38命取り
「ギギャアアァァッ!!!」
怯む隙も与えず振り下ろされた剣を受け、靄が真っ二つに斬り裂かれた。肉の焦げる音と臭いが漂い、どす黒い血が噴き出して流れていく。
本体を覆う形で霧を撒くのがナイトミストの常套手段。厄介ではあるが、覆われているだけで実体がなくなった訳ではない。
剣を素早く翻してニ撃目を放つ。命の危機を察知して霧を撒き散らした敵は、こちらの視界を奪いにかかった。しかし、姿を見失っても尚覆いきれない殺気を感じ取り、自分の周囲に障壁を作った直後、背後の空間に衝撃が走った。
魔法に阻まれながら鋭利な爪を食い込ませる姿に、小さな違和感を覚える。
霧による攪乱を捌きつつ、四肢から繰り出される爪を弾いては攻勢に出る。相手も初撃で警戒したらしく、剣の動向を敏感に感じ取って切っ先を躱している。
それでも攻防を繰り返している内に、相手もこちらも少しずつ傷を負っていく。何度目になろうかという斬撃を食らわせた後、違和感の正体を垣間見た。
確実に致命傷と思われた斬撃の跡が少しずつ塞がっている。かすり傷だった部分は癒え、傷跡すらも無い。
――こいつ、こんなにしぶとい魔物だったか。
類似した魔物を狩った経験はあるが、そいつは再生能力まで持ち合わせていなかった。攻撃もここまで威力があったとは思えない。他の個体と能力がかけ離れている。何か仕掛けがあるのか。
再び靄に溶け込んだ相手に『魔力感知』を放つ。
首を狩ろうと襲い掛かった魔物の爪を、間一髪で剣を捻って弾くと、赤い火花が散り耳障りな金属音を立てた。
距離を取り、一度大きく息を吸って意識を視界に集中させる。するとそれは、鮮明に瞳に映し出された。細く、広く張り巡らされた、蜘蛛の巣のような魔力の流れは、奥に見える泉へと続いている。
「泉から魔力を吸い出しているのか」
そこに何があるかは分からないが、根源が明白になった今、取り得る選択肢が増えた。だが一人で全てこなすのは厳しい。
「コールド、動けるか?」
応答はない。一瞥をくれた先で、彼女は立ち竦んでいた。彼女には悪いが、今は人手が欲しい。
防戦一方の体勢を翻し、身を空へ投げる。突撃に見せて、コートの陰に魔法陣を描いた。
死角から放った紫の閃光が、迎撃に構えた相手の靄を貫いた。鼻を刺す肉の焼け焦げる臭いが、『ライトニン・ボルト』が命中した事を教えてくれる。
激痛に悲鳴を上げたナイトミストは、堪らず泉へと駆け寄る。傷を癒すか、魔力の増幅か。いずれにしても、絶え間なく爪を向けてきた時より、動きが鈍い。
がら空きになった背を刺すべく、飛び掛かって剣を振り下ろした。
もらった。そう確信した一撃、普通の相手ならその筈だった。
刀身が魔物を両断する直前、先刻とは異質な霧が眼前に広がった。構わず剣を振り抜こうと力を込めた刹那、俺の脚は飛び退いた。本能的に感じた危機に、声を張り上げる。
「毒だ!息を止めろ!!」
返事代わりに口を抑えた少女が、魔物に睨まれ硬直する。下卑た笑みを浮かべ、シーの方へと距離を詰めるナイトミスト。仕留め易い方へ狙いを変えたか、威嚇の様な声を上げて霧へと紛れた。
「ギイィィッ!」
「させるか!」
守ろうと翳した手から、不意に魔力が抜けた。障壁が生まれる筈だった空間を、敵は難なくすり抜けていく。自分の意志に関係なく魔法が流れ出す感覚に、舌打ちを一つ。『魔力阻害』の霧を吸わされたのだ。
苦し紛れに剣を投げ撃ったが、相手の足を止めるには至らなかった。振り回した腕から伸びる爪が、少女の肌を切り裂き、鮮血が流れた。切り裂いた肉の感触に、ナイトミストの顔が愉悦に歪んだ。
勝ちを確信して嗤う魔物を、力一杯蹴りつけて吹き飛ばす。距離が離れた隙にシーへと駆け寄る。
「ごめん。すぐ治療する!」
「わ、私より、先生の方が傷だらけですよ!」
「心配ない、かすり傷だ」
ポケットを探り、水薬を傷口にかけて出血を止める。全快する訳ではないが、使わないよりはマシだ。
「ごめんなさい。私、何もできなくて」
「いや、勝手に突っ込んだ俺が悪い。それより、手を貸してくれ」
怯えの混じるシーの目を見据えると、揺れる瞳の焦点が定まった。震える手に、準備してきた小瓶を握らせる。
「俺が奴を引き付ける。その間に、泉にコレを投げ入れてくれ」
「投げ入れるって?それにこの瓶は一体……」
「説明してる時間はない。来るぞ!」
木陰から影がゆらりと立ち上がり、眼光をこちらへと向けてくる。殺気に気圧されたシーの背を押し、剣を拾い上げる。魔法はまだ上手く練れない。阻害の効果はそう簡単には消えてくれない。
だが、何も出来ない訳ではないと、息を整える。
魔力を練れない、そんな事態は魔術師にはいつか起こり得る。いざという時に頼りになるのは、やはり自力に限る。
かつて師にそう説かれ、何度も死地へと投げ入れられた。
目の前の相手が、記憶の相手より強いのか?こんな奴に負けるのかと、叱咤が浴びせられている気がして、笑みが零れた。
