52偽装
「くそ、見失った……」
必死になって追いかけた先で、黒兎は忽然と姿を消していた。
しかし幻覚ではない。この心臓を鷲掴みされているような閉塞感が、気の所為な訳がない。
だがどれだけ走っても、影も形も見当たらなかった。今の位置がどの辺りなのかも分からず、足が止まる。
せめて帰還の為のゲートを開いてから来るべきだったと、後悔が遅れてやってくる。
そんなに長距離を走った訳でもないのに、冷や汗が止まらない。
息苦しさに思わず膝に手をついた時、その様を嘲笑うように兎が茂みから飛び出してきた。
「なんなんだよ、お前は。何がしたいんだ?」
返事などある筈がないのに、悪態を吐かずにはいられなかった。
こちらの苛立ちなど素知らぬ風で、兎は更に奥へと進んでしまう。
訳が分からない。だが、無理にでも考えを巡らせるのならーー。
何か、誘う理由があるのか。
そんな思考に至るのは当然と言えるだろう。
釈然としないが、不思議と引き返す気にはなれなかった。真相を探るべく、森林の奥へと歩を進めた。
●
夢中で追いかけ続けた末に辿り着いたもの、それは巨大なコカトリスの巣であった。
既に雛が巣立った後なのか、巣を形成する枝は痛み、卵殻の欠片が無ければ、巣と認識できなかっただろう。
その残骸となった木々の前で、黒兎は座っていた。こちらを覗き込む、太々しい顔からは何も意図を読み取れない。
「散々走り回らせて、見せたかったものがこの木屑の塊か?」
返事はない。当たり前だが、状況が状況だけに腹が立つ。
それでも蹴り飛ばしてしまいたくなる気持ちを抑え込み、赤い瞳を覗き込む。
その直後、兎はまた姿を消した。いや、正確にはその場で溶け出したのだ。
泥のように溶け、輪郭が無くなっていく。驚いて声を発する間も無い。
瞬く間に視界から消え、俺は巣の残骸と共に取り残された。
「おちょくってるのか?それとも、あの声の主の仕業なのか?」
だとしたら益々意味が分からない。だが思い通りに動かされているのが気に食わない。
顔も知らぬ相手に嘲笑われるのも癪だ。
せめてもの抵抗と、今まで居た場所に『感知』をかけた。
ウサギの形を成していた魔力の残り香のようなもの、それが地中へと流れ出していくのが見えた。
等間隔で規則正しい魔力の流れが、四角い形を型取りながら落ちていく。自然に出来た地面なら、こんな風にはならない。
それは、人為的に作られた何かであると示唆していた。
となれば、確認すべきである。あの兎が。何に誘おうとしているのかを知りたい。
「ごめんなさい……」
誰にともなく謝罪をしてから、目の前の巣を風で巻き上げた。辛うじて形を保っていたそれは、空中で分解され飛散した。
一見、何の変哲も無い地面。何かあるという疑いの目で見なければ、その違和感には気付かない。
地面に触れると、僅かに感触が違う部分があった。それを軽く剣で引き裂き、土を捲る。
錆のついた鉄製の扉が露わになる。扉を開けると、奥から漂うすえた臭いが鼻をついた。
一体どこまで続いているのか、暗闇の底が見えない。
用途は不明だが、随分と原始的な隠し方をする。魔術師を騙す為に、敢えてそんな手を使ったのか。
いずれにしろ、こんな物を見つけたら確認する方法は一つ。
「降りてみるか」
何かあれば、途中で浮けばいい。そう独り言ち、身体を宙に投げ出した。
が、意図せず足が停止した。同時に首元に強い力を感じ、息が詰まる。
「降りてみるか、じゃないだろう、馬鹿が」
「モネさん、苦しい……」
「ふん!」
腕に力が込められ、さっきまで立っていた所に、乱暴にぶん投げられる。
「痛いです」
「勝手に飛び出すお前が悪い」
「返す言葉もありません」
「全く……」
起き上がりながら、服についた土を払う。背後の気配に気付かぬ程に、頭が一杯になっていたとは情けない。
「ブラッドさん、大丈夫ですか?」
「シャルロットも来たのか。他の三人は?」
「消耗が激しいと判断し、緊急用の魔法陣を渡しておいた。迎えが来るか、門が復旧するか、どちらにしても時間はかからないだろう。あの三人には、待機の命令を出した」
非常時の対処の速さは流石というか、手馴れたものだ。
「だが、またコカトリスが暴れないとも限らん。だからガレットの魔法で、身を潜ませているようにと、そう言ったんだが……」
そこでモネは言葉を区切り、代わりに視線をエミリーへと向けた。その視線から逃れたいのか、顔を伏せてしまう。
助け舟も兼ねて、続きを引き継いだ。
「なんでシャルロットはついてきたんだ?」
「それは……自分でもよく分からないんです。ただ、放って置けなくて……ごめんなさい」
「はあ……。次からはもう少し考えてから行動するように。お前がブラッドを気にかけたように、我々だって生徒を守らなければならないんだ」
「はい……」
軽率な行動だったと、反省しているのだけは伝わってくる。それはモネも同じなようで、あまり強くは言わなかった。
代わりに、目の前に湧いた穴倉について疑問を投げかける。
「で、これは一体なんだ?」
「それを今から調べようかと……」
「なら一人で行くな。というか、こんなものが何だと言うんだ?随分と古そうだが」
「抜け道か何かだった、とかですか?」
「ここの存在についてはどうでもいい。私はお前がここに走ってきた理由を聞いている」
「それは……」
言って、何か伝わるだろうか。モネはこちらの事情を知らないだろう。言ったところで、どこまで信用されるかも分からない。
言葉を濁しても、正直に話しても、結果は変わらないように思えた。
いっそ、適当な理由でも並べた方がまだ良いのではないか。そう考えた直後、奇妙な音が穴の底から微かに漏れた。
「何だ?」
音の正体を確かめようと耳を澄ます。そして今度ははっきりと、甲高い音が響いた。
反響して聞こえ辛いが、それは間違いなく子供の悲鳴だった。
モネと視線を短く交わし、地下へと身構える。
「何かいますね。今の所、魔力は感じませんが」
「誰がいるにせよ、学院の管轄で勝手なことはさせられん。確認する義務がある」
人目を忍んでいる時点で、まともな相手ではない。最悪の場合に備え、生徒を逃すのが先決。
そう考えた矢先、モネが指示を飛ばす。
「シャルロット、帰り道は分かるか?」
「は、はい!」
「では他の三人と合流し、学院に帰還しろ。もしまだ門が通れないなら、ガレットと協力して身を潜めていろ」
「でも……」
エミリーの視線が、こちらへと向いた。何を求められているのか、俺には判断がつかない。どうして、そんなに不安そうな顔をしているのか。
普段ならそう問うていたが、今はそうもいかない。代わりに手を翳し、『水精の加護』を掛ける。
「それがあれば、大抵の攻撃は防いでくれる。だから、安心して戻ると良い」
「……分かりました。何があっても、無事に戻ってきてください」
「ああ、約束する」
「何かあれば、こちらから合図を送る。お前は早く戻れ」
「はい!」
踵を返し、駆け出したのを見送ってから、深呼吸を一つ。
「じゃあ、行きますか。約束しちゃいましたし」
「呑気な言い分だな。これだけ不審な事が立て続けに起こっているんだ。何が出てもおかしくはないんだぞ」
「気を引き締めろ」と檄が飛ぶ。返事の代わりに手を翳し、小さな光の球を浮かべ、下へと落とす。
降りる準備はこれで充分と、穴の淵に足を掛け、地下へと飛び降りる。




