チート主人公なめてた。
トリップもの、面白そうなので手を出してみました。主人公の無双する話をよく読む人は内容に過度な期待はしないでね!なぜなら、……。
(相馬剛志だ!ここから動かない!チキン思考はここに留まれと囁いている!)
テレパシーくらいでもできやしないかと色々なことを心の中で叫んでみるが、効果はない。
よくよく考えたら、異世界で言語が同じとも思えないから通じないんじゃないか?などと思い始めた。不毛なことはやめて耳を澄ましてみる。何か音がする。下か。
ざば、ざばと何かが水中を移動するような音がする。水もあるのか。冷えた時の感覚を想起してぶるっと震える。得体のしれない虫といい温度といい水といい、ここのダンジョンは明らかに俺を殺しに来ている。
足がだるくなってきた。もう何十分ここで立ちすくんでいるんだろう。千里の道も一歩からとかいうがその一歩も踏み出せない。
「――!―――――!」
「――!」
人の声のようなものが下から聞こえた。とうとう幻聴か。両手で耳をふさいだ。目をぎゅっと閉じる。壁の向こうから何かがいる気配がする。どうしよう。どうしよう!心臓の鼓動が跳ね上がる。
殺される。こんなわけのわからないところに来て。泣きたい気分でいたら何か聞こえた。気のせいか、日本語で「……え?」と言ったように聞こえて、思わず耳から手を離した。
少女らしい顔が壁の端から覗いていた。
「助かった……」
言うほど何もしていないが、相馬は疲れ切ってよろよろとその場に膝をついた。壁の向こうから別の声が、どーしたんですかあと呼びかけてくる。
もしかしてこの壁の一枚向こうにいたのか、人間。ブルッてないで出て行ったらよかった。
今にして思うと、異世界トリップなんてことになってすぐに行動できるあの主人公たちってすごいんじゃないか?全然普通じゃなくないか?
「うーん……変なのがいたんだ。ちょっと見てよ……さっきなんか喋ったと思うんだけど」
顔が引っ込んで、代わりにあどけない少女の声がした。やっぱり少女だったらしい。
「新種の魔物ですか?」ひょこっともう一つ顔が出て来た。眼鏡の青年のようだ。目が合ったと思ったら戻ってしまう。「……人間に見えますけど」
最初に顔を出した少女が出て来た。相馬に近づいてくる。
闇に慣れた目とクリスタルの明かりで照らし出されたのは見たこともないほど可愛らしい美少女だった。明るい栗色の髪、淡い緑の大きな瞳。鼻が高くて彫が深い、いわゆるヨーロッパ系の顔立ちだ。
しかし皮膚は黄色みがかったアジア系。服装は……マントに宝石のついた大きな杖、長い上着。魔法使いのような格好だ。
いや、魔法使いなのか?この後ろに剣士とかいるのか?
じっと相馬を覗き込んで、口を開いた。
「あ、あー。聞こえますかー。聞こえたら聞こえたって言ってー」
まごうかたなき、日本語だった。
「き、聞こえます!俺は人間です!」
「うん、聞こえないっていうと聞こえてるのがわかるっていうね。確かに人間に見えるや」
ずこっ。相馬は心の中の何かがずれる音を聞いた。なんじゃそりゃ。
「ユング、大丈夫そうだよ。こいつから魔力は感じられない。それに知性もあるみたいだし」
「あのね先生、知性があるってのが怖いんですよ。我々をだませるってことですからね。言葉にだけは鎧を着られませんよね。ほいほい出て行っていいんですか?」
ユングと呼ばれたさっきの青年が文句を言いながらも出て来た。こっちもマントに杖。ファンタジー世界の魔法使いだ。彼の髪はつやのある漆黒で、大きなレンズの四角い黒縁眼鏡の奥で空色の瞳が光る。
先生と呼ばれている少女とは違い、切れ長の目、薄い唇と研ぎ澄まされたような美貌は、美男子には違いないがアジアの民族のそれだ。逆に肌は白い。頬のあたりが薔薇色で血色がよい。
いや、少年かもしれない。背が高くて肩幅も広いが、表情はどこかあどけないのだ。
「それもそうだねえ。大丈夫大丈夫、もしそうだったらこいつの余生全部使って後悔させてやるからさっ。これはこれでいい考えでしょ?」
「なるほど、ぜひ僕も一枚噛ませてください。拷問、本を読んだり資料を集めたりはしているけれどどうにも機会がなくって。今度、練習を兼ねてやってみたいんですよ」
「あー、だったらさ、ファラリスの牡牛って知ってる?私、アレを試してみたいんだよね。手配してくれたまえ」
「あははっ先生、手配はできるけどそれ使っちゃったらすぐ消し炭になって楽しめないじゃないですか」
「あははは確かに」
ん?会話の意味が分からないぞ。えーと、ファラリスの牡牛って何だっけ。ファラリスの牡牛とは、中に人が入って蒸し焼きにされる真鍮の像である……うわあ会話がえげつない!本人のいる前でする話か!?
「あ、あのさ!」勇気を出して話しかけてみた。やっと勇気が出た。「俺、相馬剛志って言うんだ!」
「ソウマタケシ。長い名前だね。ソウマもタケシも単体では聞いたことあるんだけど」
ずい、と少女が顔を寄せて来た。不覚にもドキッとする。近くで見るとボロが出るとか言うが、とんでもない。肌はきめ細かい、睫毛は一本一本が長くて上を向いている。しかも近い。おっ、これはもしや。
「……くさっ」
泣いた。
少女の方では少年の方へ向き直った。少年は満面の笑みでウサ耳を頭部に装着し、鞭をしごいている。もうやだこいつら。
「ユング、服の予備こいつに貸してやって。おもに下半身。今着ている服はスーパーの袋に入れておいて」
「あ、はい。軽く洗浄系の魔法で洗ったほうがいいですかね?」
少女の言葉の真意に気付いたとき、相馬はまた別の意味で泣いた。ひっ、ぐすっとか言いつつ服を脱いで袋に入れる。
イルマはガキのストリップショーに興味はないのでユングと話していた。ガキと言ってもイルマより年上だがそんなことは気にしてはならない。
「ねえユング、ずっと思ってたけどユングってホモの気があるよね」
「まさかあ。僕はバイセクシュアルの方ですよ。どっちかなんて選びません」
へえ。ほくほくと笑う彼の頭の上、ウサ耳がひょこひょこ揺れている。
「……うん、早くそのファッションやめようか、違和感すごいよ」
なぜなら、こいつにチート能力は一切ないからだ!