書かれていた。
その店を見た時、井田が言っていた通りだ、と感じた。言葉では言い表せない、とにかく異常な感覚。
木造でできた2階建ての家屋は、周りの荒廃した家々とは違い表面上は手入れが行き届いており、街の商店街にこの店が存在していたなら昔から慣れ親しまれていることが想像されるような、温かな雰囲気を感じた。しかし死を感じさせる周りの風景と対比すると、その温かみは異常さに変化し、周囲により妖気な印象を与えていた。中から漏れ出てくる暖色の灯りは、店の外殻を有耶無耶にさせ、来る者を誘い込んでいるような気がした。
バイクを店から数メートル離れたところに止めると、僕と井田はヘルメットを置き、店の方へ向かった。
外見からは何を売っている店なのか見当もつかなかった。
「ここは何屋なんだ?」
「わかんねえ。とにかく入ったら分かるだろ。行くぞ。」
バットを肩に担ぎ、店の引き戸を乱暴に開ける。予想より重厚な音が鳴り扉が開くと、中は広々とした空間が広がっていた。十数メートル四方の板作りの床があり、その奥に膝ほどの高さの一段高い空間。そこにはあるのは小さな机のみ。それ以外の家具や、商品らしき物は一つも見受けられなかった。
「おい!誰かいるか!」
井田が叫ぶ。しばらくすると、机の奥にある扉が開き、男が現れた。
その男は痩せ細った中年の男だった。年は40歳ほどか。薄茶色の着流しを身に纏い、落ち窪んだ鋭い目、高い鼻、尖った顎を持ち、薄い紫色の唇は、いやらしく粘っこい笑みを浮かべてた。
「いらっしゃいませ。何かご用で。」
こちらの剣呑とした雰囲気には意も介さず、その男は笑みを崩さぬままそう言った。
店主と思わしきその男は井田の顔を見ると、その表情に張り付いた笑みをより一層深め、手を擦り合わさんばかりに駆け寄ってきた。
「井田様ではありませんか。ご贔屓いただきありがとうございます。今日は何ようで。」
「……俺お前に名前教えてねえぞ。」
井田の緊張が増すのが伝わってくる。
井田を庇うように前に出ると、逸る気持ちを抑え、僕は尋た。
「ここは何を売っている場所なのですか。数週間前、僕たちの同じ年頃の女の子がここに尋てきませんでしたか?」
「女の子ですか?最近はめっきり客足が途絶えまして。若い女性のお客様はお見えになっておりませんね。」
そう言いつつ男は首を傾げる。そして僕らの方を向き直ると、人形のようなギョロリとした目を見開く。
「この店はお客様が御望むものをなんなりとご用意させていただきます。言うなれば何でも屋です。何かご希望のものはありますでしょうか。」
男はそう言いつつ僕らに手を差し伸べてくる。
その時、男が現れた扉の向こう。廊下が真っすぐ伸びており、数メートル先は暗闇となり全貌が把握できなったが、その闇に包まれるように一つに人影がその空間を横切った。黒い髪を靡かせた少女。僕らと同じ制服に身を包み、暗闇で体ははっきりと視認できなったが、顔は見間違うはずもなかった。その少女は新木さんだった。