41一夜明け
明朝、見送ってくれたマキナと神殿に別れを告げ、俺達は王都へと戻った。距離があるせいで、街に着いた頃にはすっかり昼前になっていた。箒から降り、路地裏を歩いていると、背中越しに声がかかった。
「……先生。あの、今更なんですけど、良いですか?」
「どうした?」
「先生って、いつも学校にどうやって来てましたっけ?」
「『ワープ』だな。それがどうかしたのか?」
「いえ、その……なんでわざわざ帰りも箒だったんですか?」
そんなもの、俺が練習したいからに決まっている。そう答えると、シーは不服そうに頬を膨らませた。
「何だよ」
「……だって先生、操縦下手だし」
「そんな事言うなら、涎垂らして寝てた事ばらすぞ?」
「……意地悪」
顔を赤らめたシーが小さく抵抗の意を示す。初めて会った時のことを思えば、表情が豊かになったものである。しかし折角の表情も、店の看板が目に入った途端に強張り、足が止まってしまう。
マキナの話を聞いたとはいえ、体は反射的に震えてしまっている。それほど苦手意識があったのだろう。
だが、いつまでもこうしてはいられない。鼓舞するように、小さく震える背を思い切り叩いた。
「痛ったぁ!!」
「ほら、道の真ん中に立ってても仕方ないだろう。早く帰れ」
「で、でも……また酷いこと言われるかも知れないし」
「大丈夫だ。院長が説明してくれてる、はず」
「説得力が一気に失われたんですけど」
「それは悪かったな。ついでにもう一つ言わせてもらえれば、連れて行く時にご両親を魔法で眠らせた」
「ええっ!?聞いてませんけど!?」
「言ってないからな。怒られるのが怖いから、俺は帰る」
「それでも先生なんですか!?」
不毛な言い合い、しかし肩の力を抜くには充分だった。顔や体から、少し緊張が解れた気がする。店の扉の前に立つところまでを見届けて、箒に足をかけた。
●
離れた建物の上まで飛び、シーの背を見届ける。出来ることなら、隣で弁明したかったが、それも出来そうにない。
先程からある気配に向け、声を掛ける。
「そろそろ出てきてもらえませんか?」
「ほほう、気付いとったか」
微かに漂っていた魔力が晴れる。迷彩の魔法らしきものが消え、小柄な老人が姿を現した。漂っていた魔力は微かだった、魔法が発動した気配もなかった筈なのに間近に現れるとは。
「どういう類の魔法ですか?それ」
「お主に応える必要があるのか?」
「いえ、今は止めておきます」
ここにいるということは、俺達を守る為に院長が遣わせた教師の筈。ならば、聞くべき事がある。
「ところで、どうしてあなたがいたのに、俺は昨日死にかけたんですかね?」
「はて、何のことやら」
「護衛する魔術師をつけると、院長から言われてたんですが、職務放棄ですか?」
「ふん。死地に小娘を連れ回すような小童が、儂に言いがかりとはのう」
「別にそんなつもりはありませんよ。それに、コールドを連れて行ったのは、それが一番早いと思ったからで……」
「そんな事は聞いとらん」
言葉を切った直後に発された僅かな殺気に、反射的に背に障壁を張る。暗器でも突き刺さったかのような亀裂が入り、魔法陣が描かれた札らしきものが障壁に張り付いている。
防がなければ、確実に急所に刺さっていたであろう攻撃に、思わず口を開いた。
「いきなりですね」
「良く防いだ。じゃが、少々その壁を過信し過ぎじゃのう」
ネジが指を鳴らせば、札が爆ぜて障壁が吹き飛ばされる。容赦なく次の攻撃を放とうと予備動作に入るのを受け、距離を取る。
「っ!!」
退こうとするも、足がもつれた。いつの間に貼られたのか、靴に札が一枚へばりついていた。その場に縛り付けられ、身動きが取れない。
「よそ見はいかんな」
視線を一瞬外した隙に、眼前に近づかれた。見かけとは裏腹の俊敏な動きで、腹に突きを食らわせてくる。
まるで鉛弾でも食らったような痛みを、食いしばって耐える。それでも攻めは止まず、首に剣を当てがわれた。
「院長に後で怒られますよ」
「儂の聞きたいことは一つだけじゃ。強引な手段を取った末、危うく生徒を殺しかけた。そんな事は予想がついていた筈じゃろう。何故、そんな馬鹿な真似をした?」
何を問われているのか分からない。だが黙っている訳にもいかず、慎重に言葉を選んだ。
「……そうですね、死んでいたかもしれません。しくじる気はありませんでしたが、慢心があったのも事実です」
返答を誤れば斬られる、そう錯覚する程の気迫。だからこそ、ここで自分を曲げてはならないと直感が告げている。それなら、感じたままに。
「それでも、誰にも助けを求められなかった少女を救い出すにはあれしかなかった。そう思っています」
