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35干渉

「好きに使ってくれ。何かあればすぐに止める」

「……はい、ありがとうございます」

 小瓶を握り締めたシーは、中の水薬を掌に垂らし患部へ塗った。

 長い沈黙が流れるが、数秒経っても目に見える違いは見当たらない。


「どうだ?何か変化はあるか?」

「……えっと、特には」

 言葉の途中で、シーの表情が曇った。直後、痣が光を放ちだし、蠢いていた所為で読めなかったルーンが色濃く浮かび上がった。辛うじて文字の形を成したそれを判別する為、腹部へと手を伸ばし、近づく。

「コールド。ちょっと触る」

「は、はい……」

「痛むか?」

「少し……でも、大丈夫です」

 言葉に反して漏れる息は苦しそうで、手早く刻印を確認する。うねって見え隠れしている文字、実家の書庫で見た気がする。朧げな記憶を辿り、書物の内容を呼び起こす。


 ――これは、魔術師の使うルーンではない。何か別の種族の……。


「先生……」

 見上げると、シーは苦悶の表情を浮かべ、胸を抑えていた。視線を外していた数秒の間に、症状が酷くなっている。香油を塗った所為で、ルーンが拒否反応を起こしているのか。慌てて拭ってみても、黒々と渦巻く痣は収まってくれない。

「駄目か、ちょっと待ってくれ」

 『ヒール』の魔法陣をかざし、抑制を試みる。しかし、ルーンは治癒を拒んだ。黒ずんだ光が魔法陣を砕き、腕が弾かれる。


「クソ、厄介な……」

 シーの体が心配だ、早く対処しなければ。


 これが何の為に施されたものなのかは分からない。が、シーの体を媒介にしていることは確か。ならば、少なからず本人の意識も関係している可能性が高い。少々荒っぽいが、確実なのは……。


 苦痛に耐える瞳が俺を捉えた。なんとなく、どうすべきか分かっているのかも知れない。

「コールド、多少手荒になるが、それでも良いか?」

 返事をする代わりに、彼女は無言で頷いた。

「ごめんな、なるべく痛くないようにするから」


 魔法陣で視界を覆い、『催眠』をかけて眠りへと誘う。駄目押しに掌底を食らわせて、無理矢理に意識を飛ばした。

 崩れ落ちる身体を腕で支える。その重みがあまりに軽すぎる事に驚きつつ、気を失ったシーをベッドへと寝かせる。見守っていると、緩やかに黒光は収まっていく。香油を塗る前の状態へと戻った頃には、シーからは規則正しい寝息が聞こえてきた。顔色は良いとは言えないが、大事には至っていない様だ。


「ふぅ……」

 生徒の無事に胸を撫で下ろしつつ、思わず床へ座り込んだ。自分の事ではないのに、嫌な汗が背中を伝っている。本人を差し置いて慌てふためいていては、先が思いやられる。

 暴走を抑えただけで、根本の解決には至っていない。

 雑念を払うべく息を深く吸い、次に取るべき行動を整理する。


 先程のルーン文字、恐らくは魔族が使うもの。しかし悪魔が人間を弄ぶ為に使ったのなら、些か期間が長すぎる。

 上位種ならばともかく、下級悪魔はもっと短絡的だ。剣呑な考えではあるが、痛めつけたいが為のものならさっさと殺している。しかし嗜虐心が故のものでない、ある種の呪いに近いものであるなら、少々厄介なものとなる。


 しかしこんなものは推測の域を出ない。幾ら考えたところで、決定打になるものは何も無いのだから。せめてもう少し情報が欲しい。

 手掛かりを求めるように、ベッドで寝息を立てるシーを見遣った。

 先程の会話で、夢でうなされていると言っていた。

 もしもそれが関係しているなら、夢の断片に介在し、原因の一端を垣間見えるかも知れない。やむを得ずではあったが、危害を加えずに済む『催眠』を使って良かった。

 横たわる体へと近づき、手を握る。そして手の甲に小さな光を宿し、『リンク』を発動させる。白い糸が蛇のようにスルスルと絡みつき、俺とシーの手を繋いだ。ここまで出来れば下準備は完了。

 夢を覗くべく瞼を閉じると、すぐに睡魔に似た無力感に襲われ、意識の底へと落ちていった。





 再び目を開けば、先程通ってきた裏通りに俺は立っていた。隣へと視線を落とせば、少女が蹲っている。両手で一冊の本を大事そうに抱きかかえ、俯いている横顔を見つめた。

 今しがた眠らせた少女の面影がある。幼少期の頃の記憶か、心象がそうさせるのかは定かではないが、夢の中ではどうでも良いことかも知れない。


「コールド?」

 背に声をかけたが、少女がこちらを振り返りはしなかった。

 他人の潜在意識を覗いているだけで、こちらが干渉出来る訳ではない。分かってはいたが、礼儀として断りを入れた。声をかけずに心を覗くのは、失礼な気がしたからだ。

 暫く丸まった背中を見つめていると、どこからともなく声が響いた。


 余計な事は考えなくていい。言う通りにしてさえいれば、成功できるのだから。

 いつまでも我儘を言わないで。私を失望させないで。

 あなたには義務があるのだから。


「……やめて」

 小さな抵抗は虚しく、言霊は容赦なく絡みついて来る。耐えられず耳を塞いだ弾みで、シーの手から本が滑り落ちた。落とした視線の先で表紙の陣がひとりでに蠢き、不可解な文字を形作る。

