36強行
月光の差し込む廊下を抜け、軋む階段を下りる。店の明かりが落ちているので、既に閉店したらしい。
勝手に出て行く前に、ご両親に声をかけておくべきかと思案していると、奥から人影が歩み出た。
「ああ、まだいたんですね。シーと随分お楽しみだったようですが、それは教師としてどうなんでしょうね」
「人聞きが悪い。やましい事は何もしていませんよ」
「どうせ、あの子に適当なことを吹き込まれたんでしょう。全く、余計な事ばかりして……」
「余計?」
吐き捨てるように呟いた母親を、反射的に睨みつける。
「現にはっきりルーンが刻まれているのに、対処しようとすることが余計だと?」
「ではお聞きしますが、娘と歳の変わらないあなたに、一体何が出来るんですか?」
「少なくとも、手掛かりは掴みました。調べていけば、原因や治療法もきっと……」
「それはあなたの願望でしょう?あなたのせいで悪化したら、どうやって責任を取るんですか?」
「それは……」
反論することは簡単だが、言葉に詰まった。確証は何もないのだから、言い分としては間違っていないのかも知れない。
だが本心からの言葉ならば、もっと悲痛な響きが伴っているのではないか。今の彼女の態度は、目の前の邪魔な虫を払いたいだけにしか見えない。
「昔からそう。占いだの予言だの、眉唾なものばかりに興味を示して。おまけに今度は誰にかけられたか分からないルーン文字だなんて。いい加減にしてほしいわ」
「随分な言い草ですね」
「あの子には、この店を継いでもらわなければならないんです。学院に入れば本腰を入れるという話だったのに、面倒ばかり持ってきて……」
およそ娘に向けているとは思えない心無い言葉に、ベッドに横たわるシーの顔が頭に浮かんだ。夢の中で投げ掛けられていた言葉、きっと実母からのものだったのだ。そう思うと、彼女の気持ちを想像せずにはいられなかった。
毎晩のように溺れる夢を見て怯え、小さな肩を震わせて、まともに眠れなくなって……。そんな憔悴した状態ならば、誰よりもまず両親に相談しそうなものだ。
もしも既に恐怖を打ち明けた後で、それでもこんな風に無下にされたとしたら、気が弱く真面目な彼女は、一人で抱え込んでしまったのではないか。
恐怖が溢れて、堪えきれなくなった彼女が、縋る思いで自分に助けを求めたのではないか。
不安げに揺れる彼女の瞳が頭に浮かぶ度、目の前に佇む女の反応と自分の無力が恨めしい。静かな怒りが、腹の底から湧いてくるのを感じた。
「なら、彼女が好きであんな状態になっているとでも?」
「……ッ!」
足元から黒々とした魔力が溢れだし、周囲の空気がビリビリと震えていく。
魔力に気圧され、エダは一歩後ずさった。その目は、過去の記憶を想起させた。狩りの最中、幾度となく魔獣から向けられた目。畏怖し、足が竦んでしまった相手が最後に見せる表情とよく似ている。
これ以上怒りが溢れてしまう前に踵を返し、その場から離れる。
その前に一つだけ、嫌がらせをして……。
「それはそうと、俺もちょっとは占いが得意でしてね。一つ、ここで視えたものを教えて差し上げましょう。あなたがこのままの態度でいるのなら、娘さんは遠くない未来にこの家から連れ去られるでしょうね。例えば、落ちぶれた学院の、得体の知れない輩とか、ね」
「なっ!?そんな事をして、ただで済むと……」
「嫌だなあ。本気にしないで下さいよ。所詮、眉唾ですから」
一瞬焦りが見えたのは、娘を取られる危機感か。それとも、もっと利己的な理由か、それを確かめたいとは思わない。振り返る気すら失せ、乱暴に店の扉を開き、足早にその場を去った。
路地を抜ける足取りが重い。しかし、『転移』で飛びたいとも思わない。今は、夜風に当たっていたかった。自身の未熟さや余計な感情を、風が攫ってくれれば良いのに。
――怒りで目の前が……なんて、シュナイダーに偉そうには言えないな。
深い溜息を吐き切り、思考を切り替える。いつまでも自己嫌悪に陥ってはいられない。
