39覚醒
時を少し遡り、学院内――。
「本当に良かったのですか?」
「不満かい?モネ君」
「そういう訳ではありませんが……」
歯痒そうに窓の外を見つめるモネを、ルーカスは落ち着き払った声で宥めた。
「彼を引き入れた事に、未だに反対している者は多い。ここらで分かり易い手柄を立てれば、少しは大人しくなるかと思うんだよね。それに……」
彼の父親の言い分を鵜吞みにするなら……。
「どうしました?急に黙り込んで」
「ん?いや、何でもないよ。他への釈明が面倒だなあって」
「だから反対したんです。子供を雇うなんて」
「……君は優しいね。相変わらず」
「茶化さないで下さい」
軽く睨んでくる部下に、ルーカスは優しく微笑む。突き放すようにも聞こえる言動の裏にある、彼女の心根を知っている故であるが、それを言えば怒るだろうと口を噤む。
そして一度深く座り直し、目の前の事に思考を戻す。
「まあ、二人の事は心配いらない。もしもの時は、彼が守ってくれるからね」
「そのもしもが問題なんですが……。まあ、ここで言っていても栓のない事ですね」
「そうそう。だからこうして帰ってくるのを待ってるんだから。それより、もう夜も深い。君もそろそろ帰った方がいい」
「……そうですね。では整理したい資料があるので、もう少し残業してから帰ります」
「もう三回は聞いたよ、それ」
「…………」
「ごめんごめん。そんなむくれないでよ」
「もう行きます」
足早に去る後ろ姿を見て、苦笑を一つ。しかし、モネと入れ替わる形で扉をノックする音に、表情を引き締めた。
ローブに身を包んだ小柄な老人が、ルーカスの前で腰を折った。
「ご苦労様。コールド夫妻の様子はどうかな、ネジ君」
「問題はないでしょうな。しかし一般人に黒魔術をかけるとは、滅茶苦茶な若造もいたものですな」
「ま、まあ、今回は大目に見てあげてくれるかな。許可を出したのは僕だし」
「それだけで容易に魔法をかけて生徒を連れ出す者に、教師が務まるとは思えませんな」
およそ上司に向けるものではない気圧すような視線に、ルーカスがたじろぐ。反対を押し切って迎え入れた手前、そこを蒸し返されると少々弱い。
「まあ、その話はよしておきましょう。儂は自分の役目を全うするとしましょうぞ」
「助かるよ。あの二人を守ってあげてね」
ネジと呼ばれた老人は頭を下げ、影に溶けるように消えていった。それを見送り終え、ルーカスは深い溜息を吐いた。
「こうなるのは目に見えてたけど、中々上手くいかないなあ」
旧友の頼みとはいえ、面倒な事を引き受けたものだ。下手をすれば危険因子となり得る子供を抱え込むとは、思いもしなかった。
しかし自身の立場上、見定めなければならないのも事実。あの少年が抱えているものが何なのか、一端でも垣間見えればと考えて連れ出す許可を出したが……。
「今更ながら、性格悪かったかなあ。でもネジ君が行くなら大丈夫、の筈なんだけど……」
どうにも胸騒ぎがしてならない。こんな状況でルーカスに出来る事と言えば、何事も起こらないようにと願うだけであった。
●
「ゲホッゲホッ!せ、先生……?」
気が付けば、視界の端でシーが地面に膝をつき、咳き込んでいる。傍らには、目の前の獲物を投げだし、こちらを威嚇する魔物。今の今まで死にかけていた者が平然と立っていれば、気味悪がっているのも頷ける。
身体が軽い。だというのに、まるで自分ではなくなったような違和感に包まれていた。
こちらの意志に関係なく動いた身体は、一瞬で魔物へと距離を詰めた。
「ギァッ!?」
「下衆め」
左目が痛み、魔力が流れだしていく。怯んだ魔物が反撃する間もなく、俺の腕は相手の胴を貫いた。
手に伝わる臓物の感触、生温かい血の滴り、頭では不快だと感じているのに、体は愉悦を感じるように不気味に震えている。顔が灼けるように痛み、魔力の濃度が上がっていく。独りでに動く唇が、聞き慣れぬ呪詛を紡ぎ出した。
「汝の血を糧とし、蝕み、苦痛の華を咲かせるが良い」
――黒魔術『獄黒の薔薇』。
詠唱が終わった直後、漆黒に塗りつぶされた茨が腕から溢れ出した。捕らえた獲物を内側から貫き、地面へと縫い付けた。全身に纏わりついた茨は、断末魔を上げる慈悲すら与えず、鋭く尖った棘が肢体を引き裂く。
辛うじて魔物の姿を保った肉片から魔力を吸い出していくのが、茨を通して感じられる。そしてそれは、最早残骸と化した魔物の体に、一輪の薔薇を咲かせた。
花びらを乱暴に千切り、口の中へと放り込む。すると、俺の中に巣食う化け物は舌打ちをした。
「ふん、不味い。所詮小物じゃのう」
