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32久々の感覚

「どうした、その顔」

 休み明けの職員室、開口一番のモネの発言がそれであった。顔、というのは平手の跡のことを言っているのだろう。

「姉に殴られまして」

「……そうか、大変だったな」

 事態をなんとなく察したか、素直に労ってくれた。気持ちは嬉しいが、自分の見通しが甘かったので自業自得である。


 まさか服についた酒や香水の匂いから、密着具合まで分かるとは思わなかった。あの時の鬼の形相は、当分夢に出てきそうである。

 お陰で休日は、嫉妬の鬼と化したリムを宥める羽目になった。暴れ回るのを無理に抑えたせいで平手打ちを食らったが、散々殴って腹の虫が収まったのか、夜には疲れて眠ってくれた。

 体力を使い果たして床に就くなど赤ん坊くらいのものだとは、口が裂けても言わなかった自分を褒めたい。


「……ブラッド」

「はい!」

 彼女には珍しいか細い声に、回想から現実へと引き戻される。

 余計に巡らせていた思考を止めて向き直れば、モネがほんのりと頬を朱に染め、落ち着きなく髪を弄っている。

「その、何だ。昨日のことは、忘れてくれ]

「昨日のことって……」


「悪酔いしてロヴロ君に抱き着いたことですか?」

「ファナさん、いつからそこに?」

 いつの間にか、ファナは俺の背後に立ってクスクスと笑っている。


「いやあ、お酒も久しぶりに飲むと美味しいですね。つい飲み過ぎました」

「久しぶりにしては、かなり吞み慣れていたような……」

「細かいことは良いじゃないですか。距離も縮まりましたし」


 ニヤニヤと笑いながら向けられた視線に、モネが不機嫌そうに顔を逸らした。

「ファナさんが無理強いしなければ、私は酔わなくて済んだんですけどね」

「あらぁ、その割には嬉しそうに抱き着いてましたけどね」

「……もう忘れてください」

「え~、どうしましょう?」

「うぅ……」


「あの、もうその辺に……」

「あ、そうだロヴロ君」

 涙目になりそうなモネが可哀想になってきたので助け舟を出したところで、こちらに体を向けた。先程の意地悪い笑みは消え、少しだけ真面目な顔を作って見せた。

「今日の授業、ちょっとモネちゃんを手伝ってあげて下さい。君ならきっと簡単ですから」

「手伝い?一体、何をすれば」

「それは後のお楽しみという事で。じゃあモネちゃん、お願いしますね」


 水を向けられたモネは、照れを誤魔化すように咳払いを一つ。

「分かりました。ブラッド、準備を手伝ってくれ」

 指示を出しながら自身の杖を引っ掴むと、モネは足早に職員室から出て行った。その背を追って辿り着いたのは、校舎裏に設置された倉庫。

「今日はこの中にあるものを使う。まあ見たことくらいはあるだろう」

 鍵を開け、中の道具の一つを引っ掴んでこっちへ投げ渡した。


「これは…」

「箒だ。魔術師の手軽な移動法の一つだな。生徒達にはこれから定期的に、飛ぶ練習をしてもらう。まずはこれを人数分、グラウンドへ運んでくれ」

「分かりました」

 聞きたいことは後回しにし、倉庫の中に一つ魔法陣を浮かべると、整然と並べられた箒が一本ずつ宙を舞い、魔法陣の上へ集まる。その束を落とさないよう少しずつ移動させる。

 渡された一本は樫の木でも使っているのか、ずしりとした重みが手に心地良く馴染む。

「触ってみると、案外重いんですね。掃除用ならもっと軽いのに」

「……は?」


 小さな呟きに振り返ると、肩に担いでいた箒を取りこぼし、目を軽く見開いたモネの顔があった。

「ブラッド。まさかとは思うがお前、箒に乗ったことは?」

「え、ないです」

「よくそれで今までやってこれたな。そうなると、今日はどうしたものか……」

 額を抑えて考え込むこと数秒、やがて思考をまとめ、こちらへと向き直る。

「ま、まあ良い。ならついでだ。お前も生徒に交じって練習しろ」

「え、でも箒がなくても移動くらいワープとかで……痛っ!」

「お前は良くても、生徒には示しがつかないんだよ」


 別の箒を投げ渡され、鈍い痛みが走る。柄の部分に銀細工が施された、一回り大きな箒だった。だが銀の一部に猫を模したような刻印があり、なんというか……。

「なんか、子供っぽいですね。これ」

