食とは何か本気出して考えてみた
本編です。
食というものは、いつの時代も人間を支配し、あるいは束縛し、胸の内に懊悩を生じさせて止まないものである。例えば隣近所の三人に一人が死んだとか、飢えて人を食ったとかいう食糧難の時代などまさにそれだ。
暴論ではあるがいっそものを食べるという概念自体がなければ、食物が誰にも必要のないものであれば、たとえ王が暗愚にして官が無能、民草が蒙昧であれ悲劇はなかったであろう。
食物が豊かにあり、例えば半身不随になったとしてもコインを握って近くのスーパーマーケットに行きさえすれば調理済みの食べ物を手にすることができてしまう現代においてもそれは同じである。
食は必要不可欠な本能でありながら娯楽の範疇にも侵食し、人々は腕によりをかけ少しでも味の良いもの、珍しいものをまた別の人々に提供しようとする。
実際、ちょっと時間を巻き戻せば、何でい、料理のまずい女なんざいらねえやという御仁もそこかしこにごく当たり前にいたことだし、ケーキに入っていた一筋の髪の毛で使用人を首にしてしまうお嬢様だっていらっしゃった。
美味なるものが人間に与える快楽を思えばそれは致し方ないものでもあろう。
この時代の食の何が問題なのかといえば、ありがたみが特殊性にしかなくなっていることである。食糧難の時代なら毎日同じ料理を食卓に饗したところで分別のある大人は何も言うまい。
食べられるだけで幸せとはまさにそれで、しかし、食糧過多のこのご時世、どれほどの人がそのありがたみを身に染みて知っているというのか?
ゆえに現代人は毎日同じ料理を食卓に出すことを大なり小なり躊躇う。
菓子業界の販促活動の一環として生まれた2月14日のフェスティバルでは意中の異性に――同性という場合もあるが、できるだけいいチョコレートを手渡す。お返しだって同じことだ。
さて今から朝食を調理するわけだが、イルマは上に述べたような理由からなんとなく、今日までに作ったものとはまた違うものがいいだろうなと思った。イルマもまさしく食糧過多の現代人らしくためらいを感じたのである。
だが彼は何が出てきても、それこそ人糞をこんもり皿に盛られて出されても「珍しいお料理ですねえ」などと言ってこれっぽちの疑問も抱かずいただきますして、食べ残したりはせずごちそうさまでしたするだろう。
だろう、推定というより確信だが、もはやまだ起こっていないだけで決定事項なのだが、信じたくはないところである。
鰯の頭も信心から、など言うところを見ると、信じなければ鰯の頭なのだろう?鰯の頭はあくまでも鰯の頭にしておいて、醜悪極まりない古代の神になどわざわざすることはあるまい。
まあ戯言は置いておいて、大体そんなもの食べさせたらさすがに中毒するだろう。もう少し人間の食事に近づけないと。例えばザザムシさんとか、ゴキブ……げふんげふん、身近にある良質なたんぱく質とか。
しかし、あのオフィーリアとオニビの孫たる純真かどうかはともかく幼さの残る――イルマよりは年上だが――少年をゲテモノ食い、悪食と後ろ指を指される国の住人にしてしまうのは気が引ける。
まあ世の中には死体を操ったりしちゃう悪食さんがいるらしいがあれは別物だということで、ひとつ。
イルマだって死体を操るだろうって?確かに操るだろう。
ただし、五体満足な人間の死体でないと精密な動きを指示できないから、近現代減少の一途をたどる土葬の習慣が残る集落で、出ていないことには30年もの時を遡れる遺体の使用許可が出て、さらにそのあと起訴率が百パーセントで起訴された場合の有罪率が一分の一をマークする魔術的遺体損壊罪で起訴されなければの話だが。
おっと閑話休題。イルマ本人はいつもの彼女自身と比べてものんびり、いっそ鈍重ともいえるくらいにのんびりと朝食の品目について考えている。
では何にしたものか?
そうだ、久しぶりにフレンチトーストを食べよう。悪食趣味には被るまいし、あれもししょーが死んでからは、一度も作っていない。
黄色が目にも鮮やかで、甘くてふわふわでしっとりしたあの食感が恋しい。よし、そうと決まれば早速調理だ。
まず大きなボウルに卵を三つ割入れた。ちゃっちゃっととく。牛乳を目分量で加える。国内で酪農が小規模ながらできるようになったのはごく最近だから、まだ国内産より外国から輸入したものの方がおいしい。あーうん大体大体。
それっぽい色になったところで砂糖をスプーン一杯。すりきるとかしない。甘くなかったらあとではちみつか何か垂らせばいいじゃない?と思っている。
それにしても香りがないな。首を傾げたところで師がバニラエッセンスを二滴ほど入れていたのを思い出す。これか?ちょんちょん。
それっぽくなってきた。耳を落として六つに切った食パンを浸してしばし待つ。暇だからニュースでも見るか。
テレビをつけて、座ろうとしたソファに異世界人が寝ていて、ちょっと臭かったので消臭スプレーを薄く吹きかける。うゆうゆと何か呟いてもぞもぞ動く。果てしなく気持ち悪いからししょーのロッキングチェアに座ろうっと。
だってもう一つのソファにはユングが白目剥いて伸びてるし。
クッションに少し尻が埋もれて、押し戻される。相変わらずいい座り心地だ。ついでに椅子が前後に大きく揺れた。
おっとっと、ひやっとしたぜ。心臓がギュッとなる感触に寿命が縮む思い、それにしてもよくししょーはこんな椅子に好んで座っていたものだ。
あ、だから寿命が縮んだのか。納得納得。
今日も世間のニュースは薄暗い。
アナウンサーが示す画面に、某国立大学の名物教授が事故に巻き込まれ重体、中学生自殺いじめを苦に?、側溝から死体老人会が発見、台風11号魔界に逸れる、といった個性豊かなトピックが並んでいる。ああ、今日も平和だ。
イルマは少し首を傾げて、それから椅子を立ち、固定電話からブラムの携帯にかけてみた。しばらく発信音がして、つながる。
「もしもし、ブラムさん?」
「はぁい?どうしたのこんな朝早く」欠伸混じりに答えるのは確かに彼だった。テレビのニュースでこういうのがあって、と話す。
「ああ、ほんとだ、うちの教授だね。つーか吾輩、トラックとダンプの玉突き事故に巻き込まれたくらいじゃ怪我もしないよ」
「それもそうか。ごめんね、こんな時間に。お休みなさい」
「うん。おやすみー」
安否確認、終了!よかったよかった。椅子に戻る。穏やかな揺れが心地よい。ユングを絞め落した後に卵液を作ってパンを浸して放置しているわけだが、このままいくと彼が起きるころには出来上がるのかな。
ろくに手伝いもせず食うだけ食うとはいいご身分で。絞め落して手伝えなくしたのは自分だが、そんなことは届かない引き出しにしまい込んで愚痴を垂れる。