 腹部にあったものと同じもの、そう認識し、思わず少女の傍に駆け寄った。肩を抱こうにも、手は空を掴むばかりで触れられない。代わりに、変化を見逃すまいと目を凝らす。


 視界の隅で苦しそうに胸を抑えたシーが崩れ落ちると同時に、ルーンから大量の水が溢れだした。それは留まることを知らず、瞬く間にシーを覆い尽くした、それでも足りないとでもいうのか、奔流は更に俺自身の足を濡らした。


 こちらの声が届かず、触れることも出来ないのは確認した。それが部外者に牙を剥くなど、想像の外であった。面喰らい退くのが遅れたこちらに、水流は意志を持って襲い掛かってくる。


 「ゴボゴボ」と空気が漏れ、瞬く間に呼吸が奪われた。脱出しようと藻掻いても、手足がバタつくばかりで一向に出られる気配はない。炎で蒸発でも出来れば良いが、意識の中で魔力が練れる筈もない。


 視界が霞む。薄れそうになる意識をどうにか保っていると、流れの根源である本が目に留まった。

 少女を溺れさせても尚、この渦は止まらない。まるで何かを伝えんとしているかの様に、弱々しい光を放っている。目を凝らしていると、こちらの意思とは無関係に腕が動いた。何かに手首を掴まれている、そんな感触が、そこにはあった。刻印へと伸ばされた手指が、その表面をなぞる。


 直後、頭にズキズキと激痛が走った。

 あまりの痛みに閉じた瞼の裏に、見覚えのない風景が映し出された。


 どこかの森林の奥、澄んだ泉の前に建つ、蔦の這った古びた神殿。所々に亀裂の入った石柱に、翼を広げた大鷲の紋章が刻まれている。神官でも出てきそうな、厳かな空気が漂っている。だからこそ、その異物にはすぐに気が付いた。


 神聖な風景とは真逆の悍ましさを放つ靄が、泉へと侵入していった。

 そこにはいない筈なのに、首筋に不快感が走る。淀んだ空気が皮膚の上を舐め、ぞわりと身の毛がよだつ。

 それを契機に、垣間見た景色から意識が弾き出され、体は再び水流の底へ。絞り出すような、それでいてやけにはっきりとした声が脳裏に響く。





「はぁ、はぁ……」

「落ち着け、大丈夫」

 悪夢から覚め、恐怖に目を見開いたシーが飛び起きる。その背を軽くさすると、頼りない視線がゆっくりとこちらの姿を捉えた。その青ざめた表情を見ると、罪悪感に襲われる。

「ごめんな、嫌な思いをさせて」

「……先生こそ、大丈夫でしたか?酷い顔ですよ」

「そうかな?まあ、軽く溺れたからな」

 震えながらも、こちらの安否を心配してくれるシーに、増々心が痛んだ。荒療治はなるべく最終手段にしなければ、トラウマを悪化させてしまいかねない。自分の取った手が悪手なのだと、遅れて理解した。


「……先生、どうかしましたか?」

「ああ、ごめん。なんでもない」

 覗き込んでくる視線から、つい顔を逸らす。今は後悔すべき時ではない。

「あのな、コールド。聞きたいことがあるんだが……」

 その時、視線を背けた先の光が目に染みた。カーテンの隙間から、月明かりが漏れている。ほんの数分の感覚だったのに、夢に入っている間に、すっかり夜になってしまったらしい。


 これが連日続いているのかと、彼女の置かれている状況を再認識する。これは、早く解決しなければならない。

 首を傾げるシーの表情を良く見れば、酷く疲弊しきっているのは明白だった。早く話を聞きたいが、彼女にはそれよりも休息が必要だろう。追及を止め、代わりに魔法陣を浮かべた。


 『沈静』の魔法をかけ、心労を少しでも軽くなるよう試みる。

「いや、何でもない。今日はゆっくり休んでくれ」

「はい……。ありがとう、ございます」

 発動すると、僅かに身体の緊張が解れた気がした。完全に不安が消える訳ではないが、少なくとも一晩は効果を発揮してくれるだろう。

 今まで眠っていたのに、シーはまた舟を漕ぎだし、再びその身をシーツへと沈めた。


「痣の事は心配しなくていい。後は任せてくれ」

 返事はない、既に眠りの中なのか、シーの目が再び開くことは無かった。それでも、自身の声がなるべく頼もしく聞こえるようにと願った。

 それが少しでも、彼女の不安を和らげてくれる事を期待して、部屋を後にする。


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