03
占星術の授業は星をの動きを読む授業だった。
前世は名前すら知らなかった学問なので、リカルダにはまだよくわからない分野だ。
占星術担当のズラトゥシェ・ホルニーコヴァーの話によると星の動きや輝きを観察して世の流れを知るのだとか。極めれば未来すら見通せるのだという。
現代ではそこまで極める人間は稀で、長命である森の民出身である学園長が唯一未来視に近い占いができるらしい。
前世にいた占いババのようなものかな? とリカルダは真面目に授業を受けていた。
薄暗い部屋に疑似の星を散らせているせいか、周囲の同級生は船をこいでいたり、完璧に寝る体勢に入っていたりするのだが、リカルダははた迷惑な宿敵のいない授業であったので、感動に打ち震える勢いで授業に向き合っていたのだった。
ホルニーコヴァー師がゆらゆらとまるで夢の中に誘うかのような柔らかい声で教科書を読み上げていき、星の動きを説いていくとひとり、またひとりと机につっぷしていき、授業が終わるころには起きている生徒がリカルダの他には片手で数えられるほどに減っていた。
ホルニーコヴァー師は眠り男か獏の血でも引いているのだろうかとも思ったが、そうではないようだった。
「今日の授業はここまで~。起きていられた子にはA+をあげましょうね~。占星術はどんな妨害にあったとしても世界を見つめるのが大事ですからね~。きちんと状態異常に対する備えができているあなたたちは向いていますよ~」
どうやら睡眠魔術を仕掛けられていたようだ。のんびりとした口調でホルニーコヴァー師が手元の名簿に書きこむ。
前世からの習い性で、違和感を覚えればすぐに対魔術を発動させているし、状態異常防止の魔道具も身に着けている。
最近は(主にホラーツのせいで)前世の記憶がないほうがいいとしか思えなかったが、今日は久しぶりに記憶があってよかった、と思えた。
わずかに上昇した機嫌のまま、リカルダは食堂へと向かった。ひとりで、である。
いっしょに食べよう、と同級生を誘おうとしたのだが、ホラーツが原因で目をそらされたり断られたり、そもそも遠巻きにされていたり、と知人すらいない状態だった。いいんだ、今日はA+の評価をもらったからチーズハンバーグを食べるんだ。
足音軽く、廊下を弾むように歩いていくリカルダを呼び止める声があった。
「リカルダさん」
「はい?」
声をかけてきたのはさきほどいっしょに占星術を受けていたノエル・ラシュレーだった。
同級生とまともに話すのが初めてのリカルダは内心緊張していたが、にこやかに応えた。
ノエルはまるで燃え盛る炎のようなオレンジがかった赤い髪を上品に払う。白磁器のような滑らかな肌、唇は小ぶりで愛らしく、とれたての桃のように色付いていた。
見紛うことなき美少女だ、と意思の強そうな視線にさらされリカルダは尻込みした。
そんなリカルダに気付いているのかいないのか、リカルダは有無を言わせぬ声音で一言、「ちょっとお時間をいただけるかしら。二人で話したいの」と言った。
昼食を食べ終えたあと、四阿のある庭まで移動してきたリカルダは委縮していた。
これはもしや少女漫画にある「ちょっとアナタ生意気よ、○○君に近付くなんて!」という呼び出しの類だろうか。
奇天烈すぎる言動で忘れがち、というか忘れていたが、ホラーツは黙っていれば美少年の範疇だ。黙っていれば。黙っていれば。
大事なことなので三回言った。
もしくは金魚のフンよろしくついて回っては火消しをしてしているアードリアン狙いだろうか。
あっちは女子好きであるようだし、ホラーツの世話さえなければ今頃彼女の一人や二人や三人はいただろう。中身は軽そうだが、外見はべらぼうにいい。少しだけ尖った耳を見るに、美男美女揃いの森の民の血が入っているのかもしれなかった。
頼まれたってあの二人(正確にはホラーツ)に近付く気などないし、ホラーツ狙いだというなら邪魔などしない。むしろよろこんでホラーツとノエルの仲を取り持つ所存だ。
少女漫画のお約束で言っても聞いてくれないんだろうなあ、とリカルダはそうそうに黄昏た。あんなにアレなホラーツでさえモテているというのに、スピリドンよおまえは悲しいほどモテなかったな、と現実逃避すら始める。
モテたわ! はいはい童貞は黙ってて。ど、童貞ちゃうわ! そうだったね、素人童貞だったね。
前世の自分との対話が一段落したところで艶やかな赤い髪をいじっていたノエルが意を決したように口を開いた。
「リカルダ・ラスコンさん」
「ひゃい」
かんだ。だってラシュレーさんが怖いんだもの。美人の真顔って怖い。
「あなた、スピリドンシーロフという名に聞き覚えはあるかしら」
前世の自分でー―――――――――す!
