つかまりました。
話が進んでいます。回想は少なくて済みそうですね。
「どうなのかな?教えてよ」
幼い魔導師の笑わない瞳が、村人たちにはどこまでも続く暗闇に思えた。若者たちがどよめく。おお、当たりだ。これは……。
「――その娘だ!厄介なのは!先にそいつを捕えろ!男の方は大したことはない!」
「おぅふ!?」
ぐったり騎士サンプル1号の声だ、と気づく前にイルマは捕えられた。ごつい腕。剛毛。おおこれは久々に、マッチョ系のオジサマではないか。
ちょっと嬉しいぜ。じょりじょりする!血染めの杖が地面に落ちる。
「確かにおっさん四人動員すればさすがに私じゃ振りほどけない。腐っても元軍人だね……不測の事態への対応がノーマルな盗賊より早いじゃないか」
「せ、先生!?」
慌てるユングに「降参だよ」と首を振る。彼のところにも数人がとりついた。降参なのだ。付加系の魔法を今使うと密着しているおじさんたちまで強化してしまう。攻撃系?自分ごと吹っ飛ぶ。
超至近距離で使うための魔法もいくつかあるがそれで倒せて一回に二人。もう一度発動するより生き残った二人がイルマの首をへし折るほうが早いだろう。
それに今――彼女の額に銃口が向いている。パッと見てわかるその形状は軍用のものではない。猟銃だ。おそらく地元の猟友会だろう。あのおじいさんも好みだな、じゃなくて。
いついつまでもこうして捕まえていられるわけがないのだから、まだチャンスはあるのだ。慌てることじゃない。果報は寝て待つのだ。
「油断するな!あともう一人いる。娘が喚びだした魔族だ……オフィーリアとか言っていた。スライムみたいなやつだ」
「スライム呼ばわりとは失礼な」噂をすれば影とやらだった。腕を組んで憤慨する水の乙女。
「ボクはウンディーネ。あの本が世に出て長いってのに……名前を聞いてわからなかった?読書しようね」
やっぱり、しまった、という空気が一瞬集落の人々とぐったり騎士を包み込んだ。あの本ってどの本だよ。イルマはどういうわけかその作者をぶん殴りたくなった。
「こ、こいつがどうなってもいいのか!?」
「割とどうでもいいよ。それ、ただの契約相手だからさ」
「こっちには孫らしき何かがいるぞ!?」
「ねーねー、イルマちゃんボクどうすればいい?」
ユングのことは無視か。孫がしくしく泣いてるぞ。おうおう、材料こそあんたからもらってるとはいえ月一でわざわざチーズケーキ焼いてやってんのによ。冷たいおばちゃんだ。ほんとに冷たいおばちゃんだ。水だけに。
「帰ってくれればいいよー。下手に抵抗すれば私殺されるっぽいし」
「じゃあ帰るよ。夫の置いてったトマト農園も心配だしねっ」
ぽしゅん、と音がしてオフィーリアの姿が消えた。召喚した時の魔力の道を利用して魔界に帰ったのだ。「むぎゅっとしとけばよかった……」とユングがちょっとだけ沈んだ。
知ってるだろうから止めないけどびっちょびちょになるぞ。
「い、いいのかよ!?」
「いいのだよ」
「もっとこう、信頼とか友情とか……」
「別にそういうのないな」
動揺が伝わってくる。優位にいるはずのあんたらがこんなことくらいで動揺してどうする。元騎士以外大したことねーな。
「あのさあ……ずっと思ってたんだけど、ひとつ言っていいかなあ。そんなどこまでも伝統とかそういうの、守ってくれなくていいから。伝統ってあれでしょ?玉石混交でしょ?何でもかんでも伝統だからって守る必要ないと思うんだよね」
「何が言いたい?」
すーっと口が裂けるようにただでさえ笑うイルマの口角が吊り上がった。
「思い出したんだよォ……おじさん。この村ってさァ、300年前の文献で読んだけど……盗賊とグルになって国の助成金と旅人の有り金搾り取ってたってよォ。ちょうど今みたいに。ぼろ儲けだねェ……いいなァ、羨ましいなァ」
「……動けないやつが何を言う!耳を貸すな!」
あははは。あは。あはは……何だかんだで浮かべていた笑みが消えた。
「そうだね。私は動けないね。……でも、さ」
「ぐああああっ!」「へぶっ!」「ごべっ!?」
「!?」
悲鳴がいくつも聞こえた。おっさんが数人吹き飛んでいる。杖を振りぬいた姿勢でユングが佇んでいた。足にとりついていたおじさんは振り払った。
