42届物
折角の休日だというのに、全く気分が晴れない。ソファに深く腰掛けて珈琲を口に含むが、全く味がしないほどには沈んでいた。
同僚と言うべき男に刃を向けられた、院長に報告をしたが、自分の行動がやはり不味かったのかと、時間があればそんな事ばかり考えてしまう。
「やっぱり、あのやり方はまずかったのかな」
「それ、十回は聞いたわよ。助けられたなら良いじゃない」
「まあ、そうなんだけどさ。どうやら、そんなに簡単じゃないらしいよ」
「面倒ね、先生って」
「そうだね……それよりリム」
「なに?」
視線を自分の膝へと落とすと、腰にまとわりついたリムがこっちを見上げた。
「そろそろ離れてくれない?」
「嫌!まだ充電中!!」
「何をだよ?」
「弟成分!!」
「トイレに行きたいんだけど」
「駄目!」
身体を強引に引き寄せられ、傷口が痛んだ。こうなると話を聞かないのはよく分かっている。こちらが無抵抗なのを観念したと捉えたのだろう。お構いなしに頬をこすりつけてくる。
「ふふふ。最近忙しそうだったから抑えてたけど、今日は好きなだけ甘えて良いよね!」
「駄目って言ってもするんだろう?」
「何よ!嫌なの!?」
「いや、別に……」
腕に力が加わり、ギリギリと締まる。適当に受け流したが、本人は気にした風でもない。無邪気に抱き着くリムを見て、小さな溜め息が漏れた。
「まだ何か気になってるの?」
「ん、まあね……」
不意に声のトーンが落ち、言葉に詰まった。というより、伝えるべきか悩ましかった。
頭に流れ込んだ奇妙な声、どす黒い魔力の流れ、腕の痛み、嫌でも鮮明に思い出される。
しかし、それを伝えたところで心配させるだけだろう。そう考えて口を噤むが、怪しい気配を察したリムの視線が鋭くなった。
「ロヴ、何か隠してるでしょう?」
「隠してる訳じゃないけど……」
「……女ね」
「なんでそうなるんだよ?」
「違うなら本当の事言いなさいよ!」
「分かった、分かったから」
心中を見透かされたと思えば、今度は一人で盛り上がりだした。鋭いんだか鈍いんだか分からない。
なんだか深く考えるのが馬鹿らしくなり、搔い摘んで説明をした。
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「そんな感じかな?」
「そんな感じって……」
今まで覚えたての魔法が発動しないことはあったが、乗っ取られて暴発するというのは流石に経験がない。それを分かっているから、リムの顔には珍しく困惑の色が浮かんでいる。
「大丈夫なの?また暴発したりとか……」
「いや、それは問題ないと思う。あれから変な声も聞こえないし」
何か干渉される可能性も危惧していたが、声の主はあれ以来息を潜めていた。この目に関係しているのは間違いないだろうが、今それを気にしても仕方がない。
断言できる根拠はないが、戦闘中ほどの危険は感じられなかった。それよりも気になっているのは……。
「なんであのタイミングで出たのか、それが分からなくて」
「どういう事?」
「魔力が尽きかけたり、死にかけたりした時に、魔法の練度が上がったりするって話は珍しくない。火事場の馬鹿力というか、窮地に陥ってから力を発揮したって魔術師は結構いるんだ」
「……えっと、何の話?」
難しい話をしたい訳じゃなかったのだが、座学が嫌いなリムは顔をしかめている。それが可笑しくて、つい苦笑してしまう。
「ごめんごめん。俺が言いたいのは、そういう状況に陥ったのが初めてじゃなかったってことなんだよ」
型破りな師匠のお陰で、何度魔物の巣に蹴落とされたか分からない。月光蟲の巣で討伐をさせられた光景は、今思い出しても悍ましいものだ。
