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Chrono diver ーShort Edt.

作者: FAKE/ALiCE

あらすじ


時間は過去、現在、未来の三要素から成る。

未来はともかく、現在と過去は完璧に相関した概念同士であり、過去なくして現在はありえず、また現在もほんの刹那的な一瞬で過去に成り下がる。


即ち人は(というよりすべての存在は)過去なくしては存在出来ない、

というのが一般論であろう。


しかしながら、誰がそれを証明出来ようか。

人は過去に生かされる、と書いた。

しかし現在いま、過去に命を奪われようとしている人も存在する。

私は、そんな彼女を救う為、過去を壊して逝くのだ。


人物紹介


ゆい

忘れることの出来ない病気、『サヴァン症候群』を持つ、誰からも見えない少女。

好物はチョコレート、一人称は「わたし」。

弱弱しくもしかとした芯を秘めた人物であり、揺らぐ彩を何度も引き直す。




あや

結と共に生活する、誰からも見えない少女。

好物はインスタントのコーンポタージュ、一人称は「私」。

結を救うため、過去を壊す過ちを犯すことを決意する。



・カイロス

決意した彩の元に発現した『享楽時間』を司る存在。

力を借りれば絶対として定められた時間を解脱し、過去を壊すことさえ可能となる。







用語解説


・サヴァン症候群

ルリア病、カメラ・アイとも呼ばれる。

サヴァン(賢人)の通り、強烈な記憶力を持ってしまう先天性の病気。

人に本来生存本能として備わっているはずの『忘れる力』に非常に乏しく、気を病む人が多数いると言う。


・絶対時間

世界に共通として定められた時間概念。

いわゆる時間、分、秒など、私達が常識として用いている時間の概念。


・享楽時間

絶対時間とは別に個人の中で流れる時間を享楽時間という。

そこに定められた単位は無い。


・時の檻

時間を犯したものが閉じ込められる檻。

そこに閉じ込められた者は二つの時の流れのどちらからも解脱し、流れゆく悠久を見守ることを義務付けられる。


・悠久

二つの時の流れを合わせた全体の総称。


→skip to 7 Days,


Days "eight"


