9父の提案
七年後--
「ロヴ、人間界に行こう」
それは、俺が森でルシファーを召喚している時、唐突にリムに言われたことだった。
リムとは、人造人間の名前だ。俺より後に造られたのだから、妹のはずだが、何故か姉という意識が強かったので、受け入れることにした。リムに逆らうと、面倒だ。
しかし、やはり言葉の意味が理解できない。
「いきなりどうした?リム」
「姉さん、でしょ?」
リムが首をかしげる。普通の娘なら、可愛い仕草だろうに。
「父さんから聞いてないの?」
「何も」
「じゃあ、父さんから聞いて。今日は休みだから部屋にいるよ」
「なら、断っておいてくれ。興味がない」
リムが黙り込んだ。
「おぬしの番じゃよ、ロヴロ」
ルシファーにチェス盤を指される。
地獄の司祭をも呼び出せるようになった俺は、週末にルシファーとチェスをするのが日課になっていた。
「ああ、ごめんごめん」
しかし、ゲームはそこで終わった。
リムが盤をテーブルごと叩き壊した。
「うわ!」
「儂の象牙の駒がー!」
駒が綺麗に割れている。本当にごめん、ルシファー。
さすがにやり過ぎだと注意しようとしたが、リムの形相を見てやめた。
眉が吊り上がると、本当に鬼のような顔だ。正直、悪魔より恐ろしい。
これがリムが面倒な理由だ。リムが癇癪をおこすと、お得意の馬鹿力が炸裂する。
「ロヴは、今から父さんの話を聞くの!いい!?」
断ったら何をされるか、分かったもんじゃない。
「悪いな、今日はここまでだルシファー。帰ってくれる?」
「おぬしも扱いが雑じゃの。一応司祭なんじゃよ、儂。地獄でそれなりに偉いんじゃがのう」
ぶつぶつと言いながら、地面の魔法陣に消えていった。上級以上の悪魔は勝手に帰ってくれるから助かる。
「言っとくけど、話を聞くまでしか了承してないぞ」
「分かってるよー」
どうやら機嫌が直ったらしい。父さん達ももう少しおしとやかに造れなかったのか、物理的な意味で。
嬉しそうなリムと、家に戻る。
父さんはリビングでコーヒーを飲んでいた。
「もうチェスは良いのかい?ロヴロ」
「うん、盤が消されたから」
「消された?」
そこでリムに小突かれた。あばらが軋むのを小突くというかは知らないが。
「こっちの話。それより」
父さんの向かいに座る。ついでにリムも、俺の隣に座った。
「話があるって聞いたんだけど」
「ああ、そうだな」
そこで、父さんが俺に向き直った。
「単刀直入に言おう。ロヴロ、学校に行ってみないか?」
「...は?」
「実は、知り合いに高校で校長をやっている人がいてね。お前のことを話したら、是非うちに来てほしいって言われたんだ。急な話だと思うが、お前ももう十五だし、ずっと魔界に居続けるのもどうかと思ってな。どうだ?」
言葉に詰まった。特別、学校に行きたいと思ったことはなかった。ここでの生活は気に入っているし、わざわざ離れる必要があるのか?
おっと、リムの視線が痛いな。
「えっと、父さん。当たり前のことを聞くけど、学校って魔法を教わるんだよな?」
「そうだよ」
「大体でいいけど、教わる魔法のレベルってわかる?」
「中級魔法がほとんどだ」
それならもうほとんど使えると思う。尚更行く意味が分からなくなったな。
「お前の言いたいことは何となく分かるよ。もう使える魔法を、習う意味があるのかってことだろう?」
俺は黙って頷いた。
「そうだな、確かに上級も使えるお前には、学校は物足りないところかも知れないな」
厳密には少し違う。学校の詳しい仕組みは知らないが、そんなところで習ったら悪目立ちするに決まってる。でも、それだけじゃ断る理由にはならないよな。
「でもなロヴロ、その学校には、いろんな血筋の人間がいる。その中には、その血縁にしか使えない伝統的な魔法を使う子もいると思うぞ」
魔法という言葉につい反応してしまう。昔からの悪い癖だ。
でも、物凄くそそられる。知りもしない魔法があるなら、見てみたい。
「じゃあ、行ってみようかな?」
「本当か」
「うん、まあ授業にはついて行けるだろうしな」
それに、どうせ残り少ない寿命だ。ゆっくり魔法を見学するくらいいいだろう。面倒ごとに巻き込まれない様にすれば、問題ない。
「やったぁ!楽しみだね、ロヴ」
おとなしくしていたリムが急に抱き着いてきた。本当にあばらが折れたんじゃないかと思った。
「うん、姉さん、痛い」
「あっ、ごめん」
慌ててリムが離れる。
「で、いつから向こうに行けばいいの?父さん」
「来週、試験があるらしい。その前日あたりに俺がワープで送ろう。昔、俺達が住んでた家がそのままだから、そこを拠点にする」
「来週に試験?」
本当に急だったんだな。
「心配するな。お前なら簡単に受かるさ」
自信満々に父さんが言う。
まあ、そう言うなら大丈夫なんだろう。
「じゃあ、俺は部屋で身支度でもしてくるよ」
「ああ、また何かあったら教えるよ」
そして、俺は部屋に戻った。
長く生きられて二十歳まで、確かに医者にそう言われた。
そんな俺に、父さんは一体何をさせたいのだろう。
俺は鏡の前に立ち、前髪をかきあげた。
花弁が一、二枚咲いていた左目の瞳は、既に半分ほどが咲いたような痣が浮かんでいる。
これからどうなるのか、考えるだけ無駄か。
最期は死ぬだけだ。この先、何が起ころうと、それは変わらないのだから...。