などと言える訳もなく、リカルダは引くつく口元を覆い、控えめに笑った。
「ええと、たしか二千年くらい前にいた勇者様の名前でしたよね。あまり詳しくはないのですけれど……」
「正確には二千三百年前よ。スピリドンのことを知ってるならホラーツも知っているわよね。魔族の長を騙っていたほうよ」
「そ、そうですね、資料などで名前くらいなら」
「そう」
まさか自分の前世の話になるとは思わず、リカルダは背中にびっしりと冷や汗を流していた。
ラシュレーは歴史オタクなのだろうか。だがリカルダは別に歴史オタクオーラをかもし出していたわけではない。
なぜこんなドマイナーな話題を……? とリカルダは微笑むノエルを失礼にならない程度に観察する。
スピリドンの記録はあまりに過去の出来事すぎてあまり残っていない。スピリドンが死んだあとに同僚が書き残したり言い伝えた話がわずかに残っているくらいだ。
勇者であったスピリドンでさえそうなのだから魔族を名乗っていたホラーツはさらに少ない。と、言いたいがところがどっこい。
魔族側に記録係がいたようで、スピリドンより詳細な資料が発見されていたりする。
別に後世に言い伝えられたかった訳ではないが、功績は教会のもの、失敗はスピリドンのものとして語り継がれているのは腹立たしかった。やはり神父は百発殴る。
「どうして勇者スピリドンを知っているの? 言いたくはないけどマイナーもいいところよね」
「家に置いてある本の一冊に勇者の冒険譚を集めたものがありまして。気になった勇者を調べていったら……という感じですね」
嘘ではない。リカルダの家に世界の勇者集があったのは事実だ。
「へぇ……。本当に?」
「本当です」
なぜこんな詰問に近い質問をされているかわからず、困惑しきりのリカルダがそれでも答えると、ノエルは俯いて震え出した。
「ふ、ふふふ……」
「あ、あの、ノエルさん……?」
「じゃあ、ジゼッラ・ジーリオは覚えているかしら」
ちょっぴり気にかかる言い回しだったが、間違えただけだろうとリカルダは思い出すふりをする。
ジゼッラ・ジーリオはスピリドンといっしょに魔族と戦った同僚だ。
戦いが終わったあとも生き残っていたようで、勇者についての書物や言い伝えを残している。しかしながら研究者の間では私情が入り過ぎている疑いがある、と歴史資料としての価値は低い。
その代わり御伽噺としての需要はあったようで、現代では子ども向けの絵本などにアレンジされていたりする。
本人が生きていれば印税で一生遊んで暮らせただろう。残念ながらスピリドンと同じでただの人間であったので、五十五才でこの世を去っている。生涯勇者物語を伝えて回っていたそうな。
「ジゼッラ・ジーリオは勇者物語の原典になった人ですよね。ジゼッラの話を元にした勇者物語の絵本を読んだことがあります」
「そう……」
くすくすくふふと笑い続けるノエルからリカルダは距離を取った。
もしかしてノエルもホラーツと違う方向にアレな人種だったりするのだろうか。
「やっぱりあたしを覚えててくれたのねスピリドン!」
ノエルに脈絡なく勢いよく抱き着かれ、倒れこまないようリカルダは踏ん張った。そして素早くノエルを引きはがす。今、こいつは、なんと言った?
