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54窮地

 男が笑った瞬間、空間を捻じ曲げられた、そう錯覚する程の魔力が部屋に溢れていく。その異様な質量に直感する。

 止めなければ、と。


 懐へ飛び込み、鋭い突きを放つ。喉笛を掻き斬らんとする勢いはしかし、男の寸前で止まった。


 奇妙な触感の見えぬ壁が、切っ先を阻んだのだ。

 どんなに力を込めても、グニグニと伸びるだけで刃が通らない。


「何だこいつ?」

「俺の可愛い実験体だ。そいつは一筋縄ではいかんぞ?」


 得意げに語る男の言動は自信の表れだろうか。易々と攻撃は通りそうにない。ならばーー。


 これならどうだ?


 剣の先に黒い魔法陣を浮かべる。黒く光りを放ち、黒炎がゲル状の実験体とやらを飲み込んでいく。

 それを受け、刀身が震えた。痛みに悶えているのか、奇声が漏れ、剣の拘束が少し緩んだ。


 すかさず剣を引き抜き、もう一度見舞う。

 更に男の背後から、その首を狙うもう一太刀。モネと視線が交差する。

 逃げ道はない。息を合わせて振るわれる二本の剣。

 しかしそれは男をすり抜け、代わりに互いの剣を打ち合わせた。


「おっと!」

「なに!?」


 危うく味方を殺しかけ、モネの足が止まる。困惑の表情を浮かべるのも無理はないが、その迷いは短いものだった。


 魔力の気配を辿れば、空気に紛れ込んだ男の姿が、モネの背後に浮かぶ。長刀が、ギラリと鈍い光を帯びた。


「危ない!」


 『ブースト』で吹き飛び、モネを庇った。

 相手の刺突が飛んでくる。障壁を張るのが遅れて、右肩が貫かれた。


「ぐぅっ!!」

「ブラッド!」


「ほう、あの体勢からよく避けたな。致命傷を狙ったつもりだったが……」


 乱雑に剣を引き抜く。焼けるように痛む傷口から、ドクドクと鮮血が溢れ出す。

 回復を試みたいが、敵の目の前ではそれも厳しい。


「それにしても、『冥王の火』とは恐れ入った。危うく、こいつがいなければ燃えてしまうところだったな」


 そして男が天井へと移動する。滑るように動くソレを、わざとこちらに見せつけるように。

 恐らくは、戦闘の前から発動していたのだろう。男を覆っていたゲルがうねり、形を成していく。


 サンショウウオのような、両生類を型取った生物が二体。

 だが驚くべきは、人一人ならば、平気で丸呑みできてしまうような体躯でも、空気に溶け込む能力でもなかった。


 対象を燃やし尽くすまで収まらぬ筈の『冥王の火』、それがいつの間にか掻き消えている。


「どうして?」

「ククッ、惜しかったな。俺だけを燃やせば、あっさり勝負がついたかも知れんのに。敵に対して少々甘いんじゃないか?」


「ふざけていると痛い目に遭うぞ?」


 余裕を見せる男の死角に、いつの間にかモネが魔法を仕掛けていた。大きな猫が物陰から駆け出す。


 あれは、守護霊か。


 壁を蹴り、男へと近づいていく。合わせて魔法陣を放ち、周囲の石礫を撃ち出した。

 岩魔法『ストーン・バレット』。目眩しの弾丸と猫の蹴爪が迫る。


「良い速度だ。だが、残念」


 サンショウウオが再び男を包んだ。直撃した石の弾幕は、表皮を削ることすら叶わず破砕された。

 守護霊の援護のつもりだったが、その本命の攻撃もまた、もう一匹のサンショウウオが立ち塞がった所為で阻まれる。

 噛み付かれた守護霊に、モネの表情が強張った。


「くっ!!」


 モネが杖を振るい、猫を操る。空中で身を翻し、相手の頭上を飛び越えてモネの元へと舞い戻る。


「いきなり飛びかかってくるとは、躾がなっていないなぁ、先生」

「そうさせたんだ、躾けた通りだろうが」


 モネは苛立ちを隠そうともせず、更に杖を振るう。

 膨らんだ魔力に呼応して、守護霊が大きさを増す。仄暗い穴蔵を、守護霊の淡い光が照らす。


 魔力の密度が上がる。光が収まったそこに立っていた守護霊は、猫というよりも虎に近い風貌へと変化した。そして、部屋全体を震わせるような咆哮を上げる。