これからやろうとしている事は、自分だけで決めていい話ではないだろう。人に相談するべく、明日を待った。
●
「それで、夢で見た場所に直接行って手掛かりを探そうと?」
「はい」
「うーん、ちょっと見切り発車な気がしなくもないですねぇ」
昨夜の出来事を報告し、策とも呼べない方法を口にすると、二人の表情が引き攣った。我ながら、自身の短落さに呆れてしまうが、他に有効な手段はないように思う。
下手をすれば、生徒に危害が及ぶ可能性もある。軽々に動くべきではないと、ルーカスは息を深く吐き出した。
「僕はね、君が蛮勇だとは思ってないよ。黒魔術に長け、戦闘に手慣れていても、不用意に危険に飛び込むタイプではないだろうし。そんな君が、何が起こるか予測できない場所に、生徒を連れて行こうなんて……」
静かに、しかし重々しい響きを伴った声に、こちらも身を強張らせる。
「そのルーンが、そんなに危険なものなのかい?」
「まだ正確には分かりません。だから、まずは見て頂きたいんです」
ポケットから一枚の紙を取り出し、二人に見せる。シーの体に浮かんだ刻印を書き写したものだ。
すると、顔を寄せた二人の表情が曇った。
「これは確か『蝕み』の呪い、ですか?」
「恐らく間違いないかと」
『蝕み』は、文字通り対象を蝕むルーンであり、魔族の使う呪詛に近いものである。対象は少しずつ魔力を奪われ、術者の生命力へと移り変わっていく。呪い殺す為の呪詛であり、下級悪魔に使えるものではない。少なくとも中級以上の魔族である可能性が高い。
しかし、それならば決定的な違和感が一つあると、ルーカスが得心したように思い至った。
「なるほど。『蝕み』なら、夢を見るなんてことは起こらないね」
「そうなんですか?」
ファナだけは首を傾げる。魔族といえど、魔術全般に明るいという訳でもないらしい。何気なくそう口にすれば、「十代でそんなことを知っている方が不自然ですよ」と、ファナは苦笑いを浮かべた。
「でも、現にルーンは出ていますよね?それでも効果が違うなんてことがあるんでしょうか?」
「誰が使ったかで、状況が変わるんだよ。例えば、他者から魔力を奪うという方法でしか生きられない者がいる場合、とかね」
「術者自身も誰かに強制されている、というのも有り得ます。なんにせよ、可能性をあげればキリがなさそうですけど」
最悪今日にでも命が、なんてことに成り兼ねない。そう考えれば、本人に詳細を伝えずに帰ったのは正解だったと、内心胸を撫で下ろした。妙な事を言って、不用意に不安を煽りたくはない。
「場所の検討はついているんですか?」
「夢の中に古びた神殿が視えました。壁に大鷲の紋章があって、周囲に泉が湧いていました。情報が少なくて申し訳ないんですが、心当たりはありませんか?」
「大鷲……」
呟きながら、ファナは書棚を漁り、一冊の本を取り出し、机に広げた。どうやら王都郊外まで記されている地図のようだ。
「それなら、グラナの神殿ですかね?ここから南下した森林の奥に、小さな神殿があったはずです」
地図を検めたファナが候補となる地を挙げると、ルーカスはロッドを構え、床を叩いた。蝙蝠の姿をした数体の使い魔が、黒く光る魔法陣から現れ、術者からの命令を待っている。
「グラナの神殿を捜索せよ。異変があれば即座に報告せよ」
小さな首を縦に振り、使い魔は開いた窓から飛び出していった。
「これで何か見つかれば教えてくれるはずだ。飛ばした内の一匹には、君の元に行くようにしておくよ」
「つまり、使い魔が戻るまでは勝手なことをするなという事ですか?」
「ごめんね、回りくどくて。何もわからない状態で、君達を危険なところへ行かせる訳にもいかなくてね」
ここに来て待機命令とは、少々じれったい。しかし院長という立場を思えば仕方がないことだと、納得するしかない。使い魔が帰って来れば、連れて行くという選択肢も見えてくる筈だ。