人間離れした身体能力を誇る彼のこと、おっさんなど風袋みたいなものだったろう。予想した通りの結果に、イルマは笑みを浮かべた。
「そうですか、私のひ孫は元気でしたか」
冷たい地下室の石の床に正座して、コールは娘の頭を撫でていた。正座をしているのは娘がそこに頭をのせているからである。膝枕だった。
「うん。もちろんボクから見るとあれでもちょっと心配になるくらいだけど、あの子は人間だもの。あれが当たり前なんだよ」
「諦めたような発言ですね、オフィーリア」
ゲームはセーブしてコンピューターも電源を落としている。ふー、と息を吐いてオフィーリアは起き上がった。彼女の体は水なので地上と封印の部屋とを行き来できるのである。
「諦めるも何も、キミが一番よく知っているようにボクには激情というものがないんだよ。感情はあるけれど激情はない。キミはボクを、そう作った」
そうでしたね。わずか沈痛な面持ちで囁く。
「マクベスの……シルフを作った時の反省を生かしてみたのですが」
「マクベス……ボクのお兄さん。彼はまだ生きているの?」
「ええ。彼はもともと感情豊かなところ、さらに臆病を習いましたから。きっと私をのぞいて誰より長生きします」
「そっか。確かにボクは、恐怖が薄い」
オフィーリアはもう一度横になった。今度は仰向けで膝枕を使う。そこに一瞬、桜色の頬をしたあどけない少女の顔が現れて消えた。青い瞳だった。
「マクベスの時の反省、か。本当にそれだけ?」
「……何か、嫌なことでも?」
ボクね、と少し沈んだ声が途切れた。ゆっくり息を吸う気配を、コールは耳を傾けて聞いている。
「――泣けないんだ。ずっと。娘が死んだときも、つれあいが死んだときも。魔界の土で育てたトマトが初めて実をつけたときも、娘が生まれたときも、孫が生まれたときも。嬉しいとか、悲しいとかはあるんだ。でも……声を上げて泣くことも、涙を流すことも、心を動かすことすらもボクにはできない」
「それで、いいのですよ」
「良くない。ね、今からで構わないからボクを直して」
生ぬるい、人肌とでもいうのだろう温度の水でできた青い手が魔神の頬をなぞる。魔神は目を伏せたまま何も言わない。
「……できないの?どうして」
頬を撫でている手をコールは上からそっと握った。ぐっと押し付ける。いくらかの水分がその肌の中へ消えて、肌の中から出ていく。
「許せないからです」
「何が?ボクが?それとも、昔の『ウンディーネ』が?」
女神のようにゆるるかに長い髪を揺らして、コールは首を振る。血のような赤だ。三つ編みにされているその先は床を這う。まるで天帝の脳髄から直接伸びて床を這う無数の管のように。
「私の手元を飛び立った小鳥が安住の地を見つけてしまうのが……ね」
「?……わかるように説明して?」
本人の言ったように感情こそあれ激情はしないで、オフィーリアが訊いた。
「人間の昔話に、洪水に備えて巨大な船を造る男の話がありますね」
「うん、知ってるよ。その人はいろいろな獣や鳥を洪水で滅びないように船の中に入れて頑張ったけど、他にもいくつか船はあって、最後は自分だけが頑張ったと思ったことが恥ずかしすぎて死んじゃうんだよね」
はい。満足そうに魔神は微笑んだ。
「終盤の、鳩を飛ばして陸地のあるなしを調べるくだりです。鳩は証明に、オリーブの葉を咥えて戻ってきました。そのあと烏を飛ばすと、烏は最初足をつける地面がないので船に戻ってきました」
金色の瞳は輝かない。ヒアの深淵の瞳と同じように。
「けれど、しばしの日を置いて烏を放すと、今度は足をつける地面があったので烏は戻ってきませんでした。こうして船の男は陸地が戻ってきていることを知りました。私が彼なら、烏は許せません」
そこまで言って、彼は暗い石室の天井を見上げた。独特な模様が描かれている。神々による封印だ。ここから出るすべはない。外に出ることがかなわないことは意識のないアクトと、何も変わらない。
「……あなたが、私ではない誰かへの情に動かされて、私が知らないところへ行ってしまうのが許せないのですよ」
グルだったようです。使い古しのネタではありますがそれなりに楽しんでいただけたと思います。