 地面が揺れる。駆け出したのだと認識した時には、守護霊は視界から消えていた。地面にヒビが入る程の脚力は、一踏みで敵の懐への接近を可能にすふ。


 サンショウウオに包まれた男に、守護霊が前脚を振り下ろす。俺にも遠慮はなかった。自分の頭上に展開させた魔法陣から、バチバチと火花が散った。


 壁を壊す轟音と共に、爪が敵に食い込む。同時に、貫通力の高い『ライトニング・スピア』を幾本も撃ちだす。

 疾る雷光、敵に食い込み、ジュウジュウッと焦げる音がした。盛大に砂埃が舞う中、雷槍で串刺しになったサンショウウオの片腕が落ちる。


 攻撃が効いてる。そう判断し、二匹目を掻い潜って追撃を試みる。

 だが男が構えた杖が、それを阻んだ。


 殺気に足を止めれば、その少し先の地面が爆発した。瓦礫が飛び散り、頭の上を掠める。


「良い反応だ。術の強度も申し分ない。だが、それで全力ではあるまい」

「よく喋る奴だな」

「これは失礼。研究が絡むとついな。だから興味のない方はには、そろそろご退場願おうか」


 そして男の視線が、モネへと移った。守られていたサンショウウオから飛び出した男が、モネと守護霊へ二匹を仕向ける。

 迎撃するが、サンショウウオの舌が曲がりくねって捕らえられない。息をつく間も与えず、男がモネに肉迫し、剣を振りかざした。


 男の長刀と鍔迫り合いをするが、モネが徐々に、壁へ追いやられる。男への攻撃は、モネを巻き込みかねない。風の刃を巻き上げ、せめて他の攻撃を排除する。


 斬撃がザクザクと、サンショウウオの追撃を削る。

 だがさっきの雷槍とは違い、舌が切断されることはなかった。

 強度を考えれば、舌が吹き飛んでもおかしくはないのに。疑問が浮かび、視界が疎かになった瞬間、檄が飛ぶ。


「ブラッド!」

「ッ!!」


 はっとして剣を構える。伸びた長刀を間一髪で防いだ。モネを狙って見せたのはフェイクか。ケチな手を使うものだ。


「余所見をするなよ。折角の罹患者同士の戦闘だというのに」

「さっきから訳の分からない事を……」


 男の身体めがけ、赤剣を切り返す。だが肩の傷が深く、いつものキレがない。

 男はつまらなそうに鼻を鳴らした。


「いつまでも同じ攻撃ばかりだな。さっさとあの魔術を使ったらどうだ?」

 男の回し蹴りが、傷口にめり込んだ。

 ぐらついて後ろに足がかかる。そして踏みつけた妙な感触。先刻足を止められた罠が、後方で再び炸裂した。


「うああっ!!!」

 背中が熱を帯び、激痛が走った。体の至る所に石片が突き刺さり、堪らず膝をつく。

 地雷型の罠魔法が邪魔で、下手に踏み込めない。

 攻めあぐねている俺に、男は尚も挑発を続ける。長刀の切っ先をモネへと向けて。


「ほら、どうした?また邪魔な死体が一つ増えるぞ?さっさとアレを見せてみろ」


 神経を逆撫でする声の響きが、嫌になる程に苛々する。

 人の死自体は、誰にでも訪れる。そこに違いはないと、そう思っていた。

 それでも、非力な子供の生が踏み躙られた傍らで、こんな男が笑い、生き延びている。それが、どうしようもなく胸糞悪い。


 そんなに見たいのなら、死をなんとも思わないというのならーー。


「……やってやるよ」


 左目から流れ出るように、魔力が巡る。疼く不快な感覚が呼び起こされていく。

 呪詛が、口から溢れる。どす黒い魔力、歪な殺意を、敵に向け紡ぎ出そうとした刹那ーー。


 突如として、目の前が霧に包まれた。相手の目眩しかと身構えた時、胴に何かが括り付けられる感覚があった。


 それが虎の尾だと気付いた頃には、俺の身は宙に浮いていた。次いで地響きが起こり、体が引き摺られていく。

 虎の背にはモネが乗っている。「逃げるぞ」と、口が動いた気がしたが、迫り来る敵の攻撃と地面の爆発で聞こえなかった。





「ひとまず、追っては来ていないようだな」

「そうみたいですね」

 どれくらい走ったか分からない。地下道はかなり入り組んでおり、おまけに光も届かない所為で、現在地がどの辺りなのか、検討が付かなかった。