―独り。

真っ暗で、何もなくて、誰も私を知らなくて。

いつも孤独に震えていた。

唯一優しくしてくれた孤独から私は逃避して爪を立てて、より独りになりたがった。

それでもあきらめきれなくて、唯一の味方を受け入れた時―

―光が差した。


「結、起きて」うっすらと目を醒ます、いつもの天井にいつもの少女。

いつも通りのいつもであった。

「朝ごはん、食べよ」自身も少し寝ぼけた声音で少女はベッドから起きた。

「最近、どう」そっけなしに、しかし確実な意図を持った声で私―彩は尋ねた。

「どう、って?」

「その…記憶とか」

「んー…フラッシュバックとかは激減して楽にはなってる、かな」そう言って振り返った少女はにこっと笑って部屋を出る。

「そっか」味気ない返しをしてうつろな視線をまた正面に戻す。

写真がいくつかかけられた、灰色の壁が視界を占領した。

「インスタントのスープでいいかな」開いたドアからひょこんと顔を出した少女が袋を鳴らす。

「コーンポタージュなら」私は視線を壁に向けたまま答えた。

「えーっと・・・」少女が大袋の中をまさぐる

「あ…銀色の袋。」慌てて私は付け足した。

「ん…これかな…?」少女は赤い切り取り線のプリントされたアルミ袋を掲げる。

「そう、それ!」私は手を叩いて袋を指差した。

「そっか、ごめんね。最近忘れっぽくて」少女がはにかんで見せる。

「記憶力はよすぎる方なのにね。」苦笑と共に放たれたその言葉に私は胸を痛めた。

彼女―結は一生癒えない病をその心に患っている。

サヴァン症候群。

カメラ・アイとも呼ばれるそれは人に強力な…いや強力すぎる記憶力を授ける先天的な病だ。

その記憶力は絶大なもので、例えば地図や歴史年表など、ほんの一瞬で暗記してしまう。

意識していないことまで記憶の片隅にとりとめ、無意識に覚えておくことの出来るそれは人から羨まれることもしばしば。

しかしながら、覚えられるということは忘れられないということである。

例えば、コンピューターのメモリ媒体。

あれには記憶領域というものが定められており、それを超えた量を保存することは出来ず、また新しいものを保存するため古いものを消去する必要がある。

その消去機能が生物の生存本能における『忘却』という行為なのだ。

サヴァン症候群とはその能力に乏しい、また彼女の様に一切持ち合わせていないもののことを言う。

記憶が消えないというのは私達凡人からみて想像しえないものであろう、それどころか必ずなにか忘れごとをする人にとっては羨ましくすらあるかもしれない。

しかしながら消えない過去は確実に精神を破壊する。

そう、媒体をいっぱいにしたまま放置しているとそのコアに絶大な負荷がかかるように。

現に彼女は壊れかかっていた。

それこそ現在を形成しているはずの過去に、彼女は殺されかかっていた。

その彼女を救うため―

私は、過去を壊すことを決めた。

私は彼女の消えない過去を消して現在を保っている。

最近忘れっぽいのではない。

私が、忘れさせているのだ。

「それ、わたし食べた事あったっけ」またしても心を抉られる言葉を聞きながら温かいポタージュを口に運ぶ。

「一口、どうぞ」スプーンを彼女に手渡す。

美味しい!感動的な声を耳にして思う。

「―もう、良いんじゃないかって?」耳元で声がした。

カイロス。享楽時間を司る一つの神にして相棒。

少女を助けんとする私に示談を持ちかけ、過去を壊すことを提唱した。

つまり、私がこうなっている元凶ともいえる存在。

疎ましくも他に方法は無い―そう感じた私は甘んじてその契約オファーを請けた。

彼女にたまった過去を消して、新しい記憶を固定化させ、それ以上の負担をかけさせないようにする。

そのため彼女はまっさらな状態でなくてはならない。

そう―私のことさえも。

「ねえ―」

「なぁに?」少女が首を傾げる。

「―私の誕生日、覚えてる?」

「えっ…」言いにくそうに切り出した結を少女は困惑した目で見つめる。

「えっと…」少女は慌てて眼をそらす、無理もない、私が在り様もない希望にすがっただけだ。

都合のいい現実を、今彼女に求めた。

私は自分が悪魔の様に感じた。

「あ…ごめんね、覚えてないよね」慌てて取り繕う。

「…ごめんなさい」少女は唇を震わせた。

「違うの、気にしないで」

「ほんと、どうしちゃったんだろうね」

「記憶力しか取り柄もなかったのに」そして長い睫毛を伏せた。

お願い、それ以上責めないで。

私の嘆願とは裏目に彼女の震えは大きくなっていく。

「―これでも…もういいと言えますか?」

うるさい。カイロスの問いかけに心の中で返して彼女の肩を抱く。

スープの残った器からはまだ、湯気が立っていた。



16pasts  "ninth year"



まばたきをすると世界は途端に色を失う。

この一瞬だ、飛び込め。

こうして二元した時間の流れに紛れ込み、時を超える。

ねえ―

私は、全てを終えたら、どうなるんだっけ。

カイロスに問いかける。

「そうですね…時の檻にて悠久を見守ることになります」

「悠久ってなに?」

「普段過ごしている絶対時間、今こうして使っている享楽時間…その二つを外部から見た*総称です。即ち貴方は時間から完全に解脱してその行く末を見守り、その罪の大きさを感じていただかなくてはなりません。」

「もうわかってるつもりなんだけどな…」彩は不満そうに呟いた。

「…本当に、いいのですか」

「なんていってももう戻れないでしょう。」私は目の前に広がる過去を見据えて溜息をついた。

「全く、あなたは果たして悪魔か―」

「わたくしは、現実を見せた上で貴方に私にできることをお教えしたまでですわ」カイロスがほほ笑む。

彼女の記憶には私がいる。

私は彼女の記憶を消す。

これの意味する現実から、ひたすら目を背けたかった。

そんな葛藤とは裏腹に破壊は残忍にも順調で、もう折り返し地点を過ぎている。

彼女から『私』が消えるのはいつになるか…そんな危惧とともにただ今日も作業を進める。(まあ、もうやめることはできない、つまり必ずその時は来てしまうわけだが。)

