53会敵
穴を降りた先は、まるで土竜が掘ったようだった。
光が差し込まぬうえに、曲がりくねった道のせいで先が見渡せない。光を灯していなければ、自分のつま先も見えなかっただろう。
「いっそ、奥まで光を飛ばしますか?」
「何が出るか分からんのに、そんなこと出来るか」
「ですよね」
何かいる、その認識は共通のものだった。道の補正はされていないのに、妙に地面が均されている。
誰かが踏みしめた後、と考えるのが妥当。であれば、待ち構えられている可能性も考慮に入れなければならない。
張り詰めた空気の中で歩を進める。永遠にも感じられた閉塞感は、不意に道が開けたことでなくなった。
照らし出されたその異様な光景に、俺達の表情は直ぐに強張った。
鉄の臭いが鼻を突き、何かの駆動する不気味な音が響いてくるその大部屋は、化学施設と言って差し支えなかった。
ひび割れたガラスの円筒がいくつも並び、中に淀んだ液体が蓄積されている。
「これは……」
「何かの研究所、でしょうか?」
慎重に部屋を進みながら、モネは装置を検めた。その背に続きつつ、部屋を見渡す。
魔法薬でも精製しているのか、連なったフラスコの下部にはまだ火が焚かれている。
「器具はまだ新しいものだな。人の姿は見えないが、引き続き警戒を……」
言葉を切ったモネにつられ、視線をそちらへ向ける。
暗い部屋に同化していたせいで気づかなかったが、部屋の中央で小さい影が動いた。血の気が失せた少女は、肌が土気色になっている。
「子供?」
「さっきの悲鳴は、この子だったんでしょうか?」
芋虫のように、地面に力なく這いつくばる少女、幸いにもまだ息があるようだ。
「ブラッド、担いでやれ」
「はい」
駆け寄り、子供を抱き抱える。項垂れる少女のボサついた髪、ボロを纏ったその顔には見覚えがあった。
初めてシーの店を訪れた時、財布を盗んだ孤児らしき女の子だ。
ここは王都の管轄から遠く離れた地、とても子供の足で来れる距離ではない。
ふと、王都で見た人攫いの号外が頭を過ぎった。
「モネさん。この子まさか誘拐……」
言葉を切る。モネを振り返れば、彼女が押し黙っている原因が見えた。
足元に描かれた赤黒い魔法陣、それに視線が吸い寄せられている。
「それは、何かの儀式ですか?」
「そうだ。だがこれは……」
モネの表情が引き攣っている。横顔からは目に見えて血の気が引いていた。
それ程に、地面の魔法陣は禍々しいものなのか。
「人の研究室に土足で入るとは、無神経な連中だな」
「「ッ!!」」
瞬きする間もなかった。
血に塗れた白衣を着た男に、二人の喉元に注射針らしき鋭利な凶器が向けられていた。
現れた人影を囲う形で障壁を張り、モネの腕を掴んで後ずさった。一手遅く、腕から少女を掠め取られる。
涼しげな表情を崩さず、男は感嘆の声を上げた。
「ほう。杖を振ったようには見えなかったが、面白い奴もいたものだな」
「何者だ」
「答える義理はない」
モネの追及を一蹴し、男は強固な障壁を、針を軽く突き立てて破壊した。
「用がないならさっさと出て行ってくれないか?こちらにも研究があるのでね」
「『人身供物』か?」
魔法陣を一瞥した男が、興味深そうな笑みを浮かべた。
「良く知ってるな。随分と勉強熱心と見える。褒めてやろうか?」
男の挑発に、モネは唇を噛み締めて踏み留まる。
男の舐めた態度は、自信の現れとも取れる。相手の手の内が分からないなら、先手を取って押し潰す。
その未来を見越したと見紛うタイミングで、男はこちらを睨みつけた。
「おっと、動くなよ。せっかく手に入れたこいつを、殺さなくてはならなくなる」