大群で押し寄せる甲虫の姿が脳裏に浮かんで身震いしていると、リムが不思議そうに覗き込んでくる。頭を振り、思考を戻す。
「なんであの時に限って、あの魔法が出たのか分からない。契機すらも判然としないっていうのは、気持ち悪いというか……」
「なんだ、それなら簡単じゃない」
「簡単?」
パッと体を起こしたかと思えば、自慢げに胸を逸らす。悩んでいただけに、断言されるとは思ってもいなかった。とは言えそこは人造人間の考え、何を言い出すのかあまり期待せずに続きを促した。
「一応、根拠を聞いてもいいかな?」
「だってロヴ、そんな風に誰かを命懸けで守った事なんてあった?」
「それは……あった筈。だって、ケミィやルルの時だって」
「あの人達はロヴより強いでしょう」
「それはそうだけど……」
つまり、自分よりも非力な誰かを守りたいと願った故に生じたものであると、そう言いたいのだ。本人は自信満々だが、どうにも釈然としない。そんな童話の一場面で終わるようなこじつけを鼻高々に言われても、反応に困る。
「腑に落ちないって顔ね。良いじゃない、そんなもんで」
「あっさり言うなぁ」
「なら、否定する材料はあるの?」
「それはないけど……」
「なら良いじゃない。弟が立派な騎士道を持ってて、お姉ちゃん嬉しい」
「そんな大層なものじゃないだろうけど」
都合の良すぎる解釈で、まるで納得は出来ない。しかしそれでも尚、満足げに笑うリムを見ていると、そうだと良いなと思えるから不思議である。
騎士道なんて綺麗事を受け入れる訳ではないが、卑屈になっていた頃に比べれば幾分マシである。
どうせ答えが出ないならそんなものなのだろう、そう決め、ソファに深く座り直した。
「あと一つの問題は、その理屈を親御さんが受け入れてくれるかどうか、だよなぁ」
「大丈夫よ、きっと。もし聞き入れなかったら、私が無理矢理にでも……」
「それだけはやめて。最悪、牢屋に入ることになりそうだ」
拳を作った腕を下ろさせる。世間知らずであると自覚はあるが、それだけは間違った解決法だと理解できる。自身の行動を制限され、むっと顔をしかめる。
「失礼ね。半殺しくらいにしかしないわよ」
「それも駄目だよ!」
「むうっ。大体気にし過ぎじゃないの?本当に文句があるなら抗議の一つくらいあるんじゃない?」
先程の真剣な面持ちが一変、たちまち投げやりになって膝の上にどかっと座った。そして、その言葉を待っていたかのように、玄関に備え付けたポストがカタリと音を立てた。
嫌な予感を抱きつつ、投函された物を確かめる為に玄関へ。郵便受けの中を覗くと、一通の便箋が小さく揺れている。
差出人はエダ・コールド。その名を見た瞬間、血の気が引いたのを感じる。
「不吉な事は口にするべきじゃなかったかな」
「そんなの良いから、早く読みなさいよ」
肩口から覗き込むリム、どうやら内容が気になるらしかったが、その視界を塞ぐように視線を切る。不満そうに頬を膨らませているのを無視し、少し息を整える。
封を切り取り出された紙は二枚、一枚目に描かれているのは、『転送』の魔法陣。それが青白く光り出したのと、リムが俺の襟首を掴み飛び退くのが同時。
床に落としてしまった魔法陣が燃え、軽い破裂音と閃光が疾った。
「びっくりするじゃない!一体、何考えてんの!?」
「リム、痛い」
「あっ、ごめん」
いきり立つリムを抑え、足元に目を落とす。これは攻撃ではない、そう示すように小包みが落ちていた。
小包みというにはかなり大きめだが、転送するだけならそんな派手な演出は要らないだろうに。
引っ張られて乱れた襟を正し、手に残った便箋へ向き直る。二通目に流麗な文字がしたためられているのを見るに、こちらが手紙だろう。小包みの意味は、内容を確認してからでも良いだろうと、手紙へと視線を落とした。




