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33魔法薬

 少女が地面に落ちた本を見つめている。踏みつけられて表紙についた泥を払い、拾い上げる。

風水の魔法陣が描かれた、幼い子供の読み物には似つかわしくない本を抱きかかえ、地べたにしゃがみ込む。震える小さな背に浴びせられる冷淡な声が、少女を縛って離さなかった。


 余計な事は考えなくていい。言う通りにしてさえいれば、成功できるのだから。

 いつまでも我儘を言わないで。私を失望させないで。

 あなたには義務があるのだから。


「……やめて」

 蚊の鳴くような声の抵抗は虚しく、言霊は容赦なく絡みついて来る。耐えられず耳を塞いだ弾みで、また本が手から滑り落ちた。落とした視線の先で表紙の陣がひとりでに蠢き、不可解な文字を形作る。不気味に映るそれから目を背けたいのに、眼球が動かない。

 やがて金縛りに遭ったように全身が強張り、声も出なくなった。いよいよ息も絶え絶えになった時、目の前に大量の水が溢れだした。自分を中心に巻かれた渦から逃れる術を持たない少女は藻掻き苦しみ、ついには溺れてしまう。


「はぁ、はぁ……」

 月明かりが照らす部屋で、少女はベッドから飛び起きた。

 目に隈を作り、薄い胸を抑えて呼吸を整えると、びっしょりとかいた汗を拭った。日に日に強くなる悪夢は、確実に少女を蝕んでいく。


 よろめく足で姿見の前に立った彼女は服をそっと捲る。青白い肌に刻まれたソレが、また彼女の気を滅入らせた。

 どうにかしなければならない、しかし肝心なその方法が分からない。解のない悩みに堂々巡りをしている内に、窓の外はゆっくりと白んでいった。





「授業の補佐、ですか」

「唐突でごめんね。一応、院長には許可をもらってるんだけど、どうかな?そんなに難しいことはお願いしないつもりなんだけど」

 クラインは申し訳なさそうだが、新米の自分に拒否権などある筈もない。むしろ快諾したい気分だが……。


「なんだか、俺では役不足な気もしますけど……」

「いやいや、むしろ君の方がお願いしやすいというか」

「どういう意味ですか?」

「今日の授業は魔法薬の調合をするつもりなんだけどね。知っての通り、その、物理的に手の付けられない子がいるというか」

 頬を掻きながら言い淀んだクラインは、窓から覗く修繕が終わったばかりの校舎へと視線を移した。それだけで、あわや大事故になりかけた先日の出来事を想起させるには充分だった。


「ああ、シャルロットですね」

「そうなんだよ。生徒が多いわけじゃないから、注意していれば大丈夫だと思ったんだけど」

 そう思っていた矢先にああなってしまって、とクラインは続けた。

 今度は実験中に大爆発、なんて事態になれば本当に洒落にならない。そんな思いがひしひしと伝わってくる。

「分かりました。いざとなれば強制的に眠らせますから」

「いやいや!穏便にね、穏便に。何というか、こう、本人のやる気を削がずに成功に導くというか」

「うーん。まあ、なるべくやってみます」

「助かるよ。よろしくね、ブラッド先生」

 大仰に胸を撫で下ろされると、面倒を押し付けられた気がしなくもなかったが、受けた以上はきっちりとこなしたいところ。自身に小さく喝を入れ、授業の開始を待った。





 そして、薬学の授業が始まった。実験室というだけあって、棚には調合薬の素となる薬草や水薬が並べられていて、好奇心が刺激される。

 調合は四、五人ずつのグループに分かれてするらしかった。俺は見張り役の為、問題になった生徒の近くへと腰を下ろした。

 俺の存在が、前回のことを鑑みての結果だと察しているのだろう。エミリーはバツが悪そうにこちらの表情を窺った。


「すいません、ブラッドさん。私のせいでわざわざ」

「気にしなくて良いから。今は授業に集中しような」

「はい。私、頑張ります」

 自身のミスを挽回せんと、グッと握り拳を作った。その意気込みは買うが――

「シャルロット、杖を握っても良いことはないぞ?」

「ああ!ごめんなさい!」

 気恥ずかしそうに顔を伏せたエミリーをよそに、教壇に立つクラインが説明を始める。


「えっと、今日は『伏魔の香油』を作ります。前のトレイに必要な素材を置いているので、班から一人、取りに来てください」

「では行ってきます、ブラッドさん」

「お、おう。行ってらっしゃい」

 トレイを運ぶだけでシャルロットが意気揚々と立ち上がり、前に出た。まるで妹のおつかいでも見守っているような気分である。


「エミリーって、ホントにロヴロ君のこと好きだねぇ。この色男」

「授業に集中しなさい、ガレット」

「まだ材料きてないから良いじゃん」

「良くない」


 シグマは暇潰しに調合器具を弄んでは元に戻し、隣に座る少女にちょっかいをかけていたが、エミリーが戻ってきたところで、シグマの肩を軽く叩いた。

「ほら、来たぞ。ちゃんと集中しろ」

「はーい、つまんないの。ありがとう、エミリー」

「どういたしまして。ではブラッドさん、よろしくお願いします」

「ああ、直接手は出さないけどな」

 とはいえ、ただ見ているだけというのも退屈なので、魔法薬の素材と手順を今一度確認する。収束豆、コカトリスの胆石、錆百合根。それに試験管の中に入れられた、銀色の光を帯びた獣毛。幼い頃に嫌という程見た覚えがある。


