40経緯
全貌が明らかになるのを期待したが、そう上手くはいかなかった。マキナによれば、事の発端自体は不明らしい。頬に手を当てながら、彼女は言葉を続けた。
「正直に申し上げますと、あのような邪なものが何故ここに寄り付いたのか、よく分からないのです。ここはそもそも、魔物が棲まうような場所ではございませんから」
「それにしても珍しいですね。水精に取り憑くなんて」
「恥ずかしながら、眠る瞬間を狙われてしまったようです。まさかこんなことになってしまうなんて、精霊失格ですね」
「……眠る?」
「精霊も悪魔も眠るよ。少し意識が途切れる程度らしいけど」
しかし精霊は魔力の塊、回復に要する時間は人間に比べて短い。マキナ曰く、その隙を縫うというのは至難の業らしい。
「とは言え、魔術師様なら出来るかも知れませんが……」
「その、魔術師様っていうのはやめて下さい。ロヴロで構いません」
「承知致しました。ロヴロ様」
「……まあそれで良いです」
どちらにしてもむず痒いが、今考えるべきはそこではない。
襲った目的が分からないならば、ナイトミストの事は一時保留だ。
それならばと、隣に座る少女を見遣る。
「では次。なぜ彼女にルーン魔法が刻まれたのですか?魔力を拝借したか、救難の意味かと考えていたのですが……」
「正確には後者でございます。彼女を選んでしまったのは、そうですね。実物を見せた方が早いかも知れませんね」
水面を揺らめかせ、マキナは泉の底へと沈んでいく。目を凝らせば、魔力が水に流れていくのが目で追えた。
神殿内部にも水流があるのか、流れを遡って中へ。暫く待ちぼうけを食らっていると、マキナが再び水面へと舞い戻ってきた。
「便利ですね、その移動。使用に制限とかあるんですか?」
「清らかな水ならば何処へでも。ロヴロ様も、水精になってみますか?」
「それも楽しそうですね」
「ええっ!?ちょっと先生」
「冗談だよ。それより、見せたい物っていうのは?」
「こちらです。きっと、そちらのお嬢さんの方が、良くご存じかと」
持ってきたのは、古臭い本だった。何度も読み返したせいか、ページが擦り切れている。表紙の下部分に、魔除けの模様にも似た悪戯書きが施されている。
促され、手元を覗き込むシーの目が驚きで見開かれた。
「これ、私の魔導書?」
まるで触れたら消えてしまうのではないかと思う程、怖々と手に取って中身を検めた。
「とっくに母に捨てられたものと思っていました。勉強の邪魔だからって」
「それはいつの事だ?」
「もう何年も前ですよ。私が七つくらいの時でしたから」
約十年前、年季が入っているのも頷ける。
「でも、これと今回の一件にどういう関係が?」
「そうですね。まずは順を追って話しましょう」
水面に椅子を形成したマキナは、優雅な仕草で咳払いを一つ。
「この森の泉には、ある言い伝えがございます。魔力の乏しい者が、この泉で身を清め続けると、次第に魔力が高まっていったという類のお話です。随分と古いですし、何の根拠もありませんが……」
まあ、伝承なんてそんなものでしょうと、マキナは続ける。
「大事なのは、その話を信じ、実行した者がいた事です。ここに祀られているグラナは、若かりし頃に杖と共に泉で身を清め続け、数十年修練したそうですよ」
いつの時代の話かは知らないが、実際は口で言う程簡単ではなかっただろう。
「あくまで言い伝えですが、晩年の彼の魔力量は、右に出る者がいなかったそうです。魔術も多彩で、水中での呼吸も可能だったとか」
「ほう……」
「ご自身で試さないで下さいね、ロヴロ様」
「あ、はい」
心中を見透かされ、大人しく続きを促す。
「彼の実力は広く認められ、東の賢者と呼ばれるまでになりました。そんな彼の死後、国に尽くした功績を称え、人々は神殿を建てて彼を崇めたそうです」