「あのね、私…」打ち明ける少女の姿が目に映る。

忘れられないの。七年前。彼女から放たれたこの言葉を、私はずっと覚えている。

忘れるわけ、無いじゃない。

そう吐き捨てて過ぎた時間をまたひとつ、捨てた。


Skip a day ー Days "tenth"


今日、彼女から消えた記憶は「色」だった。

またいつもの様に起き、ポタージュを説明して、そこで発覚した。

銀色…?怪訝そうに首を傾げた彼女の姿に、私は決意した。

「あのね…」

私はすべてを話した。

「あなたは、忘れっぽくなってるんじゃないの」一度、切ってまた言葉を紡ぐ。

「私が、忘れさせてる」

・・・。彼女は口をぎゅっと結んでいた。

目だけがじっとなにか、私には聞き取れない言葉を発していた。

「…どうして」しばらくの静寂の後、少女が呟いた。

「どうして、最初に言わなかったの?」

静寂を破壊する轟音に思わず私は顔を背けた。

続いて机を叩いた彼女の手を見やる。

「ごめん…」手は軽く震えていた。

「でも、こうしないと貴方の精神こころは…」

「―それでも、一旦聞くのは道理だよね」

「ごめん…」

「…あなたの記憶も、消えるの」

「…いずれは」

「記憶の消える順番とか、わかる?」

「手放したくないと思うものほど離れない」

「つまり、普段意識していないものから忘れていく?」

彩はこくりと頷いた。

「…」溜息をぐっと飲み込んだような彼女にますます頭があがらない。

「その・・・やめようか」彩は申し訳なさげに頭をあげる。

「え…?」

「もう9年分は記憶・・・消したから。このままでもあと9年は確実に生きられる。覚えることを少なくすれば、何もない日を多く過ごせば、まだ寿命は延びる」

「なにもない日…って・・・」

「何も覚えなくて良い日。何一つ新しいものの無い日。ただ何も考えないで同じルーティンをこなす日。」

「・・・」彩は静かに頷く。

「生きてないよ」少女はやんわりと告げた。

「え…?」

「死んでるのと変わりないじゃない」

「・・・」

「そこでやめたら、私死んじゃうってことだよね」

「そう・・・なるね」

「つまり、貴方は私を殺そうとしてるんだ。」

「・・・」

「ほんと、どうして言ってくれなかったの?」

容赦ない言葉に私は完全に言葉を失う。

「生かしてよ」

「えっ?」

「―最後まで、やって。例え最終点が偽りの記憶でも、私は死にたくない。」少女は強い眼で言った。

「・・・でも、私の記憶も―」

「そしたらまた、入れてくれればいい」

「たしかにそれは出来るけど―」

「―怖いの。」少女が目を伏せた。

「だから―」

お願い。

その言葉を最後に私は瞬きした。



―Literary fragment.



消え逝く過去、私の中にしかない記憶だけが増えていく。

次第におくれるとおもっていた「いつも」をおくることもできなくなって。

それでも少女は過去を壊す。

彼女が選んだことだから。

彼女が発したその言葉に、私は甘えて逃避して。

私は果たして彼女のどれだけを奪い去ってきただろう。

本当に彼女のためなのか。

いったい何度自問自答したことか、全く計り知れない。

そうして「きちんと自問自答してだした結論だから良い」などという逃げ道をまた用意して。

逃げ道を延々と走り続けている。

降ってくる矢に、幾度も転んで、その度迫りくる現実と真実におびえて、彼女にまたすがって。

私はどうして彼女に出会ったのか。

そうして運命という必然まで見直したこともあった。

であった私を消していれば、彼女はこう苦しむこともなかったのだろうか。

「ねえ、カイロス―」はい、何でしょう、と声がした。

「私を消せば―」

―全部、無かったことに出来るかな。


16pasts "fifteenth year"