男は乱暴な手つきで、少女の髪を掴み、切っ先を喉元に突きつけた。
痛みに子供の呻き声が漏れる。
「術を解け。さもないと……分かるな?」
「……ブラッド」
やむなしと判断し、手を軽く振って魔法陣を消した。追撃が来ない事を確認し、男は笑みを深くした。
「言われた通りにした。その子を放せ」
「ああ、勿論。返してやるとも!」
男が少女を放り投げる。モネに届きかけた時、異臭と黒ずんだ魔力が漏れ出した。
丁度、魔法薬の調合を間違えた物と似た感覚に、咄嗟に手を出していた。
「モネさん、離れて!」
障壁に触れるが早いか、少女の体は本人の意思に関係なく、爆ぜた。
あと一歩遅ければ、モネも巻き込まれていただろう。
土煙が舞い、視界が奪われる。
追撃はない。代わりに、辛うじて人の形を留めた、もはや肉塊となった少女が、俺の前に転がった。
いきなり起こった事態に、理解が追いつかない。
子供の容態を確認するべく、身を屈める。だが、体内に埋め込まれていたであろう爆薬、即死であることは明白だった。
「ふむ。硝煙ナメクジの体液と吸炎石の組み合わせは今ひとつか。良いサンプルが増えた」
「貴様ぁっ!!」
激昂したモネが剣を振り抜く。その攻撃を、男は長刀のように伸ばした針を滑らせ、切っ先を逸らした。次いで繰り出された鋭い蹴りを、身を翻して避ける。
「なんだ?魔法を解いたら殺さないとは言っていないぞ?」
「外道が!容赦はしないぞ!」
戦闘の口火を切らんばかりに、相手の喉笛に杖を向けて構える。描いた魔法陣から、守護霊らしき獣が躍り出た。
「お前の身柄は魔術協会へと引き渡す。引き摺ってでも連行させてもらうぞ!」
「はあ、面倒だな。格の違いも分からんとは……」
男は袖から杖を抜き、魔法を唱えようとした。
しかしその余裕も、放たれた声と空気の震えによって消える。訝しんだ男と視線がぶつかる。
「なあ、一つ聞いていいか?この子供、殺す必要があったのか?」
「必要?そんなものある訳ないだろう。お前、踏んだ蟻の数をいちいち覚えておくのか?」
本当に、事も無げに言い放つものだ。
たった今まで生きていた者に対して。それも、路地裏で盗みをしなければならないような境遇の子供に。
命を奪われなければならない程の行いをしたと言うのか。
「よく分かった」
腹の底から、怒りが沸々と湧き上がる。
少女の亡骸とモネの隣を突き抜け、赤剣を繰り出す。
男の構えた長刀が、金属音を立ててひん曲がった。柔らかい合金製の武器でなければ、容易に叩き折れていたであろう衝撃に、男は顔を歪ませた。
「躊躇なく急所を狙うとは、恐ろしいな……」
二撃、三撃とギアを上げる。髪が上がり、左目の痣が露わになると、男の目が見開かれた。
「その目。そうか、お前が罹患者か」
「何の話だ?」
「ああ、お前はまだ知らんのか。ナイトミストを屠った魔術師よ」
「どこでそれを!?」
「知っているとも。あの神殿を寝ぐらにさせたのは俺だからな」
一人で話し出したが、まるで意味が分からない。
こいつがナイトミストを手引きした張本人だというのなら、目的を聞かなければならない。
剣を翻し、長刀を弾き返す。男は笑みを堪えずに応戦する。その顔に無性に腹が立った。
「何が可笑しい?」
「いやいや、すまない。こんな収穫があるとは思わなくてね」
剣を押し返しながら、男はネクタイを緩めた。露わになった喉元に、総毛立つ。
首に刻まれた、百合のように見える怪しげな痣。それはまるで、俺の目とよく似た、呪われた刻印。
「それは……」
「興が乗った。お前の力を見せてもらおう。直ぐに死んでくれるなよ?」




