37奇襲
夜の帳が降り、周囲が静まり返っている。その沈黙を裂くように、影が窓を叩いた。
ルーカスが出した使い魔、その帰還である。
首を長くして待っていた報告に、身を乗り出す。使い魔の奇怪な声が響き渡り、視たものの報告を受ける。しかし、それよりも危惧すべきは、使い魔の傷付いた姿だった。
明らかに人ではない何かからの襲撃を受けている。その事実を鑑みれば、許可は下りないかと思われたが、どうやら連れて行くことは許可してくれるらしい。
後方支援の魔術師も同伴してくれるらしいが、詳細を聞く前に、使い魔は力尽きたように消えていった。魔力の限界か、他の理由でもあったかは分からないが、今は些末な事だ。
散らかった机の上から必要な物を引っ掴み、自室を出ると、リビングから声がかかった。
「行くの?」
「うん。帰りは朝になるかも知れないから、先に寝ててくれ」
「……分かった。私はここで無事を祈っておくわ」
「リム、祈る様な対象いたっけ?」
返事はない。軽口を叩く気分ではないのか。精霊や悪魔ならともかく、この世界に神なんてものはいない。そんな事、彼女もよく分かっている筈だ。だがそんな話はしていても仕方ない。
玄関に立てかけておいた箒を掴み、ノブに手をかける。
「ロヴ」
「何?」
「……気を付けてね」
「ああ、行ってきます」
リムがしおらしいのはどうにも調子が狂うが、彼女なりに俺の身を案じてくれているのだろう。
誰も不安にさせぬ様、さっさと終わらせよう。自身を鼓舞する為、力強く扉を開き、箒へと足をかけた。
●
明かりを消した薄暗い部屋で、シーは膝を抱えている。自分の弱みを他人に教えてしまった事がもどかしく、本当に教えて良かったのかという問いが堂々巡りを繰り返していた。
「どうして、私は……」
――あの人を選んだんだろう。
彼女自身も男が苦手だあると自覚していた筈だった。おまけに得体の知れない、同世代の少年に教えるなんて。
だが、時々授業で姿を見た時、曰く形容し難い感情が浮かんだのを覚えている。期待とも、不安ともとれる感覚が、ふと頭を過ったのだ。
それにと、シーは自分の手に視線を落とす。震えていた手を不器用に包み込んだ温もりが、未だに残っている気がした。
「結構、大きな手だったな」
「誰がだ?」
不意に隣から聞こえた声に振り返る。翳った月明かりが、コートを羽織った少年を映し出していることに気づき、シーは目を丸くした。
「せ、先生!?」
「こんばんは」
「こんばんは、じゃなくて。なんでそんなところから」
「箒の練習」
「……随分、乗りこなしてるんですね。私は、浮かぶだけで二ヶ月かかったのに」
「まだそんなに上手くないけどな。そんな事より、ちょっと付き合ってくれ」
「話が見えないんですけど?」
「ルーンを治す。その為にグラナの神殿までついて来てほしい。既に院長の許可が下りている」
「神殿?いえ、それよりも、治るんですか?」
期待に顔色が少しだけ明るくなる。不安を極力抱かせず、それでも真実を伝えるべく言葉を選んだ。
「断言はできない。それに、危険がないとも言えない。恐らく、戦闘は避けられない」
「戦闘って、いったい誰と」
「魔獣か魔物か、そういう類だ。でも必ず守る。後方支援してくれる魔術師もいる。不安だろうけど、他に方法が思いつかない。ついてきてくれないか?」
震える瞳が階下に走るのを見逃さなかった。こんな状況を、きっと両親は容認しないだろう。それでもきちんと打ち明けてから行きたいかも知れない。だが、敢えてその視線を無視し、手を差し伸べる。
本来の彼女なら、両親に相談しないなんて考えられないのだろう。頭では無謀だと分かっている。しかし、彼女は手を取った。その行動に、本人が一番驚いている様にも見えた。
――私、どうして……。
根拠はない。助かる保証もあるわけではない。伝わってきたのは、信じろという一念のみ。その痛い程の想いが伝播した様に、彼女自身もまた、動かずにはいられなかったのだ。
「ちょっと飛ばす。掴まっててくれ」
箒の後ろに乗せ、二人は夜空を裂くように飛び去った。
●