―雨が、降っていた。

「冷たいね。」私は、あの日の彼女に語りかける。

「結?」少女は首を傾げた。

「あなたこのあと、風邪引いちゃうんだよ」その言葉に少女は首を傾げる。

「そしてね、風邪なんて滅多にひかないあなたはどうしよう、わたし死んじゃうんじゃないかなって、すっごいあたふたするんだ。」彩は苦笑しながら言葉を続ける。

「―一日寝たら、完全によくなるから、どうか心配しないでね。」彩は結の肩を軽く叩いた。

「…ありがとう」結が訝し気に礼を言う。

「ねえ、結」いつものように問いかける。

「なぁに?」彼女も、いつものように返す。

いろんなことが、あったよね。

「いろんなことってなによ」結は笑ってチョコを口にする。

「最初は、二人とも独りだったね。」彩も小さなチョコのかけらを口にした。

甘い味が口の中に広がる。

カカオと、雨に打たれるコンクリートのにおいが混じって複雑なような懐かしい感情を呼び起こした。

「そうだね、―」結はチョコをかみ砕くと、続ける。

「だぁれもわたしのことなんて知らないで、身寄りもなくて、それこそわたしが消えたって世界の歯車に影響なんて無くて。」

「孤独だけ、だったよね。」彩もチョコを飲みこむとその続きを繋ぐ。

「ね」結は相槌を打つ。

「独りって感覚だけが、自分に優しくしてくれた」

あ、そうそんな感じ!

彩が丁度手を叩く。

「でも受け入れられないよね」彩が苦笑する。

「そうだね…受け入れたくないよね」

「でも、孤独すら向き合えないほんとうの独りに耐え切れなくなった時―」

「―『孤独』の正体が、わかったんだよね」うんうん、と彩も頷く。

「不思議だった。なんでもかんでも一緒で、感じることも、信じることも」

「寂しいことも」

そうだね、結が相槌を打つ。

「でも、今思うと、」これも―彩は一旦切って、続けた。

「必然だったんだよね。」その言葉に結は頷く。

「『孤独』だって、独りなんだから、さびしいに決まってるんだ。」

「わたしも、あなたも。ふたりとも孤独だから、ここまで一心同体に近い存在だった」

「うれしかったよねぇ」彩はしみじみという。

「本当に、安心した。」

「そして理解したよね」

「そうだね。」

「優しくしてくれるわけだって」

「うん」

「…出会えてよかった。」彩が結を優しく抱く。

「そうだね。」結も同じうして抱擁した。


いつしか雨はやんでいた。

そうだ、あの時もこうして話してたら雨がやんだんだっけ。

あの時の会話を、私は覚えていないけど。

私はこうして、その会話を埋めている。

新しい記憶で、彼女の像を塗り替えている。

言いようのない、哀しい感覚であった。

気付くと涙が零れていた。

そして溢れ、頬を伝っていた。


この感覚を、彼女は―

結は、全ての記憶において感じるんだ。

彼女はこの寂しさを、16年分感じるんだ。

改めて寒気がした。

申し訳なくて、それでもやめることは出来なくて。


お願い。彼女の言葉がよみがえる。

ごめんね、―ごめんね。

何度も、何度も謝った。

そうして救われた気になって、また苦しくなって謝って―

私は彼女に、どれだけの負担をかけてきたろうか。

いつしか涙はすり替わり、ただネガティブな感情だけは依然としてそこに居座って。

はやくどっか行ってよ。


「あのさ―」高架から垂れ落ちたしずくを手で拭って、彩は切り出した。

「―私が命を落とすとしたら、どうする?」


彼女の言葉を私は忘れない。


―さようなら。


―Literary fragment.


どうして、あんなことを聞いたのですか。

カイロスが問う。

なんでだろうね。

私は素気なく返す。

そうですか。

カイロスは顔を落とす。

では、はやいところで時の檻へ―

ああ、嘘!嘘!!話すから!

