31一難去って
切り崩したマンドレイクの処理を終えた頃には、既に陽は傾いていた。夕陽が差し込む校舎、案外風情があるものである。ここが院長室でなく、巨躯の牛が目の前にいる状況でなければだが……。
「本当に申し訳ありませんでした」
「クライン君、もういいから」
院長の前で、薬学の教師が頭を下げる。生徒が危険な目に遭ったのだから、平謝りなのも当然のこと。自身のクラスを受け持つモネがそこにいる事も、自然の行動の範疇だろう。
元来の性格なのか、クラインは終始視線を泳がせ、校長にと言うよりもモネに説明するように顔色を伺っている。
「マンドレイクは、できるだけ温厚な性格に育てていますが、魔力をベタ踏みで注ぎ込む生徒は、さすがに想定外でして」
「言い訳するな。詰めが甘いんだよ、お前は。だからいつまでもこんなミスを犯す」
「いやあ、返す言葉もございません」
厳しめの言葉を使うモネ、だがその横顔は、同僚や生徒が大事に至らなかった事に、胸を撫で下ろしている様にも見えた。
だがあまり責められているのを傍観するのも居心地があまり良くない。俺は助け舟をだそうと……
「モネさん、その言い方はちょっと……」
したのだが、声は抵抗虚しく「ヒュッ」と掠れた声だけが漏れた。見れば、モネが引き千切らんばかりの強さで襟首を引っ張っていた。
見つめ合うというより、一方的に睨まれているので、ときめきも何もあったものではない。
「時に、ブラッド。貴様、どさくさに紛れて生徒に対処させたらしいな。随分と教育熱心じゃないか、ええ?」
「お褒めに預かり、光栄です。それより苦し……」
「褒めている様に聞こえたか?」
呑気な返答が癪に障ったようで、獰猛な笑みが深くなった。怒りの矛先は、どうやら俺の身勝手に向いていた様だ。
しかし、モネはその場にいなかったはず。遠目に見られたとしても、強要したようには見えなかった筈。その疑問に答えたのは、静かに聞いていたルーカスだった。
「ごめん、教えたの僕」
「やっぱり見てましたか?」
「そりゃあ、あれだけ大きな音がすればね。万が一何かあったら大変だし。でも、実際見事だったよ。教え方までは見てないけど、魔法嫌いのシュナイダー君を、よく投げ出さずに教え込んだね、これからが楽しみだねえ」
「ありがとうございます」
お咎めなしどころか、随分好意的に捉えてくれているらしい。院長がそう言うのでは強くは言えないのか、バツが悪そうにモネが語気を緩める。
「甘やかさないでください、若いのはすぐつけあがる。ブラッドも、勝手な行動を取ったことは変わらないからな」
「はい、すいません……。あの、そろそろ離してもらっても?」
「……ふん」
少しばかり乱暴に手を放し、モネはそっぽを向いた。襟を正し、咳払いを一つすると、クラインが改めてこちらに向き直った。
「ロヴロ君、だったね。さっきは本当にありがとう。おかげで被害が小さく済んだよ」
若輩者に対して、いささか腰が低すぎる気がするが、威圧的に扱われるよりは良い。控えめに差し出されたクラインの手を、軽く握り返した。
「僕はクライン・ヒルドロード。担当は薬学だ、改めてよろしくね」
「よろしくお願いします。ロヴロ・ブラッドです」
「挨拶すらしていなかったのか、なんとも悠長なことだな」
「そりゃあ、まだ今日会っただけだからね」
呆れて口を挟むモネに軽口を叩くクライン。
「それに生徒と同じ年の子を先生として扱うなんて前例もないし、接し方がよく分からなくてね」
「すいません、取っつき難くて」
薄々と感じていた事だけに、反射的に謝ってしまった。それを受けて、クラインが慌てて否定する。
「いや、言い方が悪かったね。皆、初めてで距離を測ってる段階なんだよ。時間さえ経てば、自然に馴染めるようになるよ」
「一年目に苦労しただけの事はあるな」
「先輩面してる時くらい、余計なこと言わないでくれないかなあ」
先程より空気が和らいでいるお陰か、心なしか表情が柔らかくなった。
シュナイダーの事はただの当て推量だった。教えるなんて大層なことがどこまで務まるか見当もつかない。それでも今は、一人の生徒の魔法の補助が出来たこと、そして自分に対して少しでも肯定的な教師がいる事を素直に喜ぶべきだろう。
「そうですね。早く馴染める様、精進します」
