ブルドッグの道行
忙しくなってまいりました。あまり早く更新できなくなります。
しばらくして、少し都会の駅で電車を乗り換えた。また数時間揺られる。途中で駅内の店に入って昼食をとった。
立ち食いソバだった。何ともシュールな光景だ。でもこれがこっちの世界ではファストフード的な意味合いなんだろうなと思ったから何も言わなかった。
そこにいた全員が、いただきます、もごちそうさま、も言っていたのがちょっとおかしかった。何にせよおいしかった。
ソバを食べるのは初めてだからソバの良しあしはわからないが、いい方に入るような気がする。
立ち食いソバの店を出て、剛志はトイレに行って戻ってきた。便器の形はごく普通。色も黄ばんだアイボリー。微妙に臭い。念のため個室もチェックしたが、洋式6つ、和式2つ。和式ですか。和の世界観でしたっけ?ここ。
トイレの前にハンバーガー屋があった。ファストフードはこっちなのではないだろうか?それともソバがソウルフードなのか?ここはどういう国なんだ?いやに日本に似ているんだが。
帝都はあまり都会という感じではなかった。ビル群もまああるのはあるが、べらぼうに高いこともなし、東京タワーのようなものもやっぱり高さはない。車が少ない割に道は広く作られている。信号は赤、黄、緑。
横断歩道を渡ったが、歩車分離式が多いらしかった。スクランブル交差点ではないが。そして、歩行者が渡るときにかかる音楽は……とおりゃんせ!微妙に割れた電子音まで全く同じ!
「ファンタジーっぽくないよなあ」
「ファンタジーっぽいって何?」
まあそうなるわなあ。これが当たり前なら。
またしてもどこかのやばげな施設に連れて行かれる。今度はまた違う機器があって、いろいろと調べられた。どこまでも人のことを調べるものだ。
「お疲れー」
戻ってきたらイルマがひらひら手を振っていた。相変わらず唯一のオアシス。
「疲れたよ。ったく、何をそんなに調べることがあるんだよ」
「えー、いっぱい。病気持ってないかとか、アレルギーないかとか、本当に異世界から来たのか、とか」
それに対して隣に座っているユングは目つきからして10人くらい殺していそうなのだ。イルマもこんなやつの何がいいのか。
「最後のはともかく、病気もアレルギーも俺にはないって言ってるじゃねーか」
「……あー、言い方が悪かったか。未知のウイルスとか細菌とか、そっちの世界では何ともないけどこっちだと危ないみたいな病気がないかどうかってこと。そっちの世界ではすでに皆が免疫を持ってても、こっちの人はそれがないわけだから、うっかり外に出すとパンデミックだろ?」
自己申告は信用されない。納得できる理屈だが、釈然としない。普通トリップ先の異世界ってそんなこと考えないものなのだ。
「あとね、逆ももちろんあるわけだから。免疫が落ちてたりすると、私たちにとってただの風邪でも君には命取り。そこらへんにある普通の雑草に触っただけで全身に蕁麻疹が出かねない。よくある食材を不用意に口にしたらアナフィラキシーショックで死ぬかもよ?」
美少女の手料理を口にしてそのまま昇天……想像してぞっとした。手料理の先にあるあれとかこれとか、消し飛ぶ。
「け、結果は」
「何にもなかったよー」ひとまずほっとした。
「生物兵器に転用できそうな菌とかも持ってなかったし、アレルギーも出なかった。君の記憶からそっちの世界についても調べたけど、問題ないって。逆にこっちの世界の病気とかは、」
そこで少女は口を閉ざした。白い廊下に残響だけが残る。これはもしやまずいのではなかろうか。
「と、とかは?」
「……大丈夫大丈夫、毎日手洗いうがいを心がけて、ご飯はよく噛んで食べて、お風呂にちゃんと入って、よく寝れば大丈夫だって」
事実上の危険宣告をもらった。免疫が落ちて感染したらアウトってことだ。なら今のところ普通に生活できるってことか?とりあえず早寝早起きだ。それしかなーい!
「あ、でも顔がまずいから、人を見た目で判断するタイプの人とは仲良くなれないってさ!」
「俺一応まあまあなのに……」
ユングは鼻で笑っていた。この世界ではユングやイルマは普通に入るのか?
「そーだ、ユング。こいつうちで飼うことになったから」
「マジすか!?こんな寝起きのブルドッグみたいな顔面の奴飼うんですか!?」
剛志が人生で食らってきた罵倒のワーストワンが今塗り替えられた。この世界のブルドッグ、イケメンらしいな。
「うん。」
「正気ですか先生!僕は承諾しかねます!こいつの脳みそには動物並みの欲求しかありません!下半身でものを考えるタイプの生き物です!年端もゆかない少女と一つ屋根の下で生活させるには卑猥にすぎます!それにあの筆記テスト見たでしょ!?機転も利かない識字率も低い能無し野郎ですよ!?さらに体力テスト!底辺にもほどがある!見た目も中身も百害……いえ百万害あって一ミ利もありません!考え直してください!」
わーいこんなにも長く罵倒語をしかも滑らかに、立て板に水と喋れる奴初めて見た。言葉を噛むとかないのか。水準が高いのは顔だけじゃなかったんだな。体力も勉強もまあまあだったのが、一日で底辺になった。
「えー?かわいいじゃん、腐肉にたかる蛆虫みたいで」
ほめ言葉のワーストワンも塗り替えられた。オアシスだと思ってたのに……。ブス専とか趣味がおかしいとかではない。もっと恐ろしいものが見え隠れする。
「それにねー、同居して危険なのは私の方じゃないと思うんだ。だって体力テスト底辺でしょ?うっかり殺しちゃいそうで不安。あと一応国からめいわくりょ……いや補助金が出るそうだからもったいない」
迷惑なんですね。ユングが口の動きだけで言った。国で保護すると税金の無駄遣いって叩かれるからね。イルマも口の動きだけで言った。
とはいえ殺処分すると今度は非人道的って叩かれちゃうんだ。衆愚は民間人による善意の飼育って奴がお望みなんだよ、と。さらにユングが返す。
つまり必死の飼育もむなしくいつの間にか死んでてくれたら万々歳なんですね。あと今日の夕飯はバンバンジーがいいです、と。
人間に対して飼育、と素で使える二人に狂気を感じる。
「……わかりました、先生がそこまで言うなら」
先ほどの、言葉に実体があるとしたら間違いなくギロチンやアイアンメイデンになるだろう声なき言葉の応酬などみじんも臭わせず、爽やかにユングが言った。
「でも部屋にはちゃんと鍵をつけて、閉めて寝てくださいね」
「はーい。うっれしいなー」
そう言って笑うイルマの目には一点の光も灯っていないように見えた。錯覚だと信じたい。全身全霊で。