ふふ…こちらも嘘!嘘!!です

あわてた彩にカイロスがほほ笑む。

安心したかったんだと思う。

彩は一転して真顔になって発す。

やっぱりおんなじなんだって、彼女が私でもこうしたんだって、そう考えて安心したかったんじゃないかなって。

そうですか。

今度はカイロスが素気なく返す。

カイロスってさ―

何でしょう?

意外とお茶目だよね

そうですか。

カイロスは苦笑しながらも言葉を保つ。

あと、すこしだね

ええ。

でもその前に―


お願い、泣かせて


―skipping ー Days "final"


午前八時、私は自然と目を醒ます。

もう彼女は私を起こすことは出来ない。

だからこの数日は私が彼女を起こすことにしていた。

「結―」彼女を、優しく揺さぶる。

「ん・・・」少しだるそうな、彼女の声。

どうしてか彼女が声を出せるだけで、私はせめてもの安心を保っていた。

「朝ごはん、なにが良い」寝むそうな結を覗き込む。

「えっと・・・」

「貴方は・・・?」

その言葉に、私は衝撃した。

そっか…

彩は結を抱擁した。

「ごめんね。」

「・・・?」少女は怪訝そうな顔で彩を振りほどく。

「本当に、忘れたのね」

なんてね、彩おはよ!

そう言ってほしかった。

そっか。

もう、使いきっちゃったか。

いつもの日として無為に日を消費した自分を私は責めた。

そして、涙をぐっとこらえた。

私はせめて、彼女の前では泣かない。

そう、決めたから。

自分のしたことが、わかりましたか

カイロスが告げた。

―うん。

訝し気な彼女を尻目に、私は部屋を出る。

ーなるほど、罪だ。


―Literary fragment「s」.


まばたきをすると世界は途端に色を失う。

今だ、飛び込め。

もう手慣れたこの行為に私はほくそ笑んだ。

こんなことをしなくても生きていける人もいる。

ただ朝になったら起き、食事して、各々の役割ロールをこなして、親しい人と駄弁って、ただ何も考えず一日を過ごして、夜には睡眠を取って、そんなルーティンを幸せそうに過ごす人は大勢いる。

その大勢からはずされた私達はなんだか踊らされているようで―

―踊らせているようで。

なにか、私達の届かない存在が私達を踊らせて楽しんでいるような。

そう考えると、なんだかばかばかしくなって。

気付いたら大笑いしていた。

彼女に見えないこの世界で、涙を流して手を叩いて、私はすべてを笑い飛ばした。

気道が詰まってむせかえって、声を枯らして、喉をがらがらにして。

笑って、大笑いして、いつの間に私は泣き叫んでいた。

此れを創った何かに吠えて、その理不尽さに咽び泣いて、ただ一人きりの世界で私は泣き続けた。



彼女の、最期の記憶に触れる。

これを消して、彼女の記憶を書き換え、定着させる。

そうすれば、彼女の生命いのちは―精神こころは―

―保てる。


全く、記憶とは不安定なものだ。改めて、そう感じている。

ちょっとしたきっかけですぐに均衡を失い人を苦しめたり、また楽にしたり―

そして、積み上げたどんなに重い記憶も、大切な記憶も―

ただの一日で一年分が吹っ飛んでしまう。

記憶とは、不安定なものだ。



「こんにちは」記憶の中の彼女に話しかけた。

「誰…?」過去の彼女も、もう私を私とは認識してくれない。

これで私は、彼女とすごしたこの私は、永遠に、

忘れ去られてしまった。


改めて、湧き上がってくる感情をナイフで無理やりに刺し殺す。

頬を引く手を振りほどいて、動く口を切り裂いて―


いつまで、逃げるの?

停止した世界で、抜いたナイフを、もう一度その胸に差しこんだ。


すると気がすうっと楽になって、飲み込んで以来ガムの様につっかえていたものが飛んで、なんだか私自身も飛んで行けそうな気になった。



「わたしは、結」震える彼女に、手を差し伸べる。

「結…?」体育座りをしてうつむいていた彼女は顔をあげて私を見つめる。

わたしは、彼女の手を引いてやさしく立たせる。

「貴方も―」


誰からも、見えないんだね。




―雨が、降っていた。

天気雨。

心に雲はないのに、どうしてか雨が降っている。

ざわざわと、胸騒ぎがした。

どうしても、なんとしてでも、呼び覚ましたい記憶がある。

けどそれは思い出そうと躍起になるほど遠ざかって…

丁度、堕ちて逝く彼女に手を伸ばす様な―


ねえ、わたしから消えていくあなたは誰なの?