「快適、とはいきませんでしたね」
「ごめん、一人で飛ぶ事しか慣れてなくて」
「いえ、大丈夫です。でも、次からは急に高度を変えないで欲しいです」
「気を付けるよ」
神殿から少し離れた森林に降り立つなり、シーは不満げに薄い尻をさすった。
「それで、これからどうするんです?」
「まずは神殿を目指そう。院長が言うには、その周囲に魔物が潜んでいるらしい」
どんな姿なのか、それを使い魔が捉えることは出来なかったらしいが、あの痛ましい姿を思えば、話が通じそうにない。
「そいつに見つかる前に、こちらから見つける事が理想だな」
魔物とルーンの関係がはっきりしない以上、軽率な行動は出来ない。シーに危険の及ばない形で討ち取る事が理想だが……。
「そんなに上手くいきますか?」
「最善は尽くす。出来る限りの準備もしてきた」
「準備?」
「まあ、それは追々な。今は相手を見つけ出そう」
「どうするんですか?」
「こういう時は、原点に立ち返るとしよう」
身を強張らせたシーの為、周囲への警戒を怠らず、黒い魔法陣を描き出す。夜風に揺れ、木の葉の擦れる音に紛れた羽音を聞き分け、正確に魔弾を撃ち込んだ。
空を切って射られた弾は、羽ばたいた小鳥を寸分違わず撃ち抜いた。
片目の視界を共有した鳥を意のままに飛ばし、神殿を見渡せる高度へと飛翔させる。
久しぶりに使った『感覚共有』に、頭を抑える。
「だ、大丈夫ですか?」
「ああ、眩暈がしてるだけだから」
「だけって……」
「まあ、黒魔術はそういうものだから」
自分たちの周囲に、念の為もう一つ魔法を張る。『スコープ』と呼ばれる、羅針盤を地面に描き出すと、シーが怪訝な表情を浮かべた。
「それ、私の使った……」
「そうだ。いや、いつか使ってみたくてな。ちょうど良い機会だし」
「でもその魔法、一度使ったら……」
「しばらく魔力が練れなくなるか?それは、魔力消費が大き過ぎるだけだ。効果時間を短くすれば、そんな事は起こらない。遠い未来までは、視えなくなるけどな」
「……先生は、いつも楽しそうですね」
「楽しそう?」
偵察用の視界に意識を割きつつ、言葉に耳を傾ける。俯いたシーの顔はどこか儚げで、目を離すと消えてしまいそうに思えた。
「魔法薬の授業の時も、箒から落ちた時も、いつも笑ってましたよね。魔法ってそんなに面白いですか?」
「まるで魔法が嫌いみたいな口ぶりじゃないか」
「そう、ですね。どちらかと言えば……。両親も、私の魔法は嫌いですし。学校も、私が選んだ訳ではありませんし」
初めて店を訪れた時の、エダの言動が思い出される。自分勝手な言い分、抑圧された感情がシーにもあるだろうことは、想像に難くなかった。
「あの二人にとって、親の期待に応えられない私は厄介者なんです。余計な魔法を覚えるなって、良く言われましたし。占星の魔術書を捨てられたこともありましたし」
「占いや予知も、立派な魔法だけどな」
例え役に立たなくても、知っているといないのとでは大違いの筈だ。だが、慰めにしか聞こえなかったのか、彼女は儚げに微笑んだ。
「先生は、優しいですね……。どうして、私なんかの為にそこまでしてくれるんですか?」
続いた質問に答える事は出来なかった。
鳥の視界に、月に照らされた神殿の輪郭がぼやけて映る。ぼやけている理由は、視界が悪い訳ではない。その光景を目にしては、こちらも臨戦態勢に入らざるを得なかった。
夢では泉から噴き出していただけの靄が、神殿を薄っすらと覆える程に肥大している。
翼が靄に触れた瞬間、裂かれた翼が映り、魔法が途絶えた。
弾き出されて身がのけ反り、元に戻った視界に、地面の羅針盤の針が大きく揺れた。
「コールド、伏せろ!」
「えっ、きゃあ!!」
強引に抱き寄せ、腰に帯びた赤剣を引き抜いた。しなる木々が、先程まで立っていた場所に叩きつけられる。森林全体が揺れているような震動に襲われ、足が止まる。そこに四方から伸びる蔦や太い枝が押し寄せる。間一髪で張った分厚い障壁が、その猛攻を阻む。
「せ、先生!」
「伏せててくれ」
