ホテルニュー死体
旅館って怖いよねって話です。
イルマの通報によりホテル側は阿鼻叫喚、支配人がめでたく警察に通報したところでホテルの中は騒然となった。調べによると殺人犯がまだホテルの中にいる可能性が高いというのが一つの原因だろう。
調べによるとも何も、イルマが発見した時点で死亡後10分経過していなかったらしくて、ホテルを出入りした最後の人が一時間前だから当たり前なのだけど、死体が見つかった後ホテルの出入りは禁じられたわけだけど、それもまた調べによるわけだ。
いやあそういう人って追いつめられると何しでかすかわからないもんね。怖いねえ。一人も二人もおんなじよ、ってねえ。
上のベランダで右往左往する捜査員の声とまた降り出した雨の音をBGMに、イルマはあのベランダでのんびりお茶を飲んでいた。
ぷはー。
「あーおいしい」
「いや、おいしいのはいいんですけどね」キャリアらしい年若い警部がメモを取る姿勢のままイルマの正面に立っていた。「自己紹介、してくれませんか?」
イルマはコーヒーテーブルの上にあるもう一つのティーカップに急須からまだ温かいほうじ茶を注いだ。ほうじ茶はパックで、部屋にある湯沸しポットで入れたものだ。ちぐはぐな気もするが気にしない。
「お茶どうぞ。あとなんか落ち着かないからおにーさん座って」
「……自己紹介」
「座れ」
どっちがどっちを取り調べているのか。警部は疲労感を覚えつつテーブルをはさんでもう一つの椅子に座った。
怪しい、この第一発見者。と言っても犯人だとは考えていない。むしろこの年齢でこんなホテルに泊まっているほうへの不信感だ。自己紹介が必要なのもラブホテルのため名前を記録していないからだ。
つまり殺人とは別に何かの事件に巻き込まれている可能性がある。
お言葉に甘えて、と慇懃に言って茶を一口すする。ほうじ茶であることに彼は初めて気づいた。
急須とティーカップで、勝手に緑茶か紅茶だと思ってしまったのである。さらに、湯気が立っていないからもう冷めているだろうと思っていたが、そんなに冷めていなかったこともあった。
「おにーさん猫舌?私は猫舌なんだ。熱いの苦手だけど、あまり冷たくても飲む気がしないんだよね」
「えっと……」
「人肌くらいの温度って飲みやすくていいよね。そうは思わない?」
死んだのはイルマの上の部屋で休憩していた23歳の女性である。カバンの中に入っていた免許証で身元が割れた。部屋はあまり荒らされておらず財布の中身も十全。物取りの犯行ではない。
死体は下着姿でベランダの柵にくの字、というよりつの字を90度回転させたような形で引っ掛けられていた。口から心臓を竹槍で貫かれて、槍が抜かれていなかったため出血はあまりなかった。
しかし死因は頸椎の骨折による窒息死なわけで、イルマの出した茶くらいちぐはぐだった。竹槍は近くに竹藪があるのでそこから手に入れたと思われる。
「まあ、血の匂いがしたからベランダに出て上を見上げたら半裸のおねーさんと目が合って、こういう温度の液体が垂れてきたんだけどさあ。あははは」
笑えない。警部は浸みだしてきた汗を拭った。あっ。ふとイルマはさっき彼が何を聞きたがっていたのか思い出した。
「自己紹介、まだだったね。私の名前はイルマ、14歳だよ」
警部は慌ててペンを握った。おかげで『イルマ』の字が崩れて『入間』に見えた。あまり問題はないが。イルマは構わず続ける。「母の名はアンジュ、父はオリバー。祖母は……わかんないや。今は保護者不在」
「事故か、何かで?」
「ヤクをキメたお父さんがお母さんを穴だらけの血の詰まった皮袋にして法律の門から地下室に行きましたとさ。めでたし、めでたしー」
聞かなきゃよかった。後悔する警部のことなど気にも留めず、少女は自己紹介を続ける。続けるのかよ。
「住所は帝都ユカカ市トトナ区ハクトウ町3-8-6。職業は自営業の魔導師だよ」
「ま……魔導師!?」警部が身を乗り出したのでイルマは反射的に身を引いた。「その年で!?」
「そうだよ。変かな?免許証あるから、調べてくれても構わないよ」
年齢から疑われてしまうのはよくあることだからあまり気にしていない。いちいち突っかかっていても疲れるだけだ。時が解決する。思考回路は婆のそれだった。
イルマはまた一口ほうじ茶を含んだ。おいしい。
取り調べ中ではあるが、変に仰々しい格好をするものでもないと思ってマントと長い上着は着ていない。靴は部屋に入ってすぐ脱いで、ベランダではスリッパだからブーツでも何でもない。くつろぐのに手袋なんてしない。
そうなるとあの下はただのショートパンツとニーハイと長袖シャツなわけで、疑いたくなるわけも分かる。
「乙種だよ。ここには依頼があって来たけど、助手一人で片付きそうだから放置してるんだ。どっかへ遊びに行こうかとも思ったけどこの天候だからね、不本意ながらこうしていかがわしい宿泊施設に残ってるってわけ」
そうですか。警部の中で『助手』への不信感が膨らんでいく。未成年に手を出したら逮捕なんだぞ。この頭がイってそうな子はあとでちゃんと調べよう。客観的な視点から。
「とりあえずそんなとこかな」
「参考までに、二つ名など教えてくれませんか」
いじわるのつもりで質問してみたら、案の定少女はちょっと困った顔をした。
「まだ私には二つ名とかはないんだけど……」少し考える。「病み魔法使いの弟子、って呼ばれることが多いかな」
「闇魔法使い?」
「ううん。病気で、病むのほう。ししょーが病み魔法使いで、だから病み魔法使いの弟子」
それこそ聞いたことがない。師匠?警部はもう一つ聞いてみた。
「その、あなたの師は?」
「病気で死んだよ。内臓から骨から全部やられてね」
やはり頭がイっている。この少女から有力な手掛かりは得られまい。警部はそそくさとその場を去った。上にいた先輩に報告を入れる。
「……第一発見者ですが、どうも駄目そうです。イルマっていう14歳の少女なんですが、自分を魔導師だとか、病み魔法使いの弟子だとか名乗ってます」
乙種だとか言ってるし、事情聴取よりカウンセラーの方が必要なんじゃないですかね。先輩の顔色が変わったことには気づかなかった。
「え、何の弟子だって?」
「病み魔法使いです。病みは病気の方で、聞いたことないですよねーそんなの」
ふと見ると、鬼のような先輩は青鬼のような顔色になっていた。
「いや……聞いたこと……ある、な。その名前」
「えっ」
酷く慌てた様子で柵を超えていく後姿がいつもの先輩を見た最後だった。
最近はあまりファンタジーしていないから心配ですね。近代感を出すのって難しい。そろそろ王道ファンタジーに路線変更しないと。