口にしてしまえば、たったそれだけの事。今にも崩れてしまいそうな者を前にして、助けたいと思う、そこに大層な理由などいらない筈だ。
たとえ斬られようと、それは変わらない。沈黙の中、視線だけは外さなかった。
「青いな、若造」
答えをしくじったか、剣の切っ先が煌めく。しかし、聞き覚えのある声が地上から響き、ネジの動きが止まった。声の方向を振り返る。
何と言ったのかは聞き取れない。代わりに目に飛び込んできたのは、無事に帰ってきた娘を抱きしめるエダの姿だった。前に会った時に感じた、他を寄せ付けぬ気配は失せていた。
その柔らかな雰囲気は、実に母親らしいと言えた。
「貴様の見せた、悪夢の影響かのう」
「知ってたんですね」
「あれだけ派手に跡を残せば、嫌でも想像がつく」
張り詰めていた空気が、どこか弛緩する。ネジは剣を納めると、仕込んでいた札を手元へと手繰り寄せた。それを契機に足の拘束が解かれる。
「我が子が殺される夢など、簡単に見せるんじゃない。危うく予知夢になりかけたんじゃからな」
「心しますよ。それより、俺は殺されなくて済むんですか?」
「ふん。教え子の前で刃傷沙汰なんぞ起こしたら、寝覚めが悪いからのう」
「教え子?」
ぶっきらぼうに顎で示す先は、恐らくは母親の方だった。
シーを連れ出した時、悪夢から覚めたエダはネジに心中を吐露したらしい。
娘に辛く当たった今、信じてもらえないかもしれないが、当初は純粋に治療の手立てを探していたのだと。
だが魔具を扱う者が、ルーンの類に対応出来ないと知れれば、そこに付け入る者が現れるかも知れない。
だから公にすることも出来ず、神経だけが疲弊していったのだと。
結果的にはひた隠しにする形になり、娘に辛い思いをさせていることすらも見えなくなっていたと、涙を流していたという。
「お主のやった事、院長殿はきっとお許しになるじゃろう。それでも、自分が正しいとは思わんことじゃ。術を教えるだけが、魔術師の仕事ではない。生徒の親に牙を剥くなんぞ、教鞭を取る者にとってあるまじき行為じゃと心得よ」
それ以上話す気はないと、ネジは一方的に話を終わらせた。そして現れた時と同様に、瞬きの内に忽然と姿を消した。
「……ふぅ」
一人取り残され、今更のように押し寄せた疲労に座り込む。そして視線をまた下へ。もう家に入ってしまって見えない、シーの姿を思い出す。
ーー確かに、酷いやり方だった。
失敗したらどうなっていたかと、帰路についている間に何度も想像した。自分一人なら、きっとあんなに苦戦はしなかっただろう。しかし、死にかけた結果としてあの黒魔術が発動し、敵を退けたのも事実。そう思うと、なんともすっきりしなかった。
あんな訳の分からない力に助けられていてはいけない。今回の件で痛感した未熟さを噛み締めながら、今度こそ本当に家路を辿った。
●
路地裏の影を縫うように、ネジは道を進んでいる。人気の無くなったのを確認し、わざと聞かせるように溜め息を吐いた。
「いつまで儂を睨みつけておる?」
「あら、これでも充分抑えましたよ。老体には堪えましたか?」
頭上に影が差し、どこからともなくファナが舞い降りた。瞳が赤く光り、魔法陣らしき紋章が眼前に浮かんでいる。それに呼応するように、体に半透明の杭が浮かびあがった。
自分を押さえつける不快感に、ネジは顔をしかめた。
「相変わらず忌々しい魔法じゃ。別に殺した訳でもあるまい」
「言った筈ですよ。彼を守るようにと。危害を加えるなとも」
「見殺しにするなと言われなかったんでのう」
ファナの目付きが鋭くなる。だがネジは肩を竦めるだけで、言葉を続けた。
「あんな鼻たれ一人に随分とご執心じゃないか。こんなもんまで出しおって」
「お辛いのでしたら外して差し上げましょうか?」
「要らぬ世話じゃ」
そう言ってネジは身体を強張らせた。ただそれだけで、杭が弾き飛ばされ、霧散する。
「全く。もう少し老人を労わったらどうじゃ?」
「勝手に戦闘を始めた人への配慮など知りません。もしまた彼に手を出したら、本当に容赦はしませんよ」
「怖いのう。あれを抱え込む価値があるとは思えんのじゃがな」
何が貴様をそうさせる、言外にそう問う眼差しを受け流し、ファナは翼を広げて軽く飛翔した。
「あなたに答える義理はありませんよ。大人しく始末書でも書いてください」
「ふん、可愛げがないのう。そんなでは嫁には行けんぞ」
舌打ちと共に撃ち出された杭を、間一髪で避ける。怖い怖いと舌を覗かせ、ネジは影へと消えた。
「本当、癪に触る人ですね」
溶け込んだ影に吐き捨てるように言ったファナは、乱れた髪を掻き上げると、天高く舞い上がった。