「じゃあ、僕は菜園に戻るよ。ビニールハウスの修繕もしないといけないから」
「私の影にも、少し手伝わせよう。好きに使ってくれ」
「ぜひ、お願いします」
軽く打ち合わせをしつつ、ルーカスとクラインは院長室を出て行った。必然的にモネと二人きりで取り残され、ほんの少し重い沈黙が流れる。
「えっと、じゃあ俺はこれで……」
「ブラッド」
空気に耐えられず、大人しく退散しようとしたが、背後からの呼びかけに足を止めざるを得なかった。
「すいません。新入りの癖に勝手に」
また怒られるのだろうとつい謝ってしまったが、予想と反して暫く言葉が返ってこなかった。
頭を下げた姿勢からさりげなく視線を向ける。だが肝心のモネは、何か言いたそうに口を開いては閉じを繰り返すだけ……。
「あの、何か」
「……その」
「院長!また私の杖を勝手に…あれ?どうしたんですか、お二人ともこんなところで」
意を決したモネが口を開くのと同時、勢いよく扉が開かれた。なんともタイミングの悪いことである。
肩透かしを食らった二人の視線を向けるが、その意図など分かるはずもないファナは小首を傾げるばかり。
「マンドレイクの報告の流れで一緒に」
「ああ、そういうことだったんですか」
納得してくれた様で、いつもの笑顔に戻る。
「ということは、今日は院長、残業確定ですね」
「なんで嬉しそうなんです?」
「いつも激務を課されているのは私です。たまには喜んでも良いでしょう?」
なかなかに酷いことを言っている筈だが、茶目っ気のある笑顔で言われるとそう聞こえないのが不思議である。
「それよりロヴロ君、今日はこれから予定はありますか?」
「また唐突ですね。特にありませんよ」
最近のリムは、俺のことを気にしてか、よく夕食を作ってくれている。
構ってやれないから機嫌は悪いけれど、それは愛嬌、と思いたい。
俺の返事を聞くと、ファナの顔がぱっと明るくなった。
「じゃあ、今晩食事でもどうですか?よく考えたら、歓迎会もまだでしたし」
「歓迎会?」
「はい。これから長い時間を共にする仲間なのですから、親睦を深めるのは大事です」
「それは有難いですけど、ファナさん以外は誰が来るんですか?」
他の教師陣とはろくに面識がないし、自分のような子供を歓迎する人が大勢いるとも思えなかった。
そしてそれは、ファナ自身痛いところを突かれたらしく、身を強張らせた。
「だ、大丈夫です。誰かあたってみましょう。こういうのは当たって砕けろですよ」
「それ、砕ける前提では?」
次第に気乗りしなくなっているのを感じ取ると、人差し指を唇に当て思案したかと思うと、頬をほんのり朱に染め、こう続けた。
「もし誰も来ないのなら私と二人だけになりますけど。嫌、でしょうか?」
「そ、それは……」
「それは駄目です」
言い淀む俺に割り込む形で、モネが横から話に割って入る。助かったような残念なような……。
「こいつは子供。ファナさん、自分がお酒飲みたいだけでしょう?」
「し、失礼ね。そんなつもりないわよ、ちょっとしか」
図星らしく、語尾が弱くなっていく。
「ファナさんは一人で飲むか、男捕まえるかして下さい」
「うぅ…」
小さくなっていくファナを気にも留めず、淡々とあしらうモネ。
だが子犬のような視線を向けられては、水を向けない訳にもいかない。
「ま、まあ俺は酒飲めないし、適当に晩御飯が食べられれば、良いですよ。歓迎会って名目はある訳ですから」
「そ、そうですよね。じゃあ、決まりです」
「見境いないのか、どうせ変な期待でもしてるんだろう」
「してませんよ!その目、やめてください」
助け舟を出しただけなのに、まるで汚いものでも見ている様な目を向けられては不本意だ。
飲食店など行ったことないから、楽しみにしていただけなのに。
「じゃあ、モネちゃんも来ますか?何気に一番話をしてますし」
「いや、私はお酒は」
「まあまあ。せっかくの歓迎会ですから」
断ろうとするモネの腕を、強引にファナが引っ張っていく。
「はいはい、別に無理に飲まなくても良いですから」
「ちょ、ちょっと……」
モネを連れて行くというのは予想外であったが、余程飲みたかったのか、ファナは聞く耳を持っていなかった。ずるずると引きずられていくその背を、俺はただ追う他なかった。