「私は彩」立ち上がった私は名乗った。

「貴方も―」

「―誰からも見えないんだよね」言おうとした言葉を、彼女が紡ぐ。

「誰も話してくれなくて、誰も私達が見えなくて、それこそ私達が消えても歯車は回り続ける。」

「うん」

「わたしもだよ。」結は優しく彩を抱擁する。

「そう…貴方が―」

「―『孤独』、なんだね」結は静かに頷いた。



覚悟は、良いですか

カイロスが言った。

・・・良いよ

数秒ののち、彩は答えた。


― 



「私は、彩」震える彼女に、手を差し伸べる。

「彩…?」体育座りをしてうつむいていた彼女は顔をあげて彩を見つめる。

彩は、彼女の手を引いてやさしく立たせる。

「…わたしは結」手を引かれて立ち上がった結は名乗った。

「貴方も―」

「―誰からも見えないんだよね」言おうとした言葉を、彼女が紡ぐ。

「誰も話してくれなくて、誰も私達が見えなくて、それこそ私達が消えても歯車は回り続ける。」

「うん」

「私もだよ。」彩は優しく結を抱擁する。

「そっか…貴方が…」

「―『孤独』なんだね」

「…むかえに来たの」

「え?」

「もう、私達は楽になるんだよ」彩は少女の肩を優しく抱く。

「…わたし達は、もう終わったんだね。」そっか。と彼女は相槌を打って続けた。

「そう。」

「うん。わかった。」お疲れ様、と彼女は言った。

お疲れ様。

私もそれに返す。

さあ―


「一緒に、逝こう?」


二人の少女を光が包んで逝く。


もう、悲劇は終わったの。

貴方と視える明るい世界を―。



Days "next"


午前八時、結は目覚めた。

取れない眠気が、世界をぐるぐるとかき混ぜる。

急に立つと危ないって、本で読んだっけ。

とりあえず枕もとの水差しに口を付けて、冷水を流し込む。

「けほっ・・・」

喉が潤うと共に冷えた気管から咳が飛びだした。

「ふう・・・」

血液が全身にまわり始め、身体が覚醒していくのを感じながら、正面の壁に眼をやる。

いくつかの写真や絵がかかったコンクリート製の壁。

無機質ながら、わたし「も」この壁が好きであった。

この部屋をコンクリートの壁にしようと提案したのは私ではない。

まあ、誰なのかも覚えてはいないが。

もう、動けるかな。

ベッドを降りようとしたとき、違和感に気付いた。

「あれ・・・?」

頬を伝っていた涙を慌ててティシューで吸い取る。

「あてのない悲しみ、ばいばい!」

冗談めかしてゴミ箱に丸めたティシューを投げ捨てた。


朝食はいつも通りインスタントスープ。

なんとなくこれが飲みたくて、赤い切り取り線のプリントされた銀色の袋を開ける。

「いただきます。」

誰に言ってるのかわからないあいさつを投げ、スプーンを手にし、熱々のポタージュを口に運ぶ。

ふくよかな甘みが口腔いっぱいに広がった。

美味しい。

思わず口にして微笑む。

まるで眼の前にいる誰かが、わたしに微笑みかけた気がした。

そこでどうしてか、涙がまた頬を走る。

おかしいね、哀しくなんてないのに。

スープの残った器からはまだ、湯気が立っていた。


今日は、なんだかさびしくないんだ。

結は優しく微笑んだ。

まるで彼女が側にいて、一緒に生活している様な、暖かい感覚がずっと胸の中にある。


―ありがとう。

無意識に口にした。


わたしは、忘れないよ。



16pasts "extra over"


