トンデモ進化論
また大してファンタジーしない回です。
イルマはのんびりお茶を飲みながらコンクリートだらけの灰色の景観を楽しんでいた。
静かとはお世辞にも言えないが何ともいい雰囲気だ。焙ったイカの一枚でもあればもっと盛り上がるのだが、さっきの警部さんでホモ妄想するだけにしよう。相手は……まあ誰でもいっか。
死者ではめったに妄想しない。思考がある程度向こうから見えているので、後ろから撃たれかねないのだ。
ちょっと同じ姿勢で座りすぎて腰が痛いかな。伸びをする。雨は変わらずざーざー降っている。湿度が少々高いようだ。そろそろ中に戻って除湿器でもかけてみるかな。
席を立った瞬間だった。
「――すいませんでしたあああああ!」
「!?」
おじさんが飛び込んできた。
こんなのイルマだってびっくりする。さっきの若い人とは違う警察官がベランダに突っ込んできて、革靴の先端で三回転ののちそのまま土下座を決めたのだ。
わけがわからない。
靴はいつの間にか脱いで、揃えて置いてある。せんぱーい!?と上からさっきの若い人の声がした。
どうやら、どうやったのかはわからないけど、皆目見当もつかないけど、彼は上の事件現場から下のイルマがお茶をしているベランダへ命綱なしの危険極まりないバンジージャンプをして侵入してきたらしい。ハリウッドも真っ青だ。
ただ、今言えることは。
おじさんが飛び込んできた。その一言である。
「な、何これどういうこと」
「面目次第もございません!後輩が無礼を!どうか!どうかお許しくだちえ!」
混乱するイルマの目の前で、彼はベランダの木の板に額を擦りつけた。靴のつま先で三回転したところは黒く焦げて煙が上がっている。せっかくおしゃれなウッドデッキだったのに。
えーと。えーと。何から言ったらいいのかな。思いっきり言葉を噛んでいるのは言わなくていいやつ?
「私はどうなっても構いません!お願いします!この国に祟らないでください!」
祟るって何だよ。私は祟るのかよ。ぼーんぼーん。十二時の鐘じゃない。頭痛だ。
「え、えーと、あのね」
「あいつは知らなかったんです!まさか、まさかあなたが!あなた様があの実存の魔導師の!あのお方の弟子だなんて!」
イルマは真っ暗な雨降る空を仰いだ。見てますか、ししょー。あなたは畏怖され、崇拝されていますよ。もう死んで三年にもなるのにね。
「いいえ!それもこれも私の失態です!下手をすると頭から食いちぎられる相手だと、あいつに教えておかなかった私の責任です!この首一つで、どうぞ怒りをお鎮めください!」
「ししょーだってそんなこと一回もして……るか。とにかく、私は私、ししょーはししょーですから。顔を上げてください」
「有難きお言葉ッッッ」
わけのわからないやり取りをしていたら部屋のドアをガンガンガン!と叩く音がした。今度は何だ?はい今開けます!なぜか敬語で返事をしてそっと開ける。
ショットガンを構えた若いほうの警部がそこにいた。そんな蒼白な顔色をされましても、当方には何もございませんで。どうしようかな。イルマはしばらく考えて、考えた。ししょー、私どうしたらいい?
――生きろ
「あい分かった」
少女がそう言うと、ショットガンの銃身が比喩ではなく砕け散る。弾倉部分が床に落ちた。
「どうしたのさ、いきなり。そんな対魔物みたいな装備で」
魔法としては初歩の初歩もショボショボな『分離』の魔法である。性質の違う物ごとにばらばらにする、ただそれだけの魔法なのだ。
といっても本来はの話である。イルマの使う『分離』はもはや別物としか思えなかった。思えなかったのだ。厳密にいえばそれは別物ではない。単に大きすぎる魔力と人間には過ぎた練度で威力を大幅に上げて行使されただけなのだ。
乙種の条件は、「血統などの理由から常人では習得できないある種の魔法を有すこと」。イルマの血統はごくごく普通の、と言ったら語弊もなくはないけれど、その血縁でしか行使できない何かの魔法を持っているわけではない。
本来彼女は乙種の条件を満たせない。ユングですら、あれで一応半人効果で乙種認定なのだ。
しかし、イルマは今乙種として認められている。
これは決して審査員がロリコンだったからなどの理由ではない。むしろ審査員がロリコンだったら可哀想だから丁種にするだろう。乙種は遅かれ早かれ人外の領域に片足を突っ込むことになる。
それを、彼女は試験の時点でとっくに突っ込んでいた。片足を。いや、突っ込んだのは頭だったかもしれない。
狂っていたわけではない。あくまでも純粋に。ただ少し、脳の一部が人間と違う遺伝子を発現していた。魔族とも異なる。かつてそれを見た医者は彼女をこう表現した。
――極めて軽度のサイコパス。
人を顧みないほどぶっ壊れているわけではない。
人を顧みるほどまともなわけでもない。
人の命などそこらのゴミクズ程度にしか思っていない。
人の命を奪うことを躊躇する程度の良識はある。
「あれ?何、腰抜かしてんのさ。銃しか壊してないじゃん。っていうか民間人に正当な理由もなく向けたんだから立派な犯罪だよ?」
そんなアンバランスな存在だった。ユングはイルマの気質を、実存の魔導師に育てられたせいだと解釈していたようだが、事実は異なる。どころか、真逆だ。
実存は、彼女をできるだけ更生させようとした。更生でもない。歪めて歪めて、どうにかちょっと頭がイってる女の子程度まで持ってきたのだ。イルマ自身もそれは知っている。
彼が彼女を歪めるために、あちこちへ旅行させたりしたことも。
初めてコールを呼び出した時、この特性のために、てっきり嫌われるかと思った。
「やめてよ、そういう被害者じみた顔。おにーさんは加害者だろ?それともあれかなーほらあるじゃん刑事ドラマとかで。おじさんをぶっすり刺して、殺して、死んだのが分かってからアンタガワルイノヨーとかコロシタクナンテナカッターとか言うタイプのひとかなあ?」
結果は真逆である。めちゃくちゃ気に入られた。脳の変異を彼も発見した。さすが世界を作ったトリプルのうちの一人である、目ざとい。それを発見して、コールは最初に何をしたかというと。
狂喜乱舞である。文字通りの。何なんだろうあの踊り。途中から脱いだりもしていた。全く理解できないが、彼からは嬉しい進化らしい。
「私ああいう人嫌いなんだよなー、そんなこと言うぐらいなら最初から何もするなっての。そうは思わない?」
このことがどう乙種であることと関わってくるのか。
それは単に、精神の問題である。魔法の威力や精度は精神力に依存する。精神力は肉体と異なり鍛えればいいというものではない。揺らげば威力が落ち、弱れば精度が落ちる。マイナス式なのだ。
揺らぎ、弱る原因は外界にある。外界が与える刺激で人は傷つく。
だが、その刺激で傷つかない人間がいるとしたら?
「ほーら何とか言ってよう」
きっとその心は揺るがない。弱らない。どんな時でも自分を保つ。ならば魔法の持つ危うさは消え去る。それこそが、イルマが乙種たる由縁のひとつだ。
トンデモ学説って考えていれば楽しくて仕方ないですよね?そういう話でした。