58一息
瓶が触れ合うような、乾いた音や、靴の擦れる音が聞こえ、少しずつ意識が覚醒していく。
目を開ければそこは、医療室のようだった。来たことはないが、鼻をつく薬品の臭いや、ベッドからの光景が、医療施設を連想させるには充分だった。
カーテンの隙間から、治療薬か何かを調合しているのか、薬用のすり鉢が浮遊し、中身を混ぜ合わせている。
それに、自分の腕に繋がれたチューブを見る限り、栄養剤でも入れられているのだろうかと、体に視線を向ける。
確か、転移した時にボロボロになったのは、覚えている。
それを証明するように、包帯が身体中に巻かれている。部屋全体が薄暗いのでよく見えないが、血が滲んでいるように見えた。
「随分と大袈裟な」
どうせ魔法で勝手に治せるのに、という言葉は飲み込む。治療してもらって、もし聞かれでもしたら失礼だ。
一体どのくらい寝ていたのだろうか。
段々、体の感覚が戻ってくる。起き上がろうと体に力を入れると、腹部の辺りが重い事に、今更気付いた。スーツを着た女性のシルエット、それに少し乱れた金髪が、医務室の薄明かりを反射している。
「モネさん?」
「…………」
耳を澄ませば、すうすうと規則正しい寝息が聞こえてくる。
いつからこうしていたのだろうか、肩から毛布がずり落ちそうだ。
それを掛け直すと、モネの肩がピクリと動いた。
そしてバネ仕掛けの玩具のように、体を飛び起こした。
「起きたか」
「ええ。そっちも」
乱れた髪を手櫛で整えると、こちらの軽口を咎めるように睨みつけてくる。
「こんな時にまで、口の減らん奴だな」
「顔赤いまま言われても、あんまり怖くないですよ。それと、頬に涎の跡が」
「え!?」
「冗談です」
慌てて口を拭おうとしたモネの拳が空中で止まる。更に顔が紅潮し、手がプルプルと震え出した。僅かな怒気を感じ、目を閉じる。
「この、馬鹿者!」
「痛い!」
わざわざ顔面を殴らなくても……。そう言うと、怪我人である事を今になって気付いたように、分かりやすく慌てだした。忙しい人だなと、なんだが可笑しくなってしまう。
「な、何を笑ってる!?」
「すみません、面白くてつい。わざわざ付きっきりで看病してもらって、ありがとうございます」
「別に、礼を言われる筋合いはない。治療自体は私がした訳じゃない」
「付きっきりの部分は否定しないんですね」
「このっ……!!」
今度は口車に乗るまいと、モネはぐっと唇を噛んだ。
「当たり前だ。お前がこうなったのは、私の所為なんだから」
「気にし過ぎです。勝手にやった事ですから」
そうだ。記憶が蘇ってきた。確か、無茶な転移をしたのだ。
「お前が転移の直前に私に掛けた魔法、あれは『魔力阻害』だな。神殿の魔物が使ったものと同じか」
「気付いてましたか」
「お陰で碌に魔力を練れなかったからな」
聖蛇の毒液だと気付いた時点で、魔法を使うのは危険。だが、危険なだけで、無視して転移する分には、正直言ってそこまで重傷にならない。
その自信はあった。だが、試したことの無い賭けに、自分以外は巻き込めない。
だからモネだけには、保険をかけて魔力を阻害した。
それでも転移する瞬間に傷を負う可能性がゼロではなかった。だが、目の前のモネには、少なくとも新しい外傷は見当たらない。
「やっぱり、術式を組んだ者が対象みたいですね、あの毒は。一つ勉強になりました」
「そんな事をしなくても、私が魔力を断つだけで良かったんじゃないか?」
「そうかも知れませんね。まあ、良いじゃないですか、次からそうすれば」
「お前は聡いのか馬鹿なのか、分からん奴だな」
呆れている、というよりも安堵したような溜め息がモネから漏れる。
「お疲れのところ申し訳ないんですけど、お聞きしても良いでしょうか?」
「なんだ?」