 休めそうな一つの小部屋に入ったモネは、背後からの追っ手がないことを確認し、ようやく腰を下ろした。


 本当なら、さっさと脱出して増援を頼むのが理想だが、どうやら爆発で侵入口が塞がれてしまい、止むを得ず奥へと逃げ込んだと、説明してくれた。


「道が塞がれたのは、盲点でした。よく見てますね」

「お前が熱くなり過ぎなんだ。私は何度も呼びかけたぞ?あの実験体を退けるので精一杯だったが」


 先程までいた部屋の方を見て、モネは力なく呟く。

「子供の遺体も連れ帰ってやりたかったが、あの状況ではな」


 モネの言わんとすることは理解出来る。あれだけ罠が炸裂している中だ、遺体も、原形を留めてはいないだろう。


「だが、まだ私達は生きている。死者の弔いは、敵を退けた後でいい」

「……はい」


 激励とも取れる言葉を口にしたモネは、杖をこちらに向けた。


「傷を見せろ。回復は苦手だが、多少は心得がある」

「ああ、大丈夫です。自分で出来ますから」

「……そうか。なら、せめて包帯を巻かせてくれないか?」

「随分と、気にしてくれるんですね」


 珍しい。声に出してはいないつもりだったが、モネの視線がきつくなった。


「お前、今失礼なことを考えたな?」

「まさか」


 呆れたように鼻を鳴らす。だがそれ以上は何も言わず、雑嚢から包帯を取り出した。

 穴が空いた跡が痛々しい傷口を、モネは顔色も変えずに手当てをする。丁寧に魔法薬を塗り、包帯を巻いてくれた。


「終わったぞ」

「ありがとうございます」


 処置を終えたモネは、雑嚢へ道具を戻しながら、小さく呟いた。


「……すまん」

「何がですか?」

「私の油断で、そんな傷を負わせてしまった」

「ああ、そういうことですか。気にしてませんよ、腕の一本くらい」


「一本くらい、か。随分と自分を軽んじるんだな」

「そういう訳じゃありませんが、ついこの間も死にかけましたから、今に始まったことじゃないと言いますか……」


 自分の身が傷つくなんて、生きていく上で当たり前のこと。修行中でも、敵襲でも、それは変わらない。


「それでも、お前はまだ子供だ」


 モネの声は暗い。まるで自分に言い聞かせているような、か細い声。

 黙って次の言葉を待っていた俺に、モネは真剣な面持ちで向き直った。


「ブラッド、命令だ。お前は先に逃げろ」

「え……どうしてですか?」

 実際、ここからどう脱出するというのか。そんな事はきっと、今のモネにはどうでも良いのだと、そんな想いが伝わってくる。


「ブラッド、私が初めてお前に会った日の言葉を覚えているか?」

「はい、それはもう。どこの誰とも知れぬ子供を雇うなんて反対だと」


「そうだ。だがそれは、教鞭を取る事だけを言ったのではない。お前があの神殿で死に目に遭ったように、魔術を教える者は、死地に立たされる事もある。そしてその非常事態に、背負いきれない責任を取らされる事もある。そんな面倒なものを、お前みたいな年端もいかない子供が背負う必要はない」


 死に急ぐような真似を、子供がする事はないんだ。


 そう漏らすモネは、いつもより弱々しく見えた。

 まるで在りし日に想いを馳せているように、瞳が揺らいだ。


 きっと今の俺には、モネの言葉の全ては分からない。まるで見当外れな事を考えているかもしれない。

 それでも、俺の身を心から案じてくれている。それだけは痛い程に伝わってくる。ならば、それだけを受け取れば良い。少なくとも今は。


「優しいんですね、モネさん」

「茶化すな。方法は任せる。だからここは私に任せて……」

「お断りします」

「なっ……!?」


 言葉を遮る。しおらしかった表情が一変、面食らって声が上ずった。


「お前、私の話をちゃんと聞いてたのか!?」

「ええ。意味もちゃんと理解してます。その上で、二つ言いたい事があります」


 モネが本心を語ってくれているのなら、こちらもそれ相応の対応をしなければならない。

 元より、引くなんて選択肢はないのだから。


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