それが。この神殿の成り立ち。紋章に刻まれた大鷲は、グラナの相棒だったそうだ。
「で、その話とこの魔導書に、どんな関係が?」
「ふふっ。これは失礼しました。つい長話を。彼を崇めた人々は、神殿の水盆や水瓶の中へ魔具を沈め、祈りを奉げるようになったのです。魔力向上の祈願であったり、復縁を願った女性がいたりもしましたね。そんなご利益があるとは思えませんが、祈りを奉げる事は悪い事ではありません」
「では、その魔導書も水盆に沈められていたと?」
静かに頷くマキナ、しかしシーはそれでも納得がいかないらしく、頭に疑問符を浮かべていた。
「でも、どうしてわざわざこの本を……。母は、一体何を願ったんでしょうか?」
「それを私の口から申し上げるのは野暮でございます。ですが、これだけは……」
優美な仕草で立ち上がったマキナは、再びシーへと近づいた。そして母親が我が子にそうする様に、愛おしそうに頭を撫でる。
「あなたのお母様は、何度もここへ祈りを奉げに来ておりましたよ。それはもう熱心に。私が顔を覚えてしまう程、何年も通い詰めておられました」
「嘘……だってそんな素振り一度も」
「込められた想いが一層強かったからこそ、私の刻印があなたに届いたのです。愛情も無い者に、起こる事ではございませんよ」
シーは否定しようとし、言葉に詰まった。この神殿に何度も足繫く通う、自分の為を思ってくれる母の姿が、頭に浮かんだのだろうか。とても信じられない、しかし精霊がそんな嘘を吐くとも思えない、そんな表情だった。
俯く少女を、マキナが優しく抱きしめる。背に回された腕に安心したのか、シーの口から本音が漏れる。言葉にしてしまっては現実になってしまいそうで、胸中に固く閉じ込めた思いが、涙と共に溢れ出した。
「……てっきり、私なんて要らないんだと思ってました」
「我が子を嫌う親なんて、そういませんよ。あなたのお母様は特に、ね」
押し殺していた泣き声が次第に大きくなる。人目を憚ることもせず、シーは赤子のように泣いた。静かになるまで、マキナがその背を撫で続ける。
こんな時どうすれば良いか、そんな答えが出る筈もなく、目配せを一つ。了承したと首肯した精霊に任せ、大人しく席を外した。
●
離れたは良いものの、どこか行く当てなどある訳もなく、神殿の奥に位置する柱に持たれかかっていた。マキナの話にあった通り、祭壇には水盆や水瓶が所狭しと並べられている。しかし今は、神殿の内部より気にすべき事がある。入り口付近の、亀裂の入った床石に視線を落とし、次いで自身の腕を見つめた。
あの禍々しい魔力と、自分が乗っ取られたような感覚、シーのお陰で思い留まれたが、一人では抗う事すら出来なかった。
内に沸いた不快感を拭いきれないまま、どれだけそうしていただろうか。やがて神殿内部を流れる水流に魔力が混ざったのを感じ、姿勢を正す。
水脈が下にあるのだろうか、中央に鎮座した小さな噴水が水飛沫を上げ、集まった水が水精霊を形作った。
「ここにいたのですか、ロヴロ様」
「他に行くところもないですから。供え物には触ってませんので」
「ええ、分かっておりますとも」
「コールドの様子はどうですか?」
「泣き疲れたようで、眠ってしまいました。今は木陰に」
「そうですか。最近、眠れてなかったらしいので、良かったです」
噴水の縁に腰掛けたマキナは、聖母のような美しい微笑を浮かべた。
「ロヴロ様はお優しいのですね」
「いやあ、気の利いた言葉の一つでもかけられれば良かったんですけど。自分にはとても」
「身を挺して守ったのです、それで充分ではないですか」
「それでも、危うく殺しかけました。さっきの魔法がなければ……」
間違いなく、あの魔物に殺されていただろう。意気込んでおきながらこの様、自分が情けなくなってくる。
「そのことでお話ししたいことがあるのです。ロヴロ様、どうかもっと近くに」
