55戦前
「まず一つ。あいつは明らかに遊んでます。こんな風に逃げている俺達を追ってこないのが良い証拠でしょう」
恐らくここの構造を知っている故の余裕。きっと、この奥に出口はないのだろう。もしそうなら、相手はこちらが飛び出してくるのを待っているだけで良い。
「だが、ワープを使えるお前なら関係ないだろう?」
「それはそうかも知れません。でも、あんな狡猾な男が、その程度の事を想定出来ないとは思えません。仮に出来ても、それを契機として別の攻撃を仕掛けてこられても面倒です。ならいっそ、あいつの望み通りに動いて、隙をつく方が良い」
あいつは俺にご執心だった。その俺だけ逃げおおせたと知ったら、モネが殺されてしまう可能性もある。
勿論、これはこちらの勝手な心象に過ぎない。全てはあの男の気分次第で瓦解してしまうような、お粗末な見立て。
そう言いたげな顔で、モネはこちらを見る。しかし反論に足る材料が自分達に無い事もまた事実。そう納得し、次の言葉を促した。
「それで、二つ目はなんだ?あの儀式のことでも聞き出したい、とでも言うのか?」
「いえ、それは今はいいです。きっとその内分かるでしょうから」
「なら、一体何がしたくて逃げない?わざわざ死地に残るなんて、正気の沙汰じゃない」
「……そうかも知れません」
あっさり言い放つと、モネは益々分からないと、眉間に皺を寄せた。
生き死にの話になると、どうしてもこの痣がチラつき、暗い影を落としてくる。
生きることに固執などしたくない。そう口にしてしまいたい。
だがそれを、今まさに守ろうとしてくれている人に言うべきではないだろう。
その代わりに、俺は左目を隠している前髪を掻き上げた。禍々しいこの呪いの刻印を、モネは真っ直ぐに見据えた。
「あいつにも、これと似た紋様がありました。罹患者というのは、きっとこれの事でしょう」
「ああ、あったな。確かに似ている。それはどういう類のものなんだ?」
「……呪いと、聞かされています。はっきりとした事は分かりません。ただ、自分は短命な身だと」
「……嫌な事を聞いたな」
「良いんです。もう慣れましたから。でも、あいつは呪いについて何か知っていそうです。神殿で出た、黒魔術についても。それが何なのか知りたい。たとえ全てが分からなくても、自分の命を蝕んでいるものが何か、その一端でも知りたいんです」
「……ブラッド。いや……しかし……」
空気が重い。我ながら酷い言い草だと思う。命を盾にする言い方をされては、無視出来ない。付き合いは浅いが、モネはそんな性格な気がした。
「……お前が残りたい理由は、理解した。だが、それでもやはり危険だ」
「無茶はしません。危険となれば逃げますから」
「よく言う。微塵もそんなつもりがない癖に」
盛大なため息を吐き、モネは眉間を揉んだ。
「もう良い。止めても聞かないのはよく分かった。本当に、無茶はするなよ」
「ありがとうございます」
結局、話はモネが折れる形で進んだ。
残ると決まったのなら、次に話し合うべきはどう勝つか。
「それで、あいつをどう崩しますか?」
「そうだな。今の所厄介なのは、あの取り巻きだ。俊敏な上、魔術が効かなかった。地雷もあって詰め辛く、剣捌きもキレが良い」
「それに、まだ大した魔法も見せていませんしね」
「そうだな。お前のように、奥の手があると考えるのが自然だな」
「俺のはまだ、奥の手と言えません。乱発も出来ませんし」
「ほう、さっき使おうとした癖にか?」
「うっ……。すみません、熱くなって」
突然責めるような視線を投げられ、言葉に詰まる。教育者というのは、本当によく見ている。
「まあそれは今はいい。話を戻そう。あいつの対策には取り敢えず、あのサンショウウオを引き剥がさないと話にならない」
二匹を引き剥がすのは少し、いやかなり骨が折れる。だが気になる点がない事はない。
混戦の最中に垣間見た、相手の挙動を思い返し、その思考を言葉にする。
「気になったんですけど、あいつにも攻撃が通る時がありましたよね?」