「戦闘ですっかり頭から抜けていましたけど、生徒達は無事に戻れたんでしょうか?」
「ああ、ネジが森の方で待機していたからな。『門』を繋げ直していたよ。だったらこっちの異変にも気付けと言いたい所だったが、向こうは向こうで魔獣が出たらしいからな」
「魔獣?あのデヴォンとかって奴の差し金ですかね」
「恐らくな。門を繋ぎながら、シャルロット達を守って闘っていたらしい。多少傷を負ったそうだが、しぶとい爺だからな」
「そうですね。見かけによらず武闘派ですし」
悪態のつもりはないが、モネと二人だけだとどうにも棘のある言い方になってしまう。
それを諌めるように、モネは咳払いを一つ挟んだ。
「話を戻そう。生徒、教師に怪我人はいない。コカトリスも森から逃げたりはしていない。あの男が隠れ家にしたから住処を追われ、気が立っていたのだろうという見解になった」
「敵の消息は?」
「現在調査中、と言ってはいるが、魔術協会にどこまで特定出来るかは、現段階では分からん」
「そうですか」
「埋もれた施設も、今頃は掘り返しているだろう。あの『人身供物』の魔法陣も、子供の遺体も、すぐに見つかる」
子供、と言われると、胸の奥が痛んだ。
助けられなかった。いや、どうしようもなかったのかも知れないし、傲慢な考えではあるが……。
それでもと、どうしても考えてしまう。何か助ける手立てがあったのではないかと。
「暗い顔をするな。お前は良く戦ったよ」
「でも、結局逃してしまいました。自分の腕を買われたのに、不甲斐ない」
「どんな強者でも、一人の人間に出来ることには限りがあるものだ。そこに腕も才もない」
過去を想起しているのか、モネの顔色が暗くなった。その横顔を見て湧いた感情を、どう形容して良いか分からない。
何処か遠くの、誰かへの憂いか、力が無かった頃の自分への戒めか。その心情を理解する術はない。
だがこんな近くで、腰を据えて話す機会は、あまり逃したくは無かった。
或いは、俺も胸中を吐露したかっただけかも知れない。そう思いながらも、口は開いていた。己の内に滞留した違和感を、吐き出したかった。
「魔術師、というか教師っていうのは、中々上手くいきませんね。ナイトミストの時も、今回も。酷い有様だし」
「私からすれば、どちらの戦闘でも生き残っているだけ誇れると思うが」
「いや、でもここに来る前なら、もっと簡単に解決できていたんです」
魔獣を狩り、幾度も命を奪った。今更と言えば今更だし、少なくともナイトミストの時はそこまで気に留めていた訳でもない。
『ワープ』を使って無理矢理に地下から脱出するというのも、もっと早く決断していた気がする。
「学院に来てから、明確な変化でもあったのか?」
「いや、特には」
一人の時と違うのは、どちらも同行している人がいたくらいだ。
「人に見られていると緊張する、なんて筈はないんですけどね。こっちに来て、腰が引けたんでしょうか」
「……ふむ」
小さく呟いたモネは、急に黙り込んで視線を外した。
続く言葉を待つ沈黙が気持ち悪い。
顔色を窺い、首を傾げる事しか出来ない俺と目が合うと、モネはほんの少しだけ笑った。
「え、なんで笑うんですか?」
「いや、すまん。最初の頃の事を思い出しただけだ」
つい先刻、地下室でも似たような話を聞いたが、それとはまた違うようだ。
「あくまで印象の話だ。入試、それに授業で見せた魔術は大したものだった。だが、言ってしまえばそれしか取り柄のないようにも思っていた。それも当然だ、お前は教職者の責任なんて、何も知らない子供なんだから」
「ええ」
子供が出しゃばる所ではない。その空気は今も感じる。あんな戦闘の後というのもあるが、納得出来る話だとも思う。
「お前は確かに魔術の才がある。だがそれは、危うい事だと思っていた。いや、それは今も思ってはいるんだが……お前はさっき、腰が引けたと言ったな」
