竜殺さない
ドラゴンがやたら強い世界観ですので。
回想です。誰のとは言わないけどね!
「ししょー、寒い」
弟子の声に首を巡らせた。地上では雨が降ったので、足元は濡れている。タブレット型端末によれば洞窟内は20度弱。確かに少し冷えるが問題ない。
「最下層だからな。……ここの気温が高かったら天変地異だ」
「うー……でも寒いー」
仕方ない。魔導師はそっと身をかがめた。カバンの中からカイロを取り出す。
「少しズボンをずらして、肌着が見えるようにしろ」
「素肌で温めあうわけ?」
いつもの馬鹿な発言を無視して肌着の上からカイロを貼る。直接肌に当てると低温やけどの心配があるからだ。
イルマが不満そうな顔をしたが無視した。こいつはどうも彼のことを性的な目で見るようになったらしいがそんな趣味はない。
「これでいくらかましだろう。行くぞ」
「……はーい」
湿った空気はむしろ、ガサガサに荒れた喉には快かった。深く息を吸い込む。痛むが、咳は出ない。この分ならいけそうか。軋む内臓を律して歩き続ける。
カミュは辛いなら途中で帰ってこいなどと言っていたが、彼のプライドはそこまで安くない。
今回の目的は最下層の壁面の一部に生える『コケ』だ。便宜的にそう呼ばれているものの、地衣類とは違う。魔物の一種だとか、魔力の煮凝りだとか、新種の菌類だとか色々言われている。
予算ばっかりくう学会の不毛な議論にピリオドを打とうと甲種に依頼を出したわけだ。彼がこの依頼を受けた時、関係者は喜びと期待と、あと困惑をあらわにした。
――今の君にできるのか?
できる、と答えた。まだ甲種の名は錆びついていない。まだだ。まだ動ける。ここにいる。確かに存在する。
巨大な金属の結晶が粗い鏡のように男の顔を映し出した。眉をひそめてこちらを見る。目障りだ。
コケをナイフで削ぎ取り、渡された容器に入れる。あとは戻るだけだ。何もなくてよかった、と安堵したせいだろう。警戒がわずかに甘かった。
そこが下層なら、問題なかったのだが。
「おお、小さき者共ではないか」
巨大な竜がとぐろを巻いてこちらを見ていた。ナチュラルにコルヌタ語を話していることに無性に腹が立つ。
「……ちっ」
「ちょ、いきなり舌打ちとかないじゃろ!?ドラゴンぞ!?儂ドラゴンぞ!?」
くるりと踵を返した。ここで戦闘にでもなろうものなら地盤が崩れかねない。
「逃げるぞ、イルマ」
「あ、はーい」
「ちょっと待てやぁ!食わせろ!なんか食わせろ!」
カバンの中に手を突っ込む。まだあったか。走りながら包装を剥いて後ろに投げる。全盛期ほどの膂力はないからこっちに気を取られてくれると嬉しい。
――投擲能力も落ちているということを、考えればよかったのに。
ぽすっと音を立てて、竜の口の中にちょうど投げたものが、軍から配給された携帯食料が入った。
「まずいわああああ!もうちょっとマシなものはないのかこのたわけえええ!」
(ええい黙れ!エサはやっただろうが!)
罵詈雑言が浮かんでは消えるが何も言わずに走る。激昂させたらどうなるか分かったものではない。危険性は十分に理解している。
竪穴に来た。イルマをしょってかさかさ上に這い上がり、チビを下ろして走る。今は下層。よくわからない虫を蹴散らしながら走る。
ここからは坂になっているから中層までは一気に戻れる。酷使した肺が血を噴いたが無視する。
逃走は不意に終わった。ずん、と音がして、目の前に先ほどの竜が舞い降りたのだ。
「どこから、という顔をしているのう。すこぉし遠回りして、天井をぶち抜いていったん上層に出てから竪穴を下りたのじゃ。何といっても我が家、構造は知り尽くしておる」
「ほう……」
馬鹿だ!我が家に崩落フラグを立てている!なぜ気づかない!気づけ間抜け!得意げに説明するな!頭痛がいつにもまして素晴らしい。ドラゴンって賢い種族と違いました?今ここにいるの間抜けですけど?微笑を浮かべるが引き攣る。
「ふっふっふっふ、旨げな血を流しおって。まずおぬしから平らげてやろうな」
口元に付着している血を拭う。旨そう?無理に延命しているし投薬治療も長いからやめたほうがいい気がするのだが。
確か、前に女装して脱税容疑の吸血鬼の館に入り込んだ時は一口吸ったら泡を噴いて倒れてしまって、救急車で搬送されて、脱税も事実無根だったからただ入院費を請求されただけだった。
「それはやめておけ、多分腹を壊す」
「なかなか威勢がいいのう。そういう獲物は嫌いではない」
「……気遣いなのだが……」
「と言うより、ずっと巣穴に引きこもって上から落ちてくる死骸ばかり食べていたから生きた獲物自体初めてなのじゃ」
「ああ……腐った死体と俺ってどっちが旨いのだろう」
性的に食べたい!と隣の馬鹿弟子が騒いでいるが反応しない。構っていたらキリがない。
「優しくしておくれっ!」
「申し訳ないが手堅く行かせてもらう!夕飯は貴様の方だ!」
杖を取って、半身に構えた。足場はわずかに滑るようだが悪くない。イルマはとっとと逃げ出していた。指示を出さなくていいのが嬉しいやら悲しいやらだ。と、思っていたら振り向いて両手をメガホンにして叫んできた。
「ひゅー!ししょーかっくいー!」
「うるさい!黙って行け!」