「稀にな。だが、それがどういう法則かは分からない。なるべく攻撃の手数を増やし、糸口を見つけられれば良いんだが」
「なら、その役は俺がやります。手数と火力は得意なんで」
「簡単に言ってくれるな、本当に。だがさっきの見立てが正しいなら、あの男、お前に粘着してくるんじゃないのか?」
「ええ、恐らく。だからそうなった時は、手数の内に巻き込みます。攻撃が上手く作用すれば、地雷も気にしなくて済むかもしれませんし」
「では、私にお前の援護に徹しろと?」
「はい。隙があれば、追い打ちもお願いします」
「まあ、それは構わんが……」
「それと、巻き添えはなるべく喰らわないで下さいね」
「舐めるな、そのくらいは回避出来る。お前は好きに闘え」
心強い言葉を投げかけてくれる。考えてみれば、モネも教える立場の魔術師。それに狭い室内で、あの男の独特な剣を捌き、サンショウウオを掻い潜っていたのだ。彼女も相当の場数を踏んでいる人間だろう。
「それと、私の魔法について、簡単に説明しておく。いざという時、知っていれば役に立つかもしれん」
モネが杖を握り直し、軽く振った。すると、三匹の猫の守護霊が躍り出た。
それぞれ赤、青、緑に光を発し、部屋が仄かに明るく照らされた。
「私は操霊魔術を使う。こいつらは私の守護霊で、それぞれ固有の能力を有している。攻撃、防御、速度に特化していると考えてくれれば良い」
「さっき大きくなったのは?」
「それは赤、攻撃特化の猫だ。練り上げる魔力量で、肥大化させて能力を底上げ出来る。まあ、その分扱いが難しい上に、消耗も激しい」
そう言いながら、緑の猫の頭を撫でる。守護霊はまるでペットのように、モネの掌に頭を押し付けている。
「懐いてますね」
「最初は手が掛かったがな。いや、そんな事はいい。能力の話の続きだ」
緩んだ顔を見せたのが不本意だったのか、穏やかな表情を引き締めて、いつもの凛々しい表情を繕った。
「戦い方は、自分の肉体に憑依させて戦うか、守護霊自体に戦わせるかだ。両方同時に出来なくもないが、長くは保たない。私は元々、魔力が乏しいからな」
乏しい……さっき地面を割っておいて、乏しいというのは随分と控えめに聞こえる。
「なんだか秘術めいてますね」
「……実際、そういうものだ。あまり、楽しい話でもないがな」
あまり触れられたくないのか、モネの表情が曇った。詮索をするつもりはないが、罪悪感に襲われる。
「なんだその顔は。余計な気遣いは無用だ。それより、具体的に何をするつもりだ?」
「えっと、あくまで仮説ですから、あまり自信はありませんが……」
「構わん、話してみろ」
打開策を軽く打ち合わせる。聞かれている可能性を捨てず、『サイレンス』の魔法陣を浮かべておくのも忘れない。
自分の中で有力そうな仮説と手順を、幾つか説明していく。
だが何れの案も、モネは渋い顔をしながら聴いていた。粗方の説明を終えた時に漏れた声は、大きな溜め息だった。
「駄目ですか?」
「駄目に決まってるだろう。全く、どういう思考回路をしていたらそんな……」
無茶を承知で考えた手は、あまり好ましいものではなかったらしい。
それでも、最早話し合いの余地はなくなってしまったようだ。地鳴りのような音と大きな揺れが、部屋全体を襲った。
室内に乱雑に置かれていた小瓶やフラスコが棚から落ち、床に散乱した。
「痺れを切らしたか」
モネは舌打ちを一つし、俺の背を力強く叩いた。
「痛っ!」
「時間がない、お前の策でいく。勝手に死んだらあの世でもう一回殺してやる」
「ははっ。それは酷い呪いですね」
何とも不器用な優しさだと、素直にそう感じた。
自分が敗れ、殺されるならそれは勝負の結果。悔いはない。
だがそうなれば、モネまでもあの男の毒牙に掛かるかも知れない。というより、一人だけ助かりたいなどと、彼女が考えるとも思えない。
そんな禍根の残す闘いはしない。したくなかった。
負けられないと、己を鼓舞する。深呼吸をして、鼓動を鎮めていく。
「じゃあ、先に仕掛けます。その後は予定通りでお願いします」
「任せろ」
そのやり取りを最後に、俺達は部屋を飛び出し、来た道を戻る。