ヒトから見れば空の上であろうそこに、彩は鎮座していた。

時の檻。

空中でありながら、うっすらと水が張り、漆黒のグランド・ピアノが置かれた不思議な空間。

絶対として定められた時間を解脱して時を改変した者が閉じ込められる、全ての時間から完全に逸脱した空間だ。

全ての時間は止まっているに等しい。

疲れることもなく、年を取ることもなく。

食事もいらない。なんなら呼吸もいらない。

生きることも、死ぬことも許されず。

ただここでは悠久を見守ることを義務付けられる。


そして、その存在を・・・


時を見守る者クロノスよ、気分はいかがですか。

もう、呼ばれてしまった。

気分なんてどうでもないわよ。

彩は溜息を吐いた。

強いて言うなら、整い過ぎてて気持ち悪い。

なかなか贅沢な悩みを仰いますね。

半目で述べた彩にカイロスは苦笑した。


彼女の悲劇を完結し、時の檻に収容されるその時。

私は、過去の私と決別した。

彼女が忘れた私を、私も忘れることにしたのだ。

いわば最後の逃走ともいえよう。


そういう意味では、私はもう『彩』でなく『時を見守る者クロノス』と名乗るべきなのかも知れない。


―よくぞ、全てを乗り越えました。

過去を壊し、彼女を見送り、自分と決別した私に、カイロスはそう告げた。


―あなたこそ、悠久の守人、クロノスに相応しい。

私は、時を見守る者をずっと探し求めていました。


踊らされている感覚は、間違ってなかったのね

そう感じたのであれば、そうです。

カイロスは素気なく返した。

ふう・・・

彩は不満そうに『下界』を眺める。


どうか気を鎮めて。

大丈夫よ!

鬱陶しそうに彩は手をひらひらさせる。


私が消え逝く最中、貴方を見つけたのは本当に偶然なのです。

それも何回も聞いた!

もう呆れて怒りなんてわかないよ


そう躍起にならなくても・・・

なるわよ、何回この件やったと思ってるの?彩は溜息を吐く


息なんてしなくとも大丈夫ですよ。

それも分かってる!彩が空を叩いた。

「っていうかもうしゃべらないで・・・つかれる」


疲労も蓄積しないはずですがねぇ・・・

カイロスは言おうとした言葉をぐっと抑えた。


「気苦労はするの!!」聞こえてるのよ、と口にして彩がまた空を叩いた。


―あなたがどうして誰からも見えなかったか、私から詳しくお話しましょう。

カイロスの声がよみがえる。


貴方は、ヒトを大きく逸脱した存在なのです。

厳密には、存在する場所が大きくずれていた。

こちら側の存在であったのにあの世界に生まれた。そのずれが為、あなたは他人から見えなかったのです。


たまに、居るのですよね

そう呟いてカイロスは続けた。


つまり、ここに来るのは私でなく結だった可能性もあったってこと?


はい。

カイロスは頷く。

極論、あなたと同じ場所に生きる人なら誰でも可能でした。

まあ、そもそも存在することがごく稀、貴方達が出会ったのは完全な奇跡としか言いようがないですが。

まあ、それは置いておいて。


確かに彼女の意思を見るに、仮に貴方が消えそうであれば、確実に彼女が時を見守る者クロノスとして、ここにいたでしょう。




―私が命を落とすとしたら、どうする―?


あの記憶がまた、蘇る。


―助ける。何を犠牲にしても。


たとえ離れ離れになっても―?


―うん。


あのときの結の眼がありありと呼び起される。


けれど、消えそうなのは結であった。

そういうことですね。


カイロスは彩の隣に並んだ。


見晴らし、いいね

そうですね


下界を行く『彼女』を見つめる。


これで、よかったのでしょうか

それ、貴方が言う?


彩はまたしても首を振る。


彼女も望んだことだから。


彼女の中にもう彩は居ない。

私は時を見守る者クロノス

つまり、彩はもういない。

結を消した彩は完全に姿を煙に巻いた。



でも、貴方と生きていた証とときを、私はいつまでも忘れない。

きっと、あなたも一緒だよね。


―世界の果てで、私達はつながっている。

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