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34授業を終えて

 シャルロットの前にある鍋を小さく障壁で囲んだ瞬間、中の空気が爆ぜた。エミリーは目を瞑ってしまい、杖が止まっている。

 先端を掴み、魔力の流れを一定に捻じ曲げた。軽い爆発音が少しずつ収まると、鍋で煮えた水薬は鈍色から半透明へと変化していった。

「ああ、本当にごめんなさい!」

「ま、まあこのくらいは……よくあるから。落ち着いていこうな。いや本当に」

「ふふ……」

「ガレット、ニヤニヤしない」

「あはは、ごめんごめん」


 茶化そうとしたシグマに釘を刺すと、そそくさと冷却器具の準備を始めた。謝意はまるで感じられないが、放っておくことにする。

 それよりも蒸留器の底に魔法陣を張り、冷却速度を底上げする。それからも魔力暴発を何度か抑えながら素材を混ぜ合わせ、なんとか小瓶一本分の魔法薬が完成した。





「いやあ助かったよ、ブラッド君。手際も見事だったし、薬学の知識もあったんだね」

「ええ、小さい頃にちょっと」

 授業が終わり職員室に戻ると、クラインとそんなやりとりを交わした。その手には先程の授業で作られた魔法薬がいくつか握られている。クラインは一際輝きの強い物を掴み取り、俺の手の中に滑り込ませる。

「これはあげるよ。初めて作った記念に」

「良いんですか?授業で作った物を持ち出して」

「黙っていればバレないよ」

「えぇ……」


「冗談だよ。でも特に問題ないよ。これはそこまで危険な薬じゃないからね」

「……じゃあ、もしもの時に使わせてもらいます」

「それで良いよ。それよりブラッド君、お客さんだよ」

 軽く微笑んでいたクラインの視線が、そこで職員室の入り口に走った。

 つられて振り返ると、一人で立っているシーと目が合った。先程の暗い表情が頭を過り、妙な胸騒ぎがした。クラインに別れを告げ、シーの元へと駆け寄る。


「どうした、何かあったか?」

「あ、えっと……」

 おどおどした態度はいつも通りだが、それにしても表情は浮かないままだ。

「あの、ここじゃちょっと。相談がありまして」

「相談?俺に?」

「はい……」


 なぜ俺に、とは口にしなかった。名指しされていて拒否するのも気が引けたからだ。

「じゃあ、場所を変えるか?空き教室くらいなら、どこかにある筈だから」

「えっと、出来ればうちでお願いします。見せたいものも、ある、ので。駄目ですか?」

 内容はそこで、という事らしく、詳細は話してくれそうにない。


「ああ。じゃあ案内よろしく」

「……はい」

 職員室を出て、歩き出すシーの後ろに続き、学院を後にした。





 校門を出て商店街の大通りを通り過ぎ、シーはさらに細い路地へと向かっていった。薄暗くほとんど裏通りとも言うべき入り組んだ道を、まるで自分の庭のようにするすると進んでいく。その背から少しでも目を離すと視界から消えてしまいそうで、怪しげな雰囲気に気後れしてはいられなかった。

「慣れてるんだな、こんな迷路みたいな道」

「そうですね。まあ通学路、ですし……」

 言葉を区切り、シーが不意に頭を下げた。直後、何処からともなく一枚の紙切れが舞い、視界が覆われた。


「うっ!なんだこれ?」

「多分、行方不明者の人相書きです。最近よく飛んでますよ」

「人相書き?」

 呟きながら、顔に張り付いたそれを剥がす。十歳になったばかりの、栗毛の少年が行方不明になっているらしい。少年の靴が路地裏で発見されたことから、そこが犯行現場とされているらしい。つまるところ、捜索願である。


「物騒だな。早く見つかると良いのに」

「先生なら、見つけられそうですけど」

「君は俺を何だと思ってるんだ?それにこんなのが出てるってことは、魔力の痕跡も消されてるんじゃないか?」

「そういうものですか?」

「多分な」


「……あっ」

 捜索願に目を通していた所為で、鞄を握り直したシーが身を壁へと寄せた事に気付かなかった。何かが足にぶつかる感触と小さな呻き声に、つられて視線を下げる。服の汚れた少女が、ぶつかった衝撃で尻もちをついていた。咄嗟に屈み、手を差し出した。