「はい」
「それは要するに、ここに来る前の力の使い方を、ここぞという勝負時に思い止まった、という事だろう?」
「まあ、そんな感じです」
そして次善策を考えている内に後手を踏む。最近で深手を追うものは、大体そうだ。
思い出したくない失策だ。しかしモネは、ならばと言葉を続けた。
「それは、周りを巻き込まぬ、犠牲を出さない為の思考だ。自分の命が危うい場面で、他を思い遣る。それは弱さではない。きっと、お前にとっても良い変化だと、私は思う」
「そんな良いものではない気がしますが……」
しかしモネの言い分には、確固たる意志が感じられる。思えばシーの一件であった違和感も同じ、守る立場になった時に感じたものだ。
小さい頃に憧れた、師匠の背を思い起こす。俺はあの二人の背を真似ているのだろうか。もしそうなら、真似ることが出来ているのだろうか。
「だが、意識の変化を自覚しているのなら、悩むよりも先ず戦い方を考えるべきだ。あの男を燃やした時、自分ごと焼いただろう」
「あれはまあ、何というか。敵を騙すには味方からと言いますか」
「茶化すな。何故あんな手を使った?」
何故、と言われると根拠らしいものはない。ただデヴォンの言動を受け、付け入る隙があると感じただけ。
「あいつはずっと俺に執着してましたし、黒魔術への理解もある。そしてそれ以上に、驕りが見え見えでしたからね。目の前で黒く燃える炎でサンショウウオが包まれていれば、勘違いしそうだなと」
「そう見せる為だけに、我が身を焼いたと?」
「有利を取る為に、自分の身を自分で攻撃する奴はそういませんからね。あいつも、そういう認識だったんでしょう」
「怖い事をさらっと言うな、お前は。もう少し自分を大切にしたらどうだ。お前の傷ついた姿を見て、辛くなる者もいる」
「ああ、まあ。シャルロットあたりは泣きそうですかね」
「実際、涙を流していた。安全の為、生徒は帰らせたが、最後まで離れようとしなかったからな」
自分が気を失っている間にそんな事が。同い年の子に心配されているようでは、まだまだ未熟。
というか、女を泣かせるなと、あの二人から散々言われたなあ。
「どうした?」
「いえ。師匠に今の姿を見られたら、怒られそうだなと」
モネと少しだけ打ち解け、口が軽くなる。そんな弛緩した空気を、聞き覚えのある声がぶち壊した。
「自覚あるんだ、へえ〜。じゃあ、特訓させられても文句ないわよね?」
「はっ!?」
体が反射で強張る。あの、幾度となく死地に叩き落とされた、無邪気な悪意の篭った声。怒気を含んでいる気がするのは気のせいだろうか。
幻聴であって欲しい。その希望を打ち砕くように、勢いよくカーテンが開かれ、赤い帽子を被った姿が露わになった。
「おはよう、私の可愛い一番弟子ちゃん」
「お、おはよう。久しぶりだね、ルル」
笑顔で言われているが、分かりやすく怒りのオーラで満ちている。髪が魔力でフワフワと浮いている時は、大体怒っているのだ。
「軟弱なあんたの為に、私が特別な仕事を用意してあげたわ。嬉しいでしょう?」
「あー、嬉しいなぁ」
「今、適当に言った?」
「滅相もない」
剣に手をかけるな、怖いから。
「そんな事より、何時からそこに?」
「最初からよ。話が終わらないから痺れを切らしちゃった」
モネの顔を見ると、無言で頷いた。事情は知っているらしい。まあ、自分の口から一番弟子がどうと言っていて、俺のこの反応だ。嫌でも察しがつくだろう。
「よく学院に入れたね。院長に止められなかった?」
「止められたわよ。半壊させてでも押し通るって言ったら、快く通してくれたわ」
「はあ…………」
「ブラッド、なんというか……お前も大変だな」
「分かってくれてありがとうございます」
含みのない、モネの心からの労いを、素直に受け取った。




