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病み魔法使いの弟子  作者: ありんこ
魔神様の謹製スフレチーズケーキ
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積雪130センチメートル

 本編の季節感を無視した回想編です。

 歯を磨き終えて病み魔法使いが次にしたことは、思索だった。唐突な吐き気の理由がどうにもわからない。心当たりがないというのではない、心当たりすぎるのである。

 宣告された余命から見るに末期なのではあるが、薬はちゃんと飲んでいる。長く細く息を吐きながら書き物机に備え付けの椅子を引きずって、斜に腰を下ろす。

 右肩を背もたれに預けて二段ベッドの上段ではしゃぐ子供を意識の外に追いやろうとするかのように目を閉じた。こういうホテルによくあるヒノキの香りは嫌いじゃない。

 ただ文句を一つ言うなら畳の方がよかった。どこにでもへたり込めるから。

 顔は室内の温度が外に比べてずいぶん暖かかったせいもあって冷たい膜が皮の一枚外を覆うような気味の悪い感触。脱がずに着たままだった外套は肌着との間にいとわしい熱気と湿り気をため込み重く締め上げる。

 湿り気。ああ、吐いたときに汗をかいていたのか。きっと冷や汗の類だろうけど。

 息苦しいので、多少肌寒く感じるだろうと思いながらも脱いだ。少しの解放感と息苦しさの残滓のようなものが全身に漂う。

 不快もしくは快を投げかけてくるのはこれだけで、痛みは感じない。薬が効いていないわけではなさそうだ。

 効いていなければ臓腑の底からは疼きなどという生ぬるい単語で言い表したくないような、強烈で鋭利な疼痛が、もろもろの体調不良を従えて這いあがってくる。

 いきなり気分が悪くなって大して入ってもいない胃の中身をひっくり返したが、今は嘔吐感などどこにもないではないか。

 酸性の黄色い液体が白い雪に点々と落ちて刺激臭をまき散らしながら融けるのを想起した。生理的嫌悪感こそあれ、さほど気分を害さない。

 ここまで考えを巡らせたところで、眉間のあたりの表情筋が緩んだ。

「あ」

 そうだ、薬だ。医者の言葉を思い出す。確か、体質によっては吐き気を感じることがありますと言われたものがあったっけ。こういうたぐいの「体質」には今日まで該当したことのない性質だったから右から左へ聞き流していた。

 処方箋と一緒に頓服として渡された制吐剤をアルミのシートから一つ剥がして、さっき歯を磨いたときのコップの底に3ミリリットルくらい残っていた水で流し込む。

 錠剤はごつっと硬く喉奥を擦って、食道を胃の方へ滑っていってしまった。効くんだろうか?ちょっと気になって、バカバカしくて錠剤をカバンの中にしまう。

 どうせすぐ死ぬのに何を気にかけている。旅の恥は掻き捨てと言うではないか。

 ……いや、本当に実行すると人間としての尊厳が崩れ落ちそうだからやらないけど、多少はね。

 それにしてもあれは吐き気と聞いて一般的に思い浮かべるような生易しいものではなかった。訴訟も辞さない。


「ししょーって乗り物弱いの?」

 まだ気分が悪いようで椅子の背にもたれて座る魔導師に、ベッドに飽きたイルマは端的に質問を投げた。

「いいや。夜中に荒れた海で漁をした時も平気だったくらいだ。何だか知らんが歩いていたら急に気分が悪くなった……」

「なにそれこわい。っていうか漁って何?公務員ってどんな仕事してんの?」

「公のしもべをやっていた。それ以上はちょっと、守秘義務があるからな」

 気だるげに指を立てて唇に当てる。給料付きのボランティアみたいなものなのかな?イルマにはよくわかっていなかった。ボランティア、おおよそこの男には似合わない響きである。

 助けるのでなく害するなら半カウロも必要とせずに喜々として行いそうなのだが、それによって助かる人間もいるとしても、人助けとはいいがたい。やっぱり似合わないな。

 ほんの出来心ででこピンをかましてみたら、ぐう、とうめいてうなだれてしまった。やっぱり元気がない。

「こんなんでスキーなんて、ほんとにできるの?大丈夫?」

「問題ない」

「嘘だあ」この頃のイルマはまだ師が病気であることを聞かされていなかったが、それでも健康体からはほど遠いことぐらいわかっていた。

「ねえ私、今日はスキーしないでゴロゴロしたい」

「らしくもないからそういう言い方をするな……子供らしくない」冷たい指が軽くイルマの頬を叩く。痛くはないけど、冷たい。

「子供は大人の心配などせず、これまで通りそれなりに勝手に振舞えばよい」

 納得しないイルマに、でもあまり自分勝手だったら怒るぞ、と補足して、目も細くして、少し鈍重な動作で立ち上がる。疲れが見えたが、強がりをわざわざ指摘することはない。

「さて、腹が減っただろう。レストランへ行こうか」

「うん」

 師匠は当たり前に、同じ日にげろげろ吐いていた人とは思えないくらいには当たり前に朝食兼昼食を摂った。少し量が少なめで、消化にいいうどんだったが、決して具合の悪そうなそぶりはない。品よく黙々と箸を動かす。

 一方のイルマはというと、大盛り石焼ビビンバを二人前平らげた。

 もう一つ!と注文した時に師の箸先から小麦粉の麺がつるりと一本スープへ落ちたのを覚えている。彼は何も言わなかったが、まだ食うのか、朝なのにと呆然とした表情は語っていた。

 ゲレンデに出たのは昼の一時を回ってからだった。

 地元が雪の積もらない地域なので、雪をちゃんと描けているかどうか果てしなく心配です。雪だるまも小さい時に一度作ったきり、触ってもおりませんので。

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