1プロローグ
この世界には、あらゆる奇病が存在する。
体が鱗に覆われる病や、魔獣にやたらと狙われるという病など、様々だ。体質と言ってもいいかもしれない。
その中でも特に珍しい病が、「魔華の眼」という病だ。
その病を患ったものは、片目、あるいは両目に徐々に痣が発症し、華の形になった時、絶命すると言われている。
だが、ほとんど発症する人間がいないから、言い伝えの域を出ない。
そんなものの存在を知る由もなく、ガキの時分の俺はただただ気持ち悪がっていた。
「...興味深いわ」
それが俺の左目を見た母さん、クレアの第一声だった。
澄んだ緑の瞳に、黒い筋が浮かんで見える。
「これは何かの魔術の類なのかしら?」
この反応も、今となっては当然だ。魔華の眼の本当の恐ろしさを知るのは、もう少し先の話。
「間違っても、ロヴロで実験なんてしないでくれよ」
父さんのレイノルズが、後ろから釘をさす。
俺は少しゾッとした。
科学者の母さんは、魔界に生息する動植物を研究している。
問題は、研究の仕方が超実験形式という点だ。簡単に言えば、マッドサイエンティストである。
実験が失敗した時は、壁や床に穴が空くことなどしょっちゅうだ。
これまで研究を手伝って、何度危険な目にあったことか。
「そんなことしないわよ。ハーピーの血を使って治るか試してみたいだけ」
「やめて!」
思わず声を上げてしまった。
「ふふ。冗談よ」
母さんが悪戯っぽく笑っている。
こんな笑顔を見ると、気にするほどの事じゃない様に思える。でも...。
「どうした?ロヴロ」
俺の表情を察してか、父さんが話しかけてくる。
「どうして俺の眼だけ、二人と違うの?父さんも母さんも普通なのに...」
家族とどこか違うということに、俺は得体の知れない不安を覚えてしまう。
「ロヴロ。クレアにあれ、見せてやったらどうだ」
俺は父さんの顔を見上げた。
「あれ?あれって何?レイ」
「いいからいいから。裏に小さい池があるだろう。そこに行こう」
何を言いたいか分かった俺は、目を輝かせた。
「うん!」
池の前に立った俺は、ポケットから杖を取り出した。
後ろで二人が見守っている。
空中に魔法陣を描く。すると、池の水が全て宙に浮かぶ。
初級魔法の『ウォーターボール』だ。
本来は攻撃魔法だけど、攻撃するものが何もないので浮かすだけにする。
「あら、すごい。この前はバケツの水くらいしか動かせなかったのに」
母さんが感嘆の声を上げる。
しかし、これで終わりではない。
俺は続けて魔法陣を描いた。球体だった水がうねり、ドラゴンの形になる。
中級魔法『フロウウォーター』に移行する。
これも本来攻撃魔法なので、それをしばらく飛ばすだけにする。
このぐらいでいいか。
水を生き物のように動かすには、繊細な魔力コントロールが求められる。
消費する魔力も多いので少し疲れる。
魔法を解くと、水が雨の様に降ってきた。
母さんの方を向くと、思いっきり抱きしめられた。
「すごいわ、ロヴロ。いつの間に中級魔法なんてつかえるようになったの?」
心の底から感動してくれていることが、顔を見なくても分かった。
「驚いただろう?」
父さんが自慢げに言う。
「まさか、こんなすぐに出来るとは思わなかったけどな」
母さんが俺の顔を覗き込む。
「初級魔法の魔導書はどうしたの?ニ十冊はあったと思うけど」
「全部覚えたから、新しい魔導書を父さんから借りたんだよ」
初級魔法は本当に簡単だった。
火を灯したり、土くれで小さい人形をつくったり。
あまりにすぐに出来るので、難易度の高い魔法を使いたくなった。
「本当にすごいわ。私なんて十歳までまともな魔法を使えなかったのに。あなたは自慢の息子よ、ロヴロ」
そう言うと、母さんはまた俺を強く抱きしめた。
父さんの方を見ると、親指を立てて見せた。
見た目を気にしている俺に自信をつけようとしてくれたのだ。
二人の優しさが、純粋に嬉しかった。
この笑顔を見続けられるなら、何もいらない。
そんな風に思えた。
「この魔力、研究にどう応用できるかしら?将来が楽しみだわ」
軽く悪寒がした。
母さんの顔を見上げると、すっかり研究者の目になっていた。
やっぱりもう少し安心が欲しいかも...。
「じゃあ、俺は仕事に行ってくるよ」
母さんとその腕から離れた俺に、父さんが言った。
「いってらっしゃい、レイ」
「いってらっしゃい」
俺は父さんの後ろ姿を目で追った。
父さんは家の方に歩いていくと、壁に魔法陣を描いていく。
魔法陣が光ると、その向こうに別の景色が見えた。
移動魔法の『ワープゲート』だ。
ゲートを抜けると、父さんと魔法陣は消えた。
これが父さんの出社の方法だ。いつ見ても慣れない。
「俺もいつか使えるようになりたいな」
そう言った俺の頭を、母さんが優しくなでる。
「なれるわよ、きっと。なんたってあの人の息子なんだから。さあ、家に入りましょう」
母さんに手を引かれて、俺達は家に入った。