いくら障壁といえど、無敵ではない。蔓が鞭のようにしなり、容赦なく殴打してくる。バキバキと音を立て、崩れていく間に、二重に張った魔法陣を思い切り踏みつけた。
『アース・ショック』に『身体強化』の震脚を重ねて振動を打ち消すと同時、障壁を貫いた蔓がシーへと襲い掛かる。
「走れ!」
「は、はい」
シーと木々の間に踏み込み、剣を振り抜く。太い幹を斬り飛ばしつつ、箒に飛び乗った。蔓が届かないうちに、高度を上げて状況を手早く把握する。
「本体の姿は無し。森林を操る魔法、本当にただの魔物か?まさかとは思うが誘い込まれたか。木々が邪魔で魔力感知にもかからないし、面倒だな」
「先生、腕が!」
声につられ右の肩を見遣れば、裂けた外套から鮮血が流れ出ている。庇った時に食らったか、遅れて痛みがやってきた。一先ず止血するべく『治癒』の魔法をかける。
「ごめんなさい。私のせいで」
「謝るのは後にしよう。それより、しっかり捕まってろ」
相手はまだ、攻撃の手を緩めてはいない。しなった木から、木の実や棘が弾き飛ばされ、頬を掠めた。それらを避けつつ、障壁を作り続ける。先手を取るつもりが、すっかり後手に回ってしまっている。
相手の思う壺かも知れないが、逃げ回るより本体が居そうな場所に向かう方が良さそうだ。
「本体はきっと神殿の近くにいる。まずは、そいつを叩く」
震えるシーを落とさぬよう、肩を抱く手に力を込めて速度を上げる。何度目かの棘の襲撃を退けているうち、神殿が視認できる距離まで近づいた。
もう目と鼻の先、そう身構えた瞬間に箒は急にバランスを崩した。
「うおっと!」
箒の先に刺さった棘に干渉され、箒への魔力が掻き乱された。箒は制御を失い急降下し、二人は中空へと投げ出された。苦し紛れに放った魔法で『落下制御』を試みるが、勢いを殺しきれない。せめてもの足搔きで、シーを胸へと引き寄せた直後、背中に衝撃が走った。
「かはっ!!」
地面に叩き付けられ、息が上手く出来ない。背中は痛むが、内臓や骨は無事、だと思いたい。暫く身動きが出来なかったが、声を何とか絞り出す。
「……コールド、無事か?」
「わ、私は大丈夫、です」
「そうか」
痺れて上手く動かぬ身体から這い出たシーの無事を確認し、一先ず胸を撫で下ろした。
「立てますか、先生」
「ああ、ありがとう」
手を引かれ、自身の体に喝を入れて立ち上がる。
身体に鞭を入れて起き上がり、周囲を警戒するが、追撃はなかった。もうその必要はなくなったという事かと、正面にそびえ立つ神殿へと向き直った。先刻までとは違い、目の前の荘厳な建造物がはっきりと見えている。
「おかしい。さっきの靄はどこへ消えた?」
「せっ、先生あれ!」
傍の泉を指差した横顔は青ざめている。黒い靄を纏った何かが、水面から這いずり出てきたのだ。姿は窺えないというのに、それでも尚ギラつかせた乱杭歯だけは良く見える。その光景が不気味あまりにも不気味で、シーは足が竦んでしまったようだ。
彼女を背に庇いつつ、思考を巡らせる。取り敢えず、魔物が何であるか、その疑問は解決した。
「ナイトミストか。成程、それで靄を」
だがこの魔物に、木々を扱う程の魔術の才があっただろうか。自身を靄で覆い、闇に紛れて獲物を貪る、そんな魔物であった筈。
しかし相対している以上、他に気を回してはいられない。
ガチガチと歯を打ち鳴らした魔物は、ニタニタと笑いシーへと迫っている。さしずめ、無抵抗な獲物を追い詰め、愉しんでいるつもりだろう。
「無視されるのは、ちょっと心外だな」
魔物に臆する事無く、手を翳した。眼前に蒼い炎を焚き、膨張させる。闇を裂かんばかりの眩い光と熱に、魔物はぴたりと動きを止めた。
森林を焼きかねない故、放つ訳にはいかないが、威嚇には充分な効果を発揮した。腰に帯びた剣を引き抜き、揺らめく蒼炎で刃先を炙る。
息を深く吐き出し、敵の喉笛に切っ先を向ける。
――怯えはない、身体も動く。ただ、目の前の相手を狩るのみ。
「手加減はしない。悪く思うなよ」
獰猛な視線を向け、魔法陣を踏みつけて加速。瞬く間に敵の懐へと飛び込み、必殺の一撃を繰り出す。靄を、蒼い閃光が斬り裂いた。




