16担任
「うんうん、よく似合ってますよ」
院長室で、黒いコートに身を包んだ俺を見て、ファナが言った。
「嬉しそうですね、ファナさん。ちょっと丈が長すぎませんか?」
俺は腕を伸ばし、全身を見る。
黒い髪と相まって、どうにも胡散臭い印象を与えてしまうのではないか、俺はお世辞にも顔の良い方じゃない。
「餞別のつもりだったのだが、気に入らなかったかな?」
机の向こうに座ったルーカスが声をかけてくる。
「いえ、コートはかっこいいです。ただ印象は着る人に左右されてしまうので」
自虐で言ったつもりなんだが、ファナはどうやらポジティブに解釈したようだ。
「黒魔術を使える自分には、おあつらえ向きということですね」
「なるほど。自信があるのは良いことだね」
最初なら戸惑ったが、今はこのやりとりが冗談だと分かる。
「まあ、給料泥棒にならないように頑張ります」
「そう気負わずとも、生徒と普通に接してくれればいいよ。それと、これは教師のことには関係ないんだけど」
ルーカスが深刻な表情に変わる。
「君のお姉さんを、私に近づかせないでくれ」
「すいません。ああ見えても悪い姉ではないんですよ」
「不合格と伝えた時の顔は、本当に怖かったですからね」
ファナも苦笑している。
今思えばその時も、ルーカスは震えていた、生物的な恐怖をリムに感じ取ったのかもしれない。
「院長でも、苦手なものはあるんですね」
いつもどっしりと構えているので、不釣り合いな反応に笑ってしまう。
「ま、まあそのことはいい。では君には、これからAクラスの実戦訓練を担当してもらう。分からないことがあれば、ファナに教えてもらうといい」
「はい。よろしくお願いします」
俺は、教師といっても担任になった訳ではない。
当たり前だが各授業には担当がいる。
俺は座学を受けたことがないし、教えた経験も勿論ないので、同い年から見える生徒の精神面の気遣いや魔力の扱いの補助、それが俺の役割らしい。いきなり魔法を教えろと言われても分からないから多少は安心だ。
「ふん、期待外れでないことを祈るがな」
毒吐く声が聞こえ振り向くと、一人の女性が立っていた。
つり上がった目で、髪の毛を後ろで一つに束ねている。
きつい顔、というかどこか摑みどころのない、冷淡な空気に満ちている気がする。そして、ほんの少し煙草の匂いがした。
「ちょうど良かった。ブラッド君、彼女はAクラスの担任のモネ君だ」
「おはようございます」
挨拶した俺を一瞥しただけで、モネと呼ばれた女性はルーカスに目を戻した。
「本当に子供を教師にするとは、理事会から許可は下りたんですか?」
「あっ…」
完全にしまった、という顔をしたな。
「まさか、許可を取っていないなんてことは…」
「大丈夫だ、多分」
なんとも心もとないフォローだ。こっちまで不安になってくる。
この国の制度は軽く説明を受けたが、理事会のことはよくわからないので黙っておこう。
「ところで、ブラッドといったか」
と思った途端、話の矛先が自分に向き、身構える。
「私は、お前の採用には反対した。どんなに力があろうと、未熟な生徒と何一つ違いはない。学校は魔法だけを学ぶところではない。魔法だけうまく扱えても、何の意味もない」
言っていることは辛辣だが、間違ってはいない。反応としてはこれが普通だろう。
「どうした?黙っているだけか?」
モネだけじゃない、他の二人も俺の次の言葉を待っている。
反応が見たいだけなのかも知れないが、思ったことを言おう。
「そうですね。俺は教えたことも無いですし、認めてくれた人の期待を裏切らない様にするのが精一杯です。ご迷惑をおかけするかと思いますが、よろしくお願いします」
言うだけ言って、頭を下げた。しばらくの間、痛いほどの沈黙が続く。
「もう少し不遜な態度なら殴り倒していたんだが。ガキの答えとしては及第点か」
軽く舌打ちをされたが、キレている訳ではなさそうだ。ルーカスと胸をなで下ろしている。
「モネ君ならひょっとすると辞めさせようとするかと思ったけど、杞憂で良かったよ」
「まだ認めた訳ではありません。今のはただの小手調べですから」
張り詰めた空気が弛緩し、落ち着き払ってファナが話し始めた。
「ところで、ロヴロ君。教員用のパスは、まだお持ちではないですよね?」
「そんなのあるんですか?」
そんなことを知らないのか、とでも言いたげにモネがため息をつく。
「パスがあると、色々便利ですよ。この国なら名の通った学校ですし、お店によっては割引を受けることもできます。ほら、こういうのですよ」
そう言って胸ポケットから名刺くらいの大きさの紙を出して見せてくれた。
俺はそれを手に取った。パスというだけあって、材質はプレートに近い。
これといって特に変わった様子はなく、名前とIDが書かれている。
何気なく裏面を見た。
「あっ、そっちは!」
慌てて俺の手からパスを取るが、奇妙なマークが見えてしまった。
大量の♂のマークと、血液のような?
