残暑
午後3時。つけっぱなしのテレビからトラックが歩道に突っ込んだだとか、誰かがどこかで自殺しただとか、そんなどうでもいいニュースを淡々と読み上げていく声が流れている。その機械のような声が耳を通り脳へ届き、どうせ少ないであろう僕のシナプスを無理やり覚醒させていく。そうして僕はまた目覚める。やけに揺れる視界に舌打ちをしつつ(二日酔いだろうか?酒を飲んだ記憶すらないが)、とりあえず水を飲もうと台所へと向かう。まぁ6畳ちょっとしかない部屋だ。3歩も歩けば目的地には辿り着く。蛇口を捻ると嫌な音がした。コップを取り出すことさえ煩わしく、手に溜めて飲み干す。鮮明になりつつある意識が、逆に僕を不安にさせる。出来ることならずっと夢の中にいさせてほしかった。目を開けたところで今日もやることなどないのだ。ただ呼吸をして、ただ生きるだけ。繰り返す、繰り返す。壊れたCDプレイヤーが何度も同じフレーズをループさせるように。人生に目的なんてない、好きなように生きろと言う。だけど目的がない人生なんて、何が面白いんだ。何も面白くない。何もかもが面白くない。キラキラした目をする人が嫌いだ。毎日が楽しそうな人が嫌いだ。些細なことで笑える人が嫌いだ。街中ではしゃぐ人間が嫌いだ。そうしてそんなことを思う僕のことが一番嫌いだなんて、手垢に塗れた表現をしてみる。そんなことより煙草はどこに置いたっけ。目につくところに見当たらない。昨日、どこかに落としてしまったのだろうか。……昨日?僕の毎日に昨日なんてもの、あったっけ。まぁとにかく腹も減ったことだし、コンビニまで出かけるとする。クタクタのスニーカーを踏みつぶすようにして履き、家の外に出た。もう9月だというのに日差しはまだ強い。目が痛む。耳をすますと蝉の声が聞こえた気がした。よたよたと頼りない足取りでコンビニへ向かう途中、高校時代クラスのアイドルだった女の子を見つけた。大人しくも男受けしそうな服を着て、いかにも大学生というような髪型をした彼女。ああ何にも変わってないな、人生イージーコースのまんまなんだろうな。くだらない嫉妬心が顔をのぞかせる。そんな脳内ハッピーセット女が僕に気付いてしまった。顔を歪ませ近付いてくる。いや違う、あれは笑顔だ。笑顔と言うんだった。訂正しよう。彼女は満面の笑みを浮かべながらこちらに向かってきた。正直僕としては一言たりとも会話をしたくなかったし、する必要も感じなかったし、彼女の楽しげな声を少しでも聞けばその瞬間僕は溶けてなくなってしまうんじゃないかとも思った。だけど彼女は徐々に迫ってくる。さながら死神のように、ゆっくりと、しかし確実に。走り去ってしまうか、そう思った刹那、歩道に飛び出してきたトラックが彼女を思い切り跳ね飛ばした。鮮血が舞う。骨の折れる音が聞こえた。数秒間の沈黙のあと、甲高い叫び声とどよめき、有象無象の歩行者たちがいっせいに声を上げた。その景色が何故かやけに懐かしく感じて、僕は足早に立ち去る。コンビニへ飛び込み煙草とコーヒーを買った。店から出てすぐ火をつける。深く煙を吸い込み、ゆっくりと吐く。そこでようやく意識が現実に戻ってきた気がした。はは、はははははは。笑いが止まらなかった。僕なんかに関わろうとしたがために、誰にでも与えられる優しさを持っていたがために、人並み以上の社交性を持っていたがために、彼女は死んだ。そしてもう後には何も残らない。何度も体験したことのように、僕は彼女の最期を鮮明に思い出す。血の一滴、髪の毛の動き、彼女の表情、完璧に思い出せる。そうか分かったぞ。まだ蒸し暑い残暑の空の下、僕は確信した。「この世界は、僕のものだ」。そして次の日、僕はビルから飛び降りたのだった。そこで全てが終わっている。