頬を赤らめ、もじもじとする様は全面的に美少女でござい、と主張しているが、リカルダにはもはやノエルが単なる美少女になど見えない。
「べ、別に今のは前世の仲間に会えたからつい感極まって抱きついちゃっただけで、あんたが好きとかそんなんじゃなんだからっ!」
あ、知ってる。これツンデレだ。漫画で見た。
乱れた髪を耳にかけながらちらちらとリカルダを見てくるノエルはまさに少女漫画に出てくるツンデレヒロインと言って良かった。リカルダの琴線にはまったく響かなかったが。
リカルダの好みはあえて言うなら年上で物静かなクールタイプだ。応用魔術のガードナー師がまさにドンピシャである。
ガードナー師は美男で、長身で、物静かで、怜悧で、おまけに声もよくて、とリカルダが同い年ならばすぐさま交際を申しこんでいただろう。
生憎、ガードナー師は既婚者なので観賞用だが。眼福眼福。
「あの、ラシュレーさん、わたしの名前はリカルダで……」
「ごまかしてもむだよ、スピリドン。あんたってば嘘つくときすーぐ目線をそらして右手で頬をかくでしょ? わかりやすいんだから!」
なん……だと……。
今まさに視線をそらして頬をかいているリカルダは慌てて手を下ろした。そんな癖があったとは。知らなかった。
「わたしに勇者と同じ癖があったとして、どうしてわたしが勇者になるんでしょう。何千年も前の人なのに……」
「だーかーらー、ごまかしてもむだだって言ってるでしょ。抱き着いたときにちゃんと魂を確認したんだから間違えようがないわよ。往生際が悪いわね」
言って、ノエルは得意げに胸をはる。その目にかつての仲間の面影を見出してしまったリカルダは潔く白旗を上げた。
ここでリカルダがどんなに否定してもノエルは納得しないのだろう。であれば、うまく丸め込んで黙っててもらう他ない。
というか魂の確認ってなんだ。前世で接触などほぼ皆無だったというのにいつの間に魂を覚えられていたのだろうか。こわい。
「わかりました。ラシュレーさん。人に話を聞かれたくないので移動しましょう」
「ええ、もちろんよ」
図書館の自主勉強スペースに移動し、リカルダはノエルと向かい合った。
自主勉強スペースはつい立てで仕切られており、完全な個室というわけではないが、騒音対策として防音魔道具がある。これを起動すれば囲いの外に音はもれない。
「……確認なんですが、あなたはもしかしてジゼッラ・ジーリオの生まれ代わりなんですか?」
「そうよ。見てわかるでしょ?」
わからねえよ。
声を大にして言いたかったが、リカルダは黙っておいた。
「あんたはスピリドンでしょ? 敬語なんかいらないわ。あたしたちの仲じゃない」
「……たしかにわたしには前世がスピリドンだった記憶はあるけど、今はリカルダ・ラスコンよ」
「ああそうなの。自我の切り離しに成功してるのね」
あっさりとうなずいて、ぶつぶつと魔術用語らしき単語をいくつか呟き、深く思考しようとするノエルを遮る。話をしに図書館まで移動したのだから横にそれられるのは困る。
「それで、わたしの前世がスピリドンだったらなんなの? わたしはもう勇者って持ち上げられるのも、魔族の長と一騎打ちとかもごめんなの。平和に、平穏に、できれば孫の顔が見られるくらい長生きして、ベッドの中で大往生したいの。
だからあなたが世界の危機を察知して勇者を探してるって言うなら他を当たって。今のわたしは勇者じゃないもの」
矢継ぎ早に語られるリカルダの要求に対し、気を悪くするでもなく夏の草木を連想させる濃い緑色の目を瞬かせたあと、ノエルは破顔した。
「ずいぶん表情が豊かになったのね、スピリドン!」
「リカルダです」
あらごめんなさい、と睨むリカルダを軽くあしらって手をひらりとふったノエルは猫の様に眦を釣り上げた。前世でたまに見たジゼッラの笑い方だった。
これで機嫌を損ねているのではなく上機嫌だというのだから、スピリドンはジゼッラを苦手に思っていた。
「あたしは別にあんたがスピリドンだと吹聴して回るつもりなんてないわ。近くに厄介な元魔族がいるしね。世界の危機なんてのもないわよ」
「ならどうして」
「…………ょ」
「え?」
「スピリドンに会いたかったからに決まってるでしょ! 察しなさいよばかあ!」
知ってる。これツンデレだ。漫画で以下略。
「いやー、あのー、わたしはスピリドンではないので……」
「わかってるわよ! でもあたしが転生してるならスピリドンも転生してるはずだと思って探してたのよ! 先に魔族のほうを見つけちゃって絶望したけど!」