「ああ!ごめん、お嬢ちゃん。怪我してない?」

「うん……」

 少女を立ち上がらせながら服の汚れを払ってあげると、少し驚いたような顔をしたが、すぐに小さく微笑んだ。そして何事もなかったように駆け出し、現れた時と同様に姿を消した。


「……あの、先生」

「どうした?」

「えっと、大丈夫ですか」

「何が?」

 少女の小さな背が消えるまで見送っていると、シーがなんとも歯切れの悪い言い方をしてくる。

「ポケットとか、何か無くなったりしてませんか?」

「いや、何も……」

 その言葉でようやく意図を察した。コートを探り、失った物がないかを確認する。だが嫌なことに、シーの危惧は的中してしまったらしかった。


「財布がない」

「ご、ごめんなさい。咄嗟に声が出なくて」

「……まあ、良いや。どうせ小銭しか入ってないし」

「ええ?駄目でしょう!」

「そうは言ってもなぁ……」

 後になって慌てるシーとは対照的に、俺はどこか冷静だった。本来、怒るべきなのかもしれないが、少女の薄汚れた姿を思い出すと、怒りも湧いてこない。物盗りなんて、子供が好き好んでやることじゃない。であれば、小銭くらい恵んでも構わない。


「それよりも良く避けたな。正直、スリだとは思いもしなかった」

「それは、まあ何となく。こんなところですから……」

「いや、それにしてもよく見てる。俺も見習わないとな」

「……変な人」

「失礼な。これでも感心してるんだけど」

 そんな事で感心されてもと吐き捨てられたが、硬い表情が少しは柔らかくなった気がした。





 予想外のアクシデントに見舞われたが、なんとか家に辿り着いた。

 木製の看板には、「コールド魔具専門店」と刻まれていた。店といっても外観は小さく、古風な空気が漂っている。シーによれば、実家の一階部分を店にしているという事らしい。

「多分今なら、お店に両親がいますけど、挨拶しますか?」

「ああ、そうだな。そうしよう」

「……あの、大丈夫ですか?顔、引き攣ってますよ」

「いや、初対面だし、笑顔の練習をな」

「…………」

「頼むから無言で睨まないでくれ。心にくる」

「……すいません、でも怖いからやめてください」

「はい」


 誘われた店内は、控えめに言って心踊るものだった。

 魔具専門店というだけあり、魔力付与の刻印を施された指輪やアミュレットが所狭しと並べられていた。窓から差す光に照らされた光景は、さながら万華鏡を覗いたように煌めいて見えた。