「そんな訳ないよな」
口に出してみると、体の緊張が解れていくのを感じる。感覚は研がれ、視界はより鮮明に。
ナイトミストは再び靄を吐き出し、眼前から姿を眩ました。空気に消え入る直前に身を屈める仕草も、魔法を繰り出す呼吸も良く見えている。
剣を一度鞘に納め、腰を落として地面を踏みしめる。
目を閉じれば、こちらを包むように空気が流れ、頬を撫でる。足音は聞こえない、それでも、背後の空気が小さく揺らめいた感覚が走り、地面へ伏せるように滑り込んだ瞬間、首があった場所を爪が掠めた。
この短時間で幾度となく見た光景。姿を消し、背後へと回り、相手の急所を狙って攻撃を仕掛ける。この魔物が軽々に頼る攻撃手段を、上手く誘導できた。
「ワンパターンだな!」
目を見開き、間合いを詰めて柄を握り締める。
居合で抜き打たれた赤剣は、目にも止まらぬ速度で四度、敵を斬り裂いた。
その紅い太刀筋は、傷口が発火した様に空間を照らした。
レッドキャップ式抜刀術・二式『紅華』。
「ッッギャアアアァァ!!」
断末魔を上げた魔物はボロボロと崩れ去り、やがて塵となって風に攫われた。
剣に血振りをくれ、鞘へと押し込む。相手を狩った確かな手応えと、手の痺れの中に巡る魔力の感覚。本体の消滅と共に、阻害の効果が消えたのだろうか。本調子には程遠いが、魔法は使えそうだ。
「後はもう一つの問題か」
自分に、いつもより効果の遅い『ヒール』をかけながらシーを仰ぎ見る。殺し合いから生き延びた姿に胸を撫で下ろし、安堵しているのが遠目に伺えた。
どうやら、彼女も自分の仕事をしてくれたらしい。
ここに来る前に、家で急拵えで作った魔法薬『清聖の雫』。それで泉を浄化してもらったのだ。薬が効いたのかは定かではないが、手は尽くして悪いことは無い。
これでルーンが消えてくれていれば万々歳と、弛緩した空気が流れる。
しかし、事はそう単純ではなかった。感知する必要もない程に、魔力が渦巻いたのが分かったからだ。
慌てて発動した『魔力感知』が、周囲を映す。泉から張り巡らされた魔力の糸は、まだ途切れていなかったのだ。糸の中を這い回っている、一段と魔力の濃い核らしき物が、地中を移動していくのが見える。そしてそれは泉の方角、もといシーの元へと迫っていた。
「危ない!離れろ!」
瞬く間に彼女の足元から触手が発芽し、足を絡め取る。
普段の自分なら、間違いなく障壁を張って保護する場面。しかし、俺の身体は思考を裏切った。勝算がある訳でもないのに、反射的に駆け出してしまった。
相手を両断するつもりで放った剣戟を、触手がいとも容易く弾いた。
反撃の対象がこちらに向き、手首に巻き付く。燃やそうと魔力を練るが、既に後手を踏んでしまっている。防御も間に合わず、追撃が腹を直撃した。しなった触手の勢いを殺せず、神殿の外壁に激しく打ち付けられる。
骨の軋む音が耳の奥に響く。息が上手く吸えず、地面に蹲ることしか出来ない。
口の中に鉄の味が広がり、吐き気がした。霞む視界でシーを見れば、魔力の核から半身が再生したナイトミストに首を絞められていた。
抵抗し、首に巻かれた触手ほ引き千切ろうとしているが、非力な少女の腕力では解くことも出来ない。
徐々に力が弱まっていく。虚ろになった瞳が、縋る様にこちらを向いた。彼女の唇が、動いた気がした。
助けて、と。
こんな状況になっているのに、体は言う事を聞かない。自分の体に、これ程苛立ったことはない。
身体を腕の力だけで引き摺り、無理矢理にでも立ち上がろうと力を込める。しかし、敵の放った弾丸の如き魔力の種子が、肩にめり込んだ。魔力が蝕まれ、激痛のせいか目の前が暗くなっていく。
魔力阻害に再生、進化なんて類には思えない。その程度の思考すらも、今の自分ではままならなかった。頭が回らない、打開策も浮かばない。
気合で保っていた視界が、徐々に暗くなっていく。
起き上がらなければ。何度力を込めようとしても、上手く出来ない。崩れ落ちたまま、意識が深い深い闇の中へと落ちていった。
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――惨めじゃのう。
微睡みの中に、聞き慣れぬ声が反響する。何も見えない筈なのに、ぼやけた人影が瞼の裏に映っている、そんな奇妙な感覚。
――ふむ、まだ妾が見えてはいないようじゃのう。随分と悠長な童よ。この数年、何をしていたのやら。
嫌味を孕んだ耳障りな声が一際大きくなり、自分を侵食していく。皮膚の中を蟲が這い回っているような不快感に苛まれるが、まるで抵抗できない。
――まあ良い。ここまで来た褒美じゃ、少しだけ分けてやろう。あんな下等生物に負けたら、あの世でもうニ、三度殺してやるからのぅ。
こちらの意志を無視した、姿も分からぬ招かれざる客。その異形な魔力に吞まれた俺の意識は、急激に覚醒させられた。