顔全体を真っ赤にしてノエルは続ける。
「前世は言えなかったから今世は言おうと思ってたのよ! スピリドンが好きだって! あわよくば小さくても温かい家庭を持って孫に囲まれて余生を送りたかったわよ!」
なんと。ジゼッラはスピリドンに惚れていたようだ。
記憶を思い返せばたしかにジゼッラのスピリドンに対する言動はわかりにくいツンデレと言えなくもない。
なるほど、よかったなスピリドン。実はモテてたじゃないか。好意にまるで気付かず素人童貞であったわけだが。
「なのになんで同じ女の子に転生してるのよおおお! スピリドンに会ったときのために髪も肌も爪も手入れを欠かさなかったのにい!」
それはご愁傷様でしたね、としか。
机に突っ伏して嘆くノエルに、しかしリカルダはなにもできない。なにせノエルが泣く理由が理由だ。
それになにもしないほうが良い、と直感が訴えている。
スピリドンは直感を信じていた。故にリカルダも己の直感に従う。
「……なんで慰めないのよ」
「えっ。
だって直接じゃないけどわたしが原因みたいなとこあるし。原因に慰められるのもどうかなって」
「慰めなさいよ。スピリドンになりきってあたしを慰めなさいよ」
「お断りします」
きっぱりとしたリカルダの返答にノエルはさらにとろけるスライムになった。こんなにめんどくさいやつだったか? と脳内スピリドンがはてなを飛ばしている。
おそらくスピリドンの前では猫を被っていたのだろう。猫というより仏頂面の虎だったが。気の立ったキメラの方がより近いだろうか。
「話はこれだけですか? じゃあそういうことで……」
「ちょっとぉ! 待ちなさいよぉ!」
席を立つリカルダに取りすがるノエルの力は存外強かったが、リカルダは構わずノエルを引きずる。
「もう前世のことに振り回されるのは嫌だし関わりたくないので放してください」
「そんなの許すわけないじゃない! 嫁にしろなんて言わないから会話くらいしなさいよお!」
「お断りしますね。授業の予習をしたいので放してください」
食い下がるノエルを引きずり引きずり、リカルダは囲いの入り口まで移動した。
「げえ」
「げってなによぉ! そこまで邪険にしないでいいでしょぉ!」
「ラシュレーさんにじゃないです」
「今更だけど他人行儀!」
そりゃ他人だもの、とリカルダはため息をついた。
「おお、リカルダも図書館を利用していたのか。勉強熱心だな。さすがだ」
図書館であるため、いつもより声量を大幅に落としたホラーツが満面の笑みと共に歩いてきた。その後ろでアードリアンがひらひらと手を振っている。
気遣いができない訳ではないのに、なぜそれを自分に対して発動してくれないのか。リカルダはちょっとしょっぱい気分になった。
無視するのも外聞が悪いので軽く会釈だけをする。
万力のような力でしがみついているノエルの手が腰から離れたので足早にそこから立ち去ろうとした。
「あなた、なにこの子に話しかけてるのよ!」
「ム?」
「あたしの許可なくこの子を口説こうなんていい度胸じゃない、消し炭にしてあげるわ!」
「ほう……。面白い」
まったく面白くない。コールズ学園で攻撃魔術を使うのは禁止されている。下手をすれば退学も有り得る。入学してひと月も経ってないのにもう退学するつもりなのか。……いいな、してくれないかな。
「まあまあ! まーまー! 落ち着こうか二人とも! ここ図書館だから静かに! ね?!」
アードリアンが二人を宥める。もう帰ってもいいだろうか。
さり気なく、じりじりと下がり、立ち去ろうとすればノエルに腕を掴まれた。抜け出せない。前世は魔術師だったが、今世は重騎士でも目指しているのか。
「今後リカルダと話したかったらあたしを通すことね! なんといってもあたしはこの子と長年の付き合いがあるんだから。大親友と言っても過言ではないわ!(小声)」
「ふん、笑止。リカルダの親友であったとして我がリカルダに話しかけるのは個人の自由というもの。貴様の指図なぞ受けぬわ(小声)」
誰が親友だ。誰が。もう図書館全体を覆う防音魔道具があればいいのに。
小声での応酬をくり返す二人と、死んだ目のリカルダと、弱ったなあ、という顔で見ているだけのアードリアンと、なんだなんだと覗いてくる図書館の使用者たち。
リカルダはその日から同級生以外にも変わった生徒のひとりとして認識されるようになった。
「わたしの平穏な学園生活はどこに行ったのよー!!」