受け継がれるもの
人間錯覚の続きであります。回想編、長かった。
「久方ぶりに見る顔だのう」言葉と腐敗ガスを一緒くたに吹き出しながら、ドラゴンゾンビが話しかけてきた。やだーけっこう理性が残ってるじゃないですかあ。
「じゃが小娘……ぬしに用むきはない。男を出せ」
「ししょーのことか」
師が与えた傷は顔全体の熱傷、しかも治癒している。そこも今は腐ってるけど。ならば自分の仇、なんてことはないはず。
なのに、どうしてこんな執着を見せるのか。本来ドラゴンは人間になど興味を示さない。顔を覚えているというのは尋常じゃない執着だ。
「うむ、そう呼んでおったな。早うあれを出せ」
「ごめん、それは無理だよ。だってししょーは死んだもの」
ほう?やたら人間臭いしぐさで首を傾げた。何が言いたいかは大体わかる。答えは否定だ。
「あなたが殺したんじゃないよ。あの後けがを治して、それから病死だ。残念でした」
「そうじゃろうな。儂はただ顔面を焼かれて、驚いて逃げただけじゃ。あれがあの程度なことで死ぬとは思えん……おお、せっかくアンデッドになったというに、残念だの」
すえた臭いがすると思ったら、後ろでタケシが吐いていた。ユングが背中をポンポンと撫でている。おかげで異臭悪臭のアミューズメントパーク状態だ。あー早く鼻が麻痺しないかな。
腐敗ガスで膨れた死体の腹を眺めて思う。今にも爆発しそうだ。
「そうじゃな……おぬしに相手をしてもらおうか」
「へえ、そういうこと言っちゃう?せっかくアンデッドに成れたのに?もったいないんじゃない?」
杖をカバンの中に押し込む。彼女が知る由もないが、それは師と同じ動作だった。鞭を抜く。師が使っていたものより、わずか短い。全長が4メートル半。イルマ自身も師より小柄。リーチとしては劣る。
だがそれを右手で構えて、左手にテグスを仕込む(仕込んでいるのだろう)姿はドラゴンの目の中で師と重なる。踏襲、と見えた。
「どういう意味じゃ?」
しかし彼女は言い放った。
「あの時のししょーより、今の私が強いことを保証するって意味だ。来てみろよ、動く屍。動かないただの腐乱死体にしてやるからさ」
はあ!?とユングが変な声を上げる。何を驚いているのだろう。
「逃げなよ、そのお荷物を連れてさ。君もお荷物だけどね」
「駄目です先生!こんなところじゃ崩落の危険がある!それにそいつはかなり強い!いったん退くべきですよ!それでなきゃ僕も残ります!一人でなんて危険すぎる!」
ああ、小動物が何かわめいている。ぽいと地図の表示されているタブレット型端末をユングの方へ投げた。ナイスキャッチ。これを使って帰れという意味だ。
ししょーはこれも渡してくれなかったから、私も別のところから帰らなきゃならなかったから、まだ優しい対応なんじゃない?
「だとしても、君はいらない。失せろ」
こいつは私が殺らなきゃいけない。大体ユングでは太刀打ちできそうにもない。
「……わかりました、先生」彼は苦々しく頷いた。確かに自分ではただのお荷物だ。そんなことはわかっている。
「でも!戻ってきますから!絶対、戻ってきます!お荷物を運んだら、きっと戻ってきますから!」
「帰ってこなくていいって言ってんじゃん、状態異常足枷の過積載野郎が」
まだ青い顔をしているタケシを引きずるようにして、ユングは走り出した。ドラゴンゾンビの脇を通り過ぎて出口へ走っていくが、ゾンビは追わない。あくまで奴の相手はイルマなのだ。
「逃がしたのか。そこもあの男と似ているのう」
「買いかぶりだね。私もししょーも足手まといを離しただけさ……オニビさん、出てきて」
霊体化を解いたオニビがふわりとそこに現れた。彼の火なら一酸化炭素の発生も避けられる。白濁した死体の目が少し細くなった。
「哀れじゃのう……死人しか信じられんか」
「生きてる時病気で弱ってる人間の一人も殺せないどころか尻尾を巻いて逃げ出した誇り高き竜族カッコ笑が分かったような口をきくなよ。腐りかけた生ゴミのくせに」
徹底的に煽った。本来なら心なんか揺らがない、動かないはずなのにどういうわけかちょっと腹が立ったのだ。だってお前だって死んでるじゃないか。何でリアル死体に、リアル残留思念に、馬鹿にされねばならんのだ。
……案外と図星なのかもしれない。冷静にそれを見つめて、腹立ちを納める。魔力がこんなことで左右されるのはいただけない。
魔法の関係ないオニビの炎で牽制しながら、膿んだ傷口を狙う。
あの時の師より自分が強いと言ったのは嘘ではない。いたって健康で、死霊術も使える。あやとりにしても鞭にしても、変な癖がついていた師より素直に扱える。生還した師から対策も学んだ。
何より、圧倒的防御力の龍鱗が剥がれている箇所があるのだ。ただの肉なら魔法も効く。