 展示された小型の盾を手に取り、刻印された文字を眺めてみると、『霧散』の刻印が読み取れた。

 受けた魔法を分散させる、そんなイメージだろうか。


「冷やかしならお断りですが」

「あっ、すみません」

 奥からかけられた声に反射的に背中が跳ね、危うく商品を取りこぼしかけた。

 カウンターの奥に、眼鏡をかけた女性がこちらを睨んでいる。姿勢よく座った姿には、貴婦人という言葉が良く似合っている。

 値踏みされているような視線に立ち竦んでいると、隣にいるシーが説明を加えてくれた。


「紹介します、先生。母のエダです」

 思わず佇まいを直し、一歩前へ歩み寄る。

「初めまして。私、お嬢さんの通っている学校で……」

「知っています。眉唾の教師だとか」

 強引に言葉を遮ったかと思えば、エダと呼ばれた女性は鼻を鳴らした。

「こんな子供を雇うなんて、あの学院も落ちたものですね」

「お母さん、そんな言い方……」


「シー。あなたが誰と一緒にいようが構いませんけれど、うちの名前を汚すような事だけはやめて下さいね」

 会って早々、辛辣な言葉を投げ掛けられて面喰らっていると、エダは踵を返して店の奥へと向かった。

「私は地下室で作業をします。何をしに来たのかは知りませんが、商品には触れないで下さいね」

「ああ、はい」

 返答を待たずに、母親はさっさと姿を消した。

 しかし、今気遣うべきは母親ではな。顔を伏せ、唇を軽く噛み締めているシーの肩を軽く叩いた。


「大丈夫か、コールド」

「……平気です。でも、ごめんなさい。酷い言い方でしたよね」

「別に気にしてない。でも、早く用事を済ませようか?長居しても迷惑だろう」

「じゃあ、二階に来てもらえますか?」

 小刻みに震えている肩には気付かないふりをして、促されるままに階段を昇った。





「飲み物は紅茶で良かったですか?」

「ああ、ありがとう。時にコールド」

「はい?」

「俺はあんまりこういうのは詳しくないんだけど、最近の子ってこういうのが趣味なのか?」

 茶葉の甘い香りとまるで合わない光景が部屋一面に広がっていた。黒で統一された色調の中で、棚の髑髏や水晶玉が怪しく光っている所為で禍々しい。正直に言って、年頃の娘の部屋とは思えない。


「はっきり不気味って言っても良いですよ。シグにも良く言われます」

「あいつは本当に歯に衣を着せないな」

「はい。そこが良いところですけど」

 薄く微笑むが、緊張の色は消えない。差し出された紅茶を一口啜り、本題を切り出した。

「それで、ここに呼んだ理由は?手早く終わらそう」

「……そうですね。まずは、見てもらった方が早いと思います」


 そう言うとシーは躊躇いがちに上着を脱ぎ、シャツのボタンに手をかけた。

「おい、何を……」

「今は、黙って見ていて下さい」

 制止しようとしたが、顔が赤いのは羞恥から来るものではないようだ。そして腹の部分が露わになったところで、こちらも表情が険しくなった。病人を連想させる青白い肌の表面に、黒ずんだ痣らしきものが浮かんでいる。だが暴行の跡などでは決してない。感じ取れる魔力の感覚は、もっと別のもの――


「それは、ルーンか?」

「はい、多分……。すいません、いきなり気持ち悪いですよね」

「いや、そんな事はない」

 口にしてはみたが、少女の浮かない顔には一層影が差すだけだった。浮かない顔をしている時点で、本人にとって都合の良いものではないことは明白だった。だからこそ頼みは聞くまでもなかったが、一応の確認をした。


「今日呼ばれたのは、そのルーンを消して欲しいから、てことで良いのかな?」

「消せるんですか?」

 縋りつくように、シーの瞳が揺れる。期待には応えてあげたいが、無責任な発言は出来ない。痣の原因を理解する為にも、慎重に言葉を選んだ。


「まずは経緯を教えてくれるか」

「分かりました。でも、ちゃんと答えられるかどうか……」

「まあ、一つずついこう。このルーンは、何の魔法か分かるか?」

「……分かりません」


「掛けた人間に心当たりは?」

「……分かりません」

「誰か、恨みを買ったりは?」

「いえ、特にこれと言って……」


 幾つか質問を重ねたが、その何れにも、明確は解答はなかった。本人の自覚のないまま掛けられた魔法の解明は、流石に骨が折れる。だがそれでも、考えるしか出来る事がなかった。


 ルーン魔法は本来、魔具に刻印して使う据え置きの魔法陣のような物。人体にかける例は無くはないが、少なかった筈。

「いつ頃からできたものか、分かるか?」

「ひと月前くらい、だと思います。お風呂から出た時に気が付いて。その時はもっと薄かったんですけど……」

「日に日に濃くなってきた、と?」


 無言で頷き、また視線を逸らしてしまう。自分を見る他人の反応を直視したくないらしい。気持ちは分からなくもなかった。

「最近はその夢ばかり見てしまって、いつもうなされて起きてしまって」

 どうやらそれが、目の隈が酷い理由らしかった。

「それで、勝手な考えなんですけど、さっき先生が作った薬が試せないかなと思って……」

「香油か?でもあれは別に呪いの類に効く訳じゃないぞ?」

「分かってます。でも、試したいんです。お願いします」


 これで治る可能性は低いと、内心では分かっている。それはシーだって同じだろう。しかしそれでもと、縋るような眼差しを向けられては、使わないという選択肢などある訳もない。ポケットの小瓶を引っ掴み、それをシーへと差し出した。


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