ファナを見ると、顔を伏せている。しかしそれでも、赤面していることはすぐに分かる。
「あの、見えちゃいました、よね?」
恐る恐る聞かれたので、頷く。
「最低だな、お前。さっきの私の評価を返せ」
「まあ、ファナ君はヴァンパイアだし、色々あったからね」
訳も分からないままモネに罵倒され、ルーカスはフォローに回っている。
「いやいや、どういうことですか?俺そんなにまずいことでも…」
パスの裏面を見ただけだ。こんな形で評価を下げられては割に合わない。
「教員のデータはすでにこちらで把握しておりますので、パスの作り方は、プレートに魔力を通すだけなんです。そして、本人の物だと区別する為、プレートの裏には個々にエンブレムが浮かぶんです」
紙幣を使う国の、透かしのようなものだろうか。
「魔力が影響する、つまり、その者の性格が大きく反映されるということだ。人によってはセクハラだと言われてもおかしくないぞ」
言いづらそうなファナの言葉を継いで、モネが補足してくれた。面倒見が悪いという訳ではないらしい。
「なんだその顔は。言っておくが、私のは見せないぞ」
無意識のうちに、また顔を覗き込んでしまっていた。セクハラと言われたところだし、誤解を解かなければ。
「大丈夫です、そんな変な嗜好や興味は持ち合わせてませんから」
「…なら良い」
言葉の選択を間違ったかと思ったが、特に怒った様子はなさそうだ。
「では、これに魔力を通して頂けますか?少量で結構ですから」
平静を取り戻したファナに、まっさらなプレートを渡される。
俺は少しの魔力を手に宿す。
俺の名前とID、そして顔写真も浮かぶ。パスの出来上がりだ。
それにしても、写真なんていつ撮られたのだろうか、あまり考えないでおこう。
「どうですか?」
「ええ、上手くいきました」
「差し支えなければ、見せてもらえるかな?」
黙って見ていたルーカスが、そこで開示を求めてきた。
「あっ、ずるいですよ院長。私だって気になってるのに」
「院長なんだ、こういう特権があっても良いだろう?」
「俺は別に構いませんけど」
裏面がそんなに気になるのか、まあ、面白半分に聞いていれば良いか。
一応、モネの方を見る。何も言わずに見られるのも、気分が良いものではない。
「くだらんな。私は他の用を済ませてきます」
吐き捨てるように言った後、踵を返して部屋を出て行った。
つれないなと思いながら、閉まったドアを少し見つめていた。
「悪く思わないでくださいね。彼女にも教育者としての考えがあるんですよ」
ファナはずいぶん彼女を気にかけているな。それとも、誰に対してもこんな感じなのだろうか。
「同じクラスが担当なんだ。そうすれば、接し方も嫌でも分かってくるさ。心配いらない。それより」
ルーカスが身を乗り出してパスを見ている。
「早く裏を見せてくれ」
「じゃあ…」
俺はパスを手の平でひっくり返し、机に置いた。その絵を食い入るように三人で見る。
「うわあ!」
「ほほう。これは、なかなか」
なんとも言えない絵だった。版画の白と黒が反転した様な、一輪の花が咲いていた。
俺の第一印象は、かなり控えめに言っても
「不気味」の一言に尽きた。
嫌そうな空気が漏れていたのだろう。モネが気にかけてくる。
「そ、そんな嫌がることないですよ。こう、浮世離れしているというか、ユニークというか」
「それ、フォローになってないです」
ルーカスは一人、ずいぶんと満足げだった。
「そんなに嬉しいですか?これ」
プレートを窓から差す陽にかざして、何気なく聞いた。
「嬉しいよ。教員となる者は、人とかけ離れているほど面白い。この絵はその判断の一つだと、私は思っているよ。教員それぞれに配られているが、似た絵になったところを見たことがなくてね」
嘘ではなさそうだ。
それにしても、花か。ずいぶんと自己主張の強い病だな。
「では今日から、といっても今日は午前だけですので、すぐに授業ですね。よろしくお願いします」
「はい、失礼します」
院長室を出て、俺は授業の時間になるのを待つことにした。