「悪かったな、私の予備だ」

「あっ、いやそういう訳じゃなくて……」

「……とにかく、慣れるまではそれを使え。比較的頑丈に出来ているが、壊したら弁償しろよ」

「はい、気を付けます」


「……ふん」

「もしかして拗ねてます?」

 案外可愛いところがあると、微笑ましい気分になった。だがどうやらそれが癪に障ったようで、鋭く睨みつけられた。

「お前、授業では覚悟しろよ」

「あの、お手柔らかに」

「知らん」

 脅し文句を言って満足したか、顔を背けて歩き出した。それに倣って手を動かし魔法陣を移動させた。





「……痛ってぇ」

 久しく人から学ぶ機会に胸を躍らせていたが、そんな淡い感覚は最初の衝撃で吹き飛んだ。飛行用の魔法陣は知っていたし、描いた事もあった。だが実際に魔力を込めた瞬間、凄まじい勢いで注いだ魔力が噴き出し、植えられた樹に正面衝突してしまった。

「あはは、先生ヘタクソ~」

「ブラッドさん、大丈夫ですか?」

 上からシグマの笑い声が聞こえるが、痛みで取り合う余裕がない。

 上下反転した視界から、エミリーがこちらへと駆け寄り、ハンカチで額から流れる血を拭ってくれた。

「ありがとう。でも唯のかすり傷だから」

「そんなの関係ありませんよ」


 心底心配しているのが、端から見てもよく分かる神妙な表情と口調。その声音が、意地を張る子供に言い聞かせるようで笑ってしまった。不思議そうに小首を傾げた少女から視線を外し、転がった箒を拾い上げる。

「それにしても、箒に乗るのって難しいな。まさか皆飛べるとは思わなかった」

「飛べるというか、正確には浮けると言った方が近いと思いますよ。速く、正確に動ける訳ではないですからね」

「そうなのか」

 見上げてみれば確かに、大半の生徒は風に煽られて漂っているようにも見える。涼しげな顔なのはモネくらいで、生徒は皆、箒に通した魔力に集中しているらしかった。


「いやあ、でもシュナイダーでも飛べてるのが、なんだかなあ。見ろ、あの自慢げな顔」

「嬉しいんですよ、きっと。張り合う相手がライ以外にもできて」

「そうか?」

 腹が立つから不良面を見ないようにしていると、頭上に影が差し、声がかかった。

「すまんな、シャルロット。もう戻っていいぞ」

「はい。ではブラッドさん、頑張って下さいね」

「ああ、頑張るよ」


 礼儀正しく腰を折り、エミリーは箒に跨って杖を振った。そよ風が髪を撫でると、それは次第に小さな旋風を作り、緩やかに上昇していく。その姿を見守ってから、モネへと向き直る。

「すいませんね、モネさん。箒は無事です」

「今そんな事はどうでも良い。というか、説明をちゃんと聞いていたか?」

「魔法陣の上で箒に跨って、魔力を込めろと」

「肝心な部分が抜けた」


 箒からするりと降り立つと、半ば呆れて言い放った。

「ゆっくり込めろと言ったんだ。ベタ踏みしろとは言わなかったぞ?」

「すいません。小手調べでいつも飛んでるみたいにやったんですけど」

「はあ……。一応聞くが、どうやって飛んでるんだ?」

 俺から一歩離れ、腕を組んだモネに応えるように、足元に魔法陣を描き出す。

 白光を放つ地面を蹴りつけると、軽い衝撃波が地面に打ち込まれた。砂埃が舞う中、反動で宙に浮く。地面に落ちる前に同じことを繰り返せば、あっという間に生徒達と同じ高さまで到達した。


「ちょっと先生!変な風起こさないでよ!」

「ああ、ごめん」

 近くの生徒からの苦言を受けて、反射的に魔力を止める。別の魔法陣で空に足場を作り落下を防ぐ。これ以上邪魔をする前に、『落下制御』でゆるやかに地面へ降り立った。


「こんな感じです」

「……頼むからもう少し一般的な方法でやってくれ。魔力の無駄遣いになるぞ」

「すいません」

 そう答えつつも、頬は自然と綻んでいた。

「なんで嬉しそうなんだ?」

「いやあ、自分に使えない魔法を覚えるのが楽しくて」


「……変な奴だな、お前」

「よく言われます」

 箒を軽く握り、感触を確かめる。未収得の魔法を見つければ、出来るまで試したくなってしまうのは自然な事だと思う。

 一日で乗りこなせはしなかったが、この過程もまた魔法習得の醍醐味であると、充実感に包まれた一日となった。


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