消えた少女
「新木さんが無奈にいるのを見た奴がいるらしい」
友人が僕に唐突にこの話をしてきたのは、僕が新木さんに淡い恋心を抱いていたことを彼が気付いていたからだろう。
新木さんは僕と同じ2ーAの女子であり、長い黒髪が似合う美しい優しい人だった。しかし数週間前から家に帰っておらず、家族から捜索願を出されていた。警察はこの年頃の失踪はほぼほぼ家出だと決めつけ、ろくな捜査も行われ無かった。クラスの全員が新木さんが家出などするはずがないと思っていたが、一介の中学生にはどうしようもなく、ただ彼女がいない日々が淡々と過ぎていた。
「その情報はどこからだよ」
僕は訝しげに聞き返す。
「隣のクラスの井田が見たらしい。あいつヤンキーだろ。時々無奈の方に行ってたばこ吸ったり、いろいろ悪さしてたみたいなんだよ。その時に変な店に入っていく新木さんを見たらしいぜ。」
確かに井田と言えばここらで札付きのヤンキーで、無奈は人が来ないことをいいことに悪い奴らがたむろしてるという噂も聞いたことがあり、筋は通っているように思えた。それより気になる点があった。
「変な店?あそこって人も住んでなけりゃ、店もひとつもない、ただの廃屋の集まりだろ。店なんてあったのか?」
「いや、聞いたことない。ネットにもそれっぽい情報はなかった。でも井田がそう言ってたらしいんだよ。」
友人はさっきから伝聞の情報ばかりだ。おそらく井田本人にも怖くて聞きに行けていないのだろう。
「井田に聞いてみるわ」
僕はそう言って席を立つ。友人の静止の声は無視した。それより新木さんの情報が欲しかった。
井田は学校に来ていない日の方が多いが、今日は朝から来ていたらしい、机に足を乗せ、周りに睨みを聞かせながらイヤホンで音楽を聴いていた。
「井田、ちょっといいか」
「あ?なんだお前。」
井田は僕のことなど認識していなかったようだ。クラスと名前を手短に伝えるとすぐ本題に入る。新木さんを無奈で見たのは本当かと。
彼は少し驚いた顔をすると、すぐにまた周囲を威圧する表情へと戻り、僕に睨みを聞かせると、急に胸ぐらを掴んできた。
「だったらなんだってんだ?ああ?」
急に始まった剣呑さに周囲が騒つく。それを意に介さず井田は僕の腹に一撃拳を入れ、太腿に回し蹴りした。
思わず床に倒れる。いきなりの暴力に驚くが、すぐ違和感を感じた。井田の顔には弱者を弄ぶ笑みはなく、ほのかに恐怖の雰囲気が漂っていた。
「本当なんだな。何があったんだ?」
「……」
僕の言葉に動きを止め、井田は俯いた。
先生が来る前に、面倒を避けるために周囲の生徒に口止めをすると、僕ら二人は裏庭へと場所を移動した。
井田は徐に胸ポケットからタバコとライターを取り出すと、手慣れた手つきで火をつけた。紫煙と鼻腔をくすぐる香ばしく苦い香りが充満する。1本僕に差し出してきたが、首を横にふり断る。
「あの日はいつもより無奈の奥の方に行ったんだ。」
不意に井田が話し始めた。
「いつもは手前の方で煙草吸ったり、女と会ったり、先輩と遊んだりしてたんだけどよ。あの日はもう少し奥の方で、先輩に貸してもらったバイクに乗ろうって話になったんだ。3時くらいだな。しばらく乗り回したら、ツレとはぐれちまったんだ。そんな奥に行ったことねえから道に迷っちまってしばらくバイクで走り回ってたんだけどよ、ガソリンが切れちまって。そんな時あの店を見つけたんだ。」
井田はタバコを再度口にくわえると、大きく息を吸い、煙を肺に流し込む。そしてゆっくり味わうと、少しずつ口から煙を宙へと拡散させる。
「店?どんな店だったんだ?」
「口ではなんとも言えねえ。昔からそこにあったような、でも新しいような。とにかく変だったんだよ。」
「そこに新木さんがいたのか?」
「新木というか、新木らしき奴だな。その店に入ったらよ、なんか胡散臭いおっさんがなんでも売ってやるっていうんだよ。だからダメもとでガソリンって言ったら、マジで売ってくれたんだよ。いつの間にかバイクにガソリンが満タンでよ。で、金なんかねえぞって言ったら、金なんかいらねえっていうんだよ。まじで胡散臭くて、すぐ帰ろうとしたんだけどよ、そん時に店の奥で新木っぽい人影を見たんだよ。すぐにいなくなっちまって確かめられなかったんだけどよ。」
井田の説明は要領を得なかったが、新木さんがいたかもしれないということはわかった。
「じゃあ井田はただでガソリンをもらったってことか?そんな店あるのか?」
「嘘じゃねえよ。殺すぞ。」
井田は煙草の吸殻を僕に投げつける。
「でもタダとは言ってなかった。お代はきっちりもらうって言ってやがった。」
「お代ってなんなんだ?」
タバコの吸殻を側溝の土の中に隠しながら僕は聞いた。
「また今度手助けてしてもらうことがあるとかなんとか言ってたな。」
そう言う井田の顔はいつもの威圧感は消え、ただ何かを恐れる中学生の顔になっていた。ただより高い物はないともいうが、その話は僕にも嫌な予感を感じさせるには十分だった。