その言葉を最後に、次第に体の主導権が俺へと移っていく。まるで玩具に飽きたと言わんばかりに。疲労が押し寄せてくるが、まだ頭に霞がかかっている気がする。死して尚、魔物から魔力を吸い出そうとしているのか、棘がギチギチと音を立てている。
魔法を解くべきだと訴える理性と、相手の生命を刈り取る感覚に、身を委ねてしまいたいという欲求が、心中で争っている。それを引き戻してくれる者がいたのは幸いだった。
「先生、もう止めて下さい!」
「ッ!!」
背に伝わる熱が、意識を現実へと引き戻した。窒息してしまいそうな息苦しさが、今更のように押し寄せてくる。首を後ろへと巡らせれば、シーと目が合った。震えながら、背後から抱き止めてくれていたのだ。
何か言って、安心させてやらなければ。そう思っているのに、たった一言絞り出すのでやっとだった。
「ありがとう。助かった」
「今の魔術は、一体?」
「分からない。ただ、相手はもう再生しないよ」
周囲に巡った魔力の糸が解れていくのが分かる。浄化の魔法薬が効いたのかは、今となっては分からなかった。
「もう、安全なんですか?」
「敵はとりあえず、な。それより、俺達にはもう一つの方が問題だろう?」
「え?」
そこで流れる沈黙。目まぐるしい戦況のせいで、当初の目的が彼女の頭から抜けてしまったらしい。
そんな顔をされては、拍子抜けだ。
「おいおい。なんで俺達は、こんなにボロボロになってまでここに来たんだったっけ?」
「……あっ!!」
視線をくれると、シーは慌ててシャツを捲り、ルーンを確認した。痣と見紛う程痛々しかった跡は失せ、肌は元の白さを取り戻した。
「先生!消えてます!!」
「ああ、ちゃんと見えてる。でも、女の子があんまり肌を晒すのはどうなんだ?」
「へっ!?す、すみませんっ!!」
ルーンを初めて見せた時は平然としていたのに、今更赤面したシーは、慌てて服を抑え込む。
「前にも思ったけど、ちょっと痩せ過ぎじゃないか?もうちょっと肉がある方が……」
「それ以上言ったら、セクハラで訴えますからね!?」
「ごめんなさい。それだけは勘弁してください」
頭を下げると、間を置いて微かに笑い声が漏れた。
命の危機にあった事を少しでも紛らわせてやりたくて、軽口を叩いたが、目論見は成功したと言っても良いだろう。
張り詰めていた緊張は解れたのだろうか。悪夢に苛まれずに済む事に、胸を撫で下ろしているのだろうか。
心中なんてものは分かる筈もないが、少しでも晴れやかな表情を見れたのなら、身体を張った甲斐があるというもの。自然とこちらも力が抜ける。
本来の姿を取り戻した神殿に、最早脅威はない。その場に座り、剣を腰から外す。今度こそ緊張を緩めると、まるでタイミングを見計らった様に水面が大きく揺らいだ。
「な、何!?」
「そう身構えなくてもいい。敵じゃないよ」
水上を舞うように姿を現したのは、泉に宿っていたであろう水精だった。優雅な仕草で深々と頭を下げる彼女に、声を掛ける。
「初めまして、えっと……」
「マキナと呼ばれています、魔術師様。命をお救い下さったこと、心より感謝申し上げます」
「いえいえ、こちらこそ土足で踏み込んで申し訳ない」
「構いません。本来は開け放たれた神殿ですので」
天女の如き微笑を向けてもらえると、森を荒らしてしまった罪悪感が和らぐ。
「先生、水精がいるって分かってたんですか?」
「ん?まあ何となく。夢を覗いた時にも、声らしきものが聞こえたし。状況からしてそうかなって」
「知ってたなら、一言くらい言ってくれれば……」
「あんな精神状態の時に言っても、怖いだけだろう?あくまでも、可能性の一つとして考えていただけだよ」
小声で抗議するシーに、マキナと名乗った水精が微笑みかける。
「そちらのお嬢さん。もう少し近くに来てくださいますか?」
「は、はい!!」
神聖な存在感に圧倒され、おずおずと近づくシーの頬に、マキナは手を伸ばした。キスでもするのではないかと思う程に顔を近づけられ、シーはまた顔を赤くした。
「あ、あの、何か?」
「うん、異常はなさそうですね。安心しました。毎夜毎夜、あなたには怖い思いをさせてしまいましたね」
「い、いえ。大丈夫です……」
気恥ずかしさに耐えられなくなり、眼鏡の位置を直しながらさりげなく距離を取る。
ただ眺めていただけだが、冷やかされたと思ったらしいシーは不満げにこちらを睨んでくる。視線から逃れ、本題へ。
「それで、お聞きしてもよろしいですか?今回の件の顛末や、彼女のルーンについて」
「はい。そのつもりで参りました」
マキナが手を翳すと、草木が揺れて柔らかな土が盛り上がり、木の根が顔を出した。腰掛けに見えなくもない形状、座ってくれという意味だと解釈し、そこに腰を下ろした。
心地良い夜風を浴びながら、水精の柔らかな声に耳を傾ける。