そう言ってマキナは自分の隣へ手を置いた。誘われるままに隣へと腰を下ろすと、外套で覆い隠していた腕を掴まれた。袖を捲ると、腕全体に疾った黒ずんだ裂傷が露見した。
「あまり強く握らないでもらえますか?」
「やはり、随分とご無理をなさったのですね」
「ご心配なく、そのうち治りますから」
「ですが、回復魔法を使われていませんでしたか?」
「ええ。でも思いの外、魔力の消費が大きかったようで」
シーの傷を癒すまでは余裕があった。だが自分の腕は、あの得体の知れない魔力を宿した後、傷がどの程度の魔力で治るのか見当がつかない。だから止血に留め、治療は帰ってからと思っていたのだが。
「では、助けて頂いたお礼を改めて」
マキナが両手を俺の腕に添え、傷口を軽く覆った。噴水の水が腕を登り、魔力が流れ込んでくる。裂傷が少しずつ塞がっていき、毒素が浄化されていく感覚が巡っていく。
噴水の水嵩が半分程になった時、傷は完治した。
「ありがとうございます。でも、かなり魔力を使ったのでは?」
「お気になさらず。すぐ回復しますから。ですが、一つだけよろしいでしょうか?」
「はい」
手を離したマキナは、真剣な表情を作ってみせた。
「あの黒魔術は、二度と使わないことをお勧めします」
「あれを知ってるんですか?」
「ええ、遠い昔に。発動に失敗し、養分とされた術者の末路も。あんな最期を、ロヴロ様には迎えて欲しくはありません」
「……心しておきます」
好きで出した訳ではないが、用心に越したことはない。何より、自分の体を好き勝手に使われるのは気に食わない。
返答に納得したらしいマキナは、慈愛を込めるように俺の頭を撫でた。
「良い子ですね、ロヴロ様」
「恥ずかしいのでやめて下さい」
「あら、申し訳ありません。どことなく寂しそうに見えてしまって」
「……お気遣いありがとうございます」
心中を悟られたのだろうか、恐らくはそうなのだろう。だが慰めて欲しい訳ではない。それよりも今は、確認すべきことがまだある。マキナの手を軽く払い、シーの前だからと伏せた事実を確認したい。
「それで、あの魔物は一体何だったんでしょう?ナイトミストが、あそこまで厄介な魔法を持ち合わせているなんて、なんだか腑に落ちなくて」
「私もそう思います。恐らく、ロヴロ様のお考えの通りかと」
戦闘中に見せた魔術、それに水精を乗っ取る技、ナイトミストはそこまでの芸当が出来る魔物ではない。マキナ自身も、その点には同意だと告げた。それが導き出す結論は、今のところ一つしか思い浮かばなかった。
「あいつは、何か外部から、人為的に手を加えられていたのでしょうか?」
「可能性は高いかと」
「手引きした人間がいるのだとすれば、誰が何の為に?」
「それは私にも分かり兼ねます。ですがロヴロ様、なんだか嫌な予感がしますわ」
「……そうですね。帰ったら、それも報告しておきます。ついでにここの修繕も頼んでみます」
「ふふっ。ありがとうございます。では、私からももう一つお礼をしなくてはありませんね」
そう言って、マキナは自分の膝をポンポンと叩いた。まるで子供に向けてする仕草である。
「なんですか、それ?」
「折角ですから、膝枕でもと思いまして。人間の殿方は、こういうのが好きだとお聞きしましたから」
「誰がそんな適当な事を。それに俺はそんな歳じゃ……」
「まあまあ、遠慮なさらず」
笑顔とは裏腹に、肩に置かれた手は離れてくれそうにない。そのまま無理矢理に寝かされ、頭を膝へ。
本当は抵抗する気だったが、戦闘の疲労と心地良さが相まって、途端に睡魔が襲ってくる。
「ここはもう安全です。どうか、そのままお休みになってください」
強い眠気の所為で、マキナの気遣いに返事をする気力もない。微睡みの誘惑と水精の柔らかな声に、大人しく従う事にした。