「どうしたの、ロヴロ君」

「いや、何も」

「……ふーん」

 はぐらかす必要はなかった、しかし過去の記憶が蘇り、視線を外してしまう。シグマの追及から逃れるように席から少し離れ、意識を魔法薬へと戻す。


 魔法薬『伏魔の香油』、状態異常の付与魔法を打ち消す為の魔法薬であり、冒険者の間で良く使用されている、母の残していた本に、そんな走り書きがあったのを覚えている。魔法薬の純度は素材の善し悪しと魔力の濃度、それに調合の出来に左右され、高純度のものを作るには高い魔力と熟練度が必要らしいが、今は一先ず形になれば良いのだろう。

 収束豆を加熱器で炙り、細かく刻む。それを煮詰めると豆の体積よりも多くの水分が分泌される。

 それを媒介として錆を落とした錆百合根と胆石を入れる。煮詰めた成分を蒸留すれば薬の上澄みが取れる。最後に銀の獣毛を浸し、成分を抽出、最後に黄金色になれば完成となる。

 

 概要だけを書いているので、過程は個人の裁量に委ねているらしい。魔力を少量混ぜ込むのが上手く出来るコツらしいが――


 ――これは、ちょっと骨が折れるな。


 始まってまだ最初の段階だが、既に五回は魔力を介入させていた。火力は一定に保てばいいだけの筈なのだが、杖と睨めっこしているエミリーの魔力は振れ幅が大きく、暫くすると炎が青くなり大きく揺れる。

「エミリー、あたし変わろうか?」

「ひゃっ!?」

 苦笑いを浮かべたシグマが見かねて助け舟を出したが、肩に手を置かれただけで炎が膨れ上がった。

 慌てて魔力を抑えて炎を鎮めると、シグマが申し訳程度にチロリと舌を出し、小声で囁いた。


「ごめん、逆効果だった」

「いや、それは良いんだけど……」

「何よ、その変なものを見る目は」

「錆は机に叩き付けても落ちないぞ?」

「だってナイフじゃ上手く削れないし、いっそ叩こうかなって」

「中身が駄目になるぞ」


「むぅ……そんなに言うならロヴロ君がやってよ」

「おい!」

 いじけて頬を膨らませたシグマが素材を乱暴に宙に放った。体勢を崩して掴み取った様を、可笑しそうにケラケラと笑っている。


「これは後で報告するからな」

「ほらほら、そんなの良いからお手本見せてよ」

 どうあっても俺にやらせたいらしく、結局はこっちが折れる事になった。錆百合根を軽く握りしめ、手の内に魔法陣を浮かべる。冷気が掌を包み込み、表面に霜が降りていく。暫く凍らした後にナイフで削ると、氷と共に錆が落ち、中身を傷つけずに取り出すことに成功した。


「わ、すごい!」

「錆百合根は熱に強い反面、氷結に対しては脆い。錆だけ凍らせるには温度の調節が必要だけど、表面の色が変わったあたりで止めれば……」

「ねえ、その話まだ続く感じ?」

「お前、人にさせといて……」


「関心はしてるよー。先生みたい!」

「一応、そうなんだけどな」

 飄々とした笑顔を向けられるが、話を聞いているのかいないのか分かり兼ねる。真面目にやれと言いたいが、勝手に入れ知恵してしまった手前、あまり強くは言えない。


「ほら、良いから持っていってくれ、そっとな」

「了解」

 素材を手渡すと、今度は驚かせまいとエミリーにゆっくりと近づき、素材を鍋へ入れた。まだ中身は鈍色だが、ほんのりと鮮明な色へと変わった。蒸留前ならこんなものだろう。


「……楽しそうですね」

「うん?そうだな」

 胆石を砕く作業に集中していた丸眼鏡の少女は、伏し目がちにこちらを窺っている。てっきり避けられているものだと思っていた。


「コールドは楽しくないのか?」

「……別に。これはただの授業ですし」

 か細い声はそこで切れ、砕いて粉になった胆石を鍋にそっと注いだ。その手が小さく震えているように見えたのが気掛かりだったが、視界の端で炎が上がった為、抑制に意識を割かざるを得なかった。


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