10旅立ち
「という訳で、これからは毎週呼び出すことは難しくなると思う」
「そうか、寂しくなるのう。じゃが、気が向いたら呼ぶんじゃぞ。まだお主に勝ち越せていないからの」
試験の前日、つまり人間界に行く直前に、ルシファーとそんな話をしていた。
学校に通うとなれば、いろいろと忙しくなるだろうから、毎週相手をできるか分からない。
「いつ見ても、異様な光景ね」
「ルシファーと話せる人間なんて滅多にいませんからね」
ルシファーが帰る間、後ろでルルとケミィがそんな話をしている。
「さすが愛弟子です」
「師匠が良かったからな」
俺は笑顔を浮かべて言った。ちゃんとお世辞も言えるようになってきた。
「ふふ、光栄です」
彼女はいつものように笑顔だ。
「どうせやらしい目で見てたんでしょう?」
ルルがふて腐れる。ケミィを手放しでほめ過ぎると、すぐ不機嫌になるのは、相変わらずだ。
「大丈夫。ルルをそんな目で見たことはないから」
「ちょっと、それはどういう意味よ!?」
「冗談だよ」
顔を赤くして怒っている、本当にからかい甲斐がある。
「じゃあ、そろそろ行こうか、父さんが準備してくれてる筈だから」
「ちょっと待って」
家に戻ろうとすると、ルルに呼び止められた。
からかったこと、まだ怒ってるのか?
「はい、これ」
ルルが帽子から剣を取り出した。
「これ、いつも狩りで使ってる剣じゃ...」
「あげるわ。餞別よ」
「え?」
間の抜けた声を上げてしまった。
「なあに?何か不満でもあるの?」
「いや、不満はないけど。でも、いいのか?これ、髪で出来てるんだろう?」
体の一部を渡されたように思えて、気が引けた。本人の愛用品となれば尚更だ。
「いいのよ、髪ならまた生えるし」
そう言いながら、ルルは自分の髪を掴んで見せた。やっぱり悪魔の価値観はよくわからん。
「ありがとう、ルル。大事に使うよ」
「変な奴に負けたら承知しないわよ」
「別に戦いに行くわけじゃないんだけど」
ルルらしい激励だな。
「では、私はこれを」
ケミィがローブの下から札を出した。護符だろうか。
「エルフに伝わるお守りを改良したものです。困ったことがあれば、これに魔力を通してみてください。きっと役に立ちますから」
受け取った護符には、エルフの言葉で何か書かれているが、あいにく読めない。こういうものには疎いが、大切に持って行こう。
俺は試しに魔力を通してみたが、何も起こらなかった。
「ここでは、何も起きませんよ。あくまでも向こうで困った時だけ使ってください」
「そうか、ありがとう。楽しみにしてるよ」
俺は二人に向き直る。
「ありがとう、二人とも。二人が師匠で本当に良かった」
さらっと言った為、二人とも呆気に取られていたが、ケミィの瞳が次第に潤んできた。
そして、俺の胸に飛び込んだ。柔らかい感触と温かさが伝わってくる。
「寂しくなります、ロヴロ」
「俺もだよ」
俺はケミィの背中をさする。七年間魔法を教えてもらっていたが、泣くところを初めて見た。
本当に別れを惜しんでくれているということが伝わった。
「いつまでくっついてんのよ!行くわよ、転送するんでしょう?」
ルルが強引に引きはがした。まだ涙が流れている。
ケミィを見ていると、ルルに殴られた。
「痛てっ!」
「なんで私は抱きしめないのよ!」
そんなツンデレはいらないんだけど...。本気で殴ったな。
腹をさすりながら、俺達は家の裏に戻る。
「あっ、ケミィとルルだー。久しぶりー」
「三日前に会っただろう」
魔法陣を描く父さんの隣で、リムが手を振っている。やけに大きな鞄を三つも横に置いている。
「来たか、悪いけど、もう少し待ってくれ」
魔法陣を描きながら父さんが言う。二人分だと練る魔力が多いんだろうな。
七割は書き終わっているようだ。
「後は俺がやるよ、父さん」
描きかけた魔法陣に手をかざす。残りを魔力で埋めると、魔法陣が完成した。
「杖も詠唱もなしでよくそこまで早く描けるな。研鑽の賜物だな」
「今のロヴロなら、エルフにも引けを取りませんよ」
ケミィも上機嫌だ。鼻が高いと思ってくれているなら幸いだ。
「じゃあ行こうか、ロヴ」
荷物を全て肩に担いで、リムが魔法陣に飛び込んだ。
「相変わらずそそっかしいお姉ちゃんだね」
ルルが呆れた声を出す。
「機嫌がいいだけまだマシな方だよ」
俺は魔法陣の方に歩き出す。やっぱり少し緊張する。
ほんの少し家を空けるだけだ。何かあれば、いつでも戻ってこれる。
そう腹を括り、魔法陣を通った。
~side レイノルズ~
リムに続き、ロヴロが魔法陣をくぐって消えた。
息子とは思えないほどの魔法の練度には、いつも舌を巻く。
「お疲れ様です、レイノルズさん」
ケミィがねぎらいの言葉をかけてくれた。
「ありがとう。二人とも、長い間世話をかけたね」
ロヴロの師匠をしてくれた二人に、感謝の意を込めて言った。
「別に私達は何もしてないけどね。弟子の見送りに来ただけだし」
「本当にそれだけですかね?」
「どういう意味よ?」
ルルの口調にとげがある様に感じる。
この二人、未だに折り合いが悪いのか。
「いいえ。レッドキャップは、自分の武器を生涯手放さない種族だと聞いていましたから」
くすくすとケミィが笑う。
「べ、別にそんなしきたりないわよ!ただ、新しい剣が欲しかったから、お古をあげただけ」
「そういう事にしておいてあげましょう」
「あんたねぇ!!」
随分気にかけてくれている。ロヴロはいい師匠を持ったな。
「それより、レイノルズさん。何故今頃になって、人間界にロヴロを送ったのですか?学校で教わるようなことはとっくに教えたつもりなのですが」
ケミィが改めて核心をついてくる。
「そうだな。理由はいろいろあるけど、ロヴロの治療法を探すのを、本人に見せたくないというのが半分かな」
とはいえ、この七年間、それらしい手がかりは見つかっていない。本人にどんな魔法をかけても、悪魔を召喚しても治せなかった。しかし、まだ諦める気はない。
「じゃあ、もう半分は?」
ルルが先を促す。見送った手前、理由を知っておかないと落ち着かないのだろう。
何と言うべきだろうか。この二人なら、いいか。
「二人は、魔法や剣のこと以外で、ロヴロにお願いされたことはあるかい?」
二人が少し考え込む。
「魔法以外となると、ないですね」
「私も」
やっぱりか。俺は一つ呼吸を置く。
「あの子は、治療を望んでいないというか、自分を諦めている節がある。わがままを言わないのがその証拠だ。俺は、あの子がもっと生きたいと思える何かを見つけてほしいと思ってる。人間界に送るのは、その足掛かりだよ。世界はもっと広いという事を知ってほしかった。それが、親である俺の責任だとそう思ったんだよ」
言い終えて初めて、しんとしてしまったことに気づいた。息子の事となると、つい熱が入ってしまう。
「なるほど、納得しました」
そう言ってケミィは俺の手を取った。
「素晴らしい決断だと思います。治療法、私も出来ることがあるなら手伝います」
「私だってそのつもりよ。訳の分からない病気で、愛弟子を失いたくないからね」
「...ありがとう」
俺は、頭を下げた。本当にいい子達だ。
そしてロヴロ、自覚はないかも知れないが、お前は特別な子だ。魔法の才能よりも何よりも、悪魔に好かれる星の下に生まれたんだから。