半融けの水無月
もうちょっと早く展開させたいなあ、この話。
「いい質問だねえ~」
杞憂だった。しかもいい質問らしかった。
「うちの一族ね、ずっと辺境で貴族やってたんだよ。おかげで無駄に領地が広くって無駄に気位が高い。王様に託された土地だからって威張り倒してたけど、正直、王様もあんな辺鄙なところに行ってくれる奴なら誰でもよかったと思うよ。たまたま引き受けたのがストーカー一族だっただけ」
ちょこなんと元の位置に戻り、座る。尾があれば尻に敷かないように持ち上げているだろう。
「気位が高すぎて厨二に走ったのね。魔神を呼び出して、願い事として自分とこの一人息子を吸血鬼にしちゃったわけ。馬鹿だよね?だって吸血鬼に有性生殖の能力はないもの。さらにそれが発覚したのが両親が年を取ってからときた。家が絶えるっちゅうの」
吾輩が死んでないから絶えてはないけどね!と白い牙を見せて笑う。笑いごとか。
「おかげで今おいしい血についての研究と、ほんのちょっと仕事をして食っていけるんだからとんとんじゃないかな?吾輩そう思う、ふふ」
達観とも違う。おそらく彼はライフワークに没頭することができる現状に本気で満足しているのだ。長きにわたり東北の領地で政治をやっていたが、身分制が廃止されたので領主を辞め、この大学に教授としてやってきた。
「そんなことより剛志君、採血していい?」
砂嵐だったテレビに何か人影のようなものが映った気がしたけれど、目の前の注射器を持った吸血鬼より刺し迫った問題ではないので無視した。
何か別の物語が始まった可能性もなくはないが、これ以上のことになるとただでさえ文章力の低いありんこの描写が追い付かないから勘弁していただきたい。
踏みつぶされちゃう。
「ああ……この瞬間に、吾輩は異世界の人間の血を吸った世界初の吸血鬼になるわけだ!味はともかく嬉しくてたまらないよ!」
「おいしくなかったんだ?」
がさごそとテーブルの下からメモパッドやインク、ペンなど筆記具のセットを取り出してテーブルの上に置く。ゴロゴロとインク壺が転がるのを興奮で汗ばんだ指が捕まえて、震えながらねじ式の蓋を回す。
神経質そうに羽ペンの毛先を撫で、ガリガリと頭をかきむしる。
「うん、あまり言いたくはないけど吾輩が飲んだ時点の病み魔法使いとどっちがひどいかってレベル」
「それは酷い」
確か、ブラムが飲んだ時はぺっぺっ!をしばらく繰り返し、そこから数日下痢と腹痛でのたうち回っていたのだったか。食中毒ならぬ、吸中毒だ。あれ以来彼は、口に入った血があまりにまずいと飲まないようになった。
そのあとに飲んだ別の吸血鬼さんは泡を噴いて倒れ、病院に搬送されて三日間意識不明で生死の境をさまよった。あんな劇物と比べるなんて、剛志が元居た異世界では何を食べているのだろう。
「おそらく食品添加物の類だろう」
カリカリと羽ペンで刻み付けるようにメモパッドに書き記す。
「そんなことまでわかるの?」
「うん、たぶん保存料とかかな。吾輩そっちは専門外だから断定はできないけど、この世界には流通してないタイプだと思う。原料が揃わないか高価かで作ってないのか、別のものが台頭してるのか、何にせよ異世界の実情を知る手掛かりになるね」
「し、知ってどうするんだよ」
インク壺にペン先を潤して書き物を続ける。流麗な筆致のボルキイ語。エアメールか何かだろうか?答える間も惜しいと言わんばかりの様子でふふっと笑っているので、代わりにイルマが答える。
「――異世界攻略でも、する?」
剛志の顔からさっと血の気が引いた。ユングがいじわるな笑みを浮かべる。
「いいかもしれませんね、それも」
「おい待てよ……攻めるって言うのか!?日本を!?う、あ、こっちからは何もしてないんだぞ!?」
ばたばた手足を動かしながらどうにかこうにか剛志は思いついたことを言ってみるが、逆に浅はかさを痛感する羽目になった。
「それが?理由なんか後で作ればいいのさ」
ファンタジーな異世界には、国際法……はあったかもしれないけど、元の世界のような良識はなかった。へなへなと地べたに座り込む。
冗談冗談、と笑う人すらいないってどうかしてる。本気で言ってるからだろうが、本気で言ってほしくない。
外では雨が降り出した。多分。アスファルトを叩く雫の音が部屋の中にも響いてくる。
「泊まっていくかい?」
「やだよ、朝起きたら貧血になるじゃん」
傘は貸してくれないあたり、生き物の良心の限界を感じる。ただ、ユングが折り畳み傘を持っていたので困りはしなかった。もちろん人数分、つまり二つである。剛志?濡れればいいんじゃない。
後ろから剛志がマントのジッパーを引っ張る手を払う。手癖の悪い、しつけはもう少しすべきだろうか、など考える。日本という国は一体、どういう無法地帯なのだろう。
ぐずぐずと降り続く雨が止んだら、夏は完全に赤熱